また一つ年を重ねる。時間が経つのは早いものだ。
普段、テレビを見ることは滅多にないが、正月は実家で何もすることがないので、テレビ三昧。やたら「平成最後」が連発され(笑)、早くも平成を振り返る(あるいは昭和と平成を比較する)企画まである。その中のひとつで、鉛筆と言えば私の世代ではHBが定番だったが、いまどきの小学生は2Bが多いという。その番組では握力の低下を理由に挙げていたが、そんな大袈裟な(笑)。確かにHBの芯がやや硬いのは認めるが、下敷きを入れて書くとカツカツとその跳ね返りが軽快で心地良かったもので、それには、それほど握力など要するものではなかろうに。それに対して2Bは書き易かろうが、文字が太くなって目立つし、なんとなく紙がこすれると汚れそうだし、紙の裏表に書くと下敷きも汚れそうだし、私のように筆圧が強いと芯が減るのも早そうだ(笑)。
さて、母親がいないと、正月らしさを演出できないことに気が付く。買ってきた安っぽいお節で、朝から堂々と酒を飲むのは、なかなか普段はできないことで、辛うじて正月らしさを実感する(笑)。散歩すると、今さら昭和と比較しても仕方ないのだが、凧揚げや独楽回しや羽子板といった正月の伝統的な遊びはついぞ見えない。国旗を掲げている家も殆どない。元旦から営業するのが当たり前になって、お節にはすぐに飽きるので有難いのは事実だが、特別感のようなものがなくなったのは、ちょっと寂しい。最近は年末の大掃除も見かけない。年末の「サザエさん」では畳を干していたが、畳がある家も減っただろうし、マンションじゃ干すところもないだろうし、「桃太郎」「花咲じじい」とまでは行かないが、「昔話」的に日本の伝統を教える、さすが国民的アニメと言われる所以だ。なんだか懐かしい・・・。
懐かしいついでに、子供の頃、父親は、正月の準備として、窓を開け放って一年の煤払いをし、電気餅つき機ではあったが餅をつき、近所の農家から藁を貰って来て自らしめ縄を作り、夜には餅を切りながら、紅白歌合戦を見た。
その父親が、先月、軽い事故に遭って(しかし歳のせいで)緊急入院し、打ちどころが悪くて、数日後、脾臓破裂による出血があって、集中治療を受ける騒ぎになった。深夜2時まで病院に詰めて、そのまま実家に泊まったところ、驚いたことがある。母親が亡くなってから、月に1~2度、慰問に泊まりに来ていたが、そのときばかりではなく、緊急入院したというのに、要するに普段から、家の中が片付いていてきれいなのだ。もともと、私たちの世代のようにモノに執着することがなく、何でもぽんぽん捨てるタチで、モノが少ないのだが、まるでそのまま民泊に供することが出来るほど、きれいなのだ。今どき、狭苦しいマンションなり一軒家に捨てられないモノが溢れて、一杯いっぱいなのが相場だろうが、私たちの親の世代までは、こうしてモノが少なくて、掃き清められた家が当たり前だったのだろう。そして、そこに何となく神道的な清浄さを連想してしまったのである。
正月はそんな清浄さで迎えたものだった。日本人らしさそのもは余り変わっていないように思うが、私たちの身の回りは、随分、変わってしまったと、自戒を込めて溜息をつくお正月であった。
今年の一般参賀には15万4千8百人が訪れ、平成最多だった昨年(12万6千7百人)を更に上回ったそうだ。そのため宮内庁は5回の予定だった参賀の回数を6回に増やし、それでも入門が続く様子をご覧になった両陛下がお出まし追加の意向を示され、急遽、7回目が実施されたという。政界やマスコミやネット上では左右の対立が喧しいし、実際に東アジア情勢は、増長する中国では「軍事闘争の準備をしっかりと行い、強軍事業の新局面を切り開く」よう習近平国家主席が中央軍事委員会で指示を出したと新年早々物々しいし、民族意識に目覚めた(?)朝鮮族の中二病(! ←産経抄からの借用)のような依怙地な態度が新年早々騒々しいが、天皇陛下の平和を想う御心こそ日本人の依って立つところであり、心の安らぎでもある。
今年は、昨年以上に喧しい一年になりそうだが、目先のことにあたふたすることなく、歴史に照らして、ちょっと先を見ながら、マイペースで歩いて行けるといいと思う。
普段、テレビを見ることは滅多にないが、正月は実家で何もすることがないので、テレビ三昧。やたら「平成最後」が連発され(笑)、早くも平成を振り返る(あるいは昭和と平成を比較する)企画まである。その中のひとつで、鉛筆と言えば私の世代ではHBが定番だったが、いまどきの小学生は2Bが多いという。その番組では握力の低下を理由に挙げていたが、そんな大袈裟な(笑)。確かにHBの芯がやや硬いのは認めるが、下敷きを入れて書くとカツカツとその跳ね返りが軽快で心地良かったもので、それには、それほど握力など要するものではなかろうに。それに対して2Bは書き易かろうが、文字が太くなって目立つし、なんとなく紙がこすれると汚れそうだし、紙の裏表に書くと下敷きも汚れそうだし、私のように筆圧が強いと芯が減るのも早そうだ(笑)。
さて、母親がいないと、正月らしさを演出できないことに気が付く。買ってきた安っぽいお節で、朝から堂々と酒を飲むのは、なかなか普段はできないことで、辛うじて正月らしさを実感する(笑)。散歩すると、今さら昭和と比較しても仕方ないのだが、凧揚げや独楽回しや羽子板といった正月の伝統的な遊びはついぞ見えない。国旗を掲げている家も殆どない。元旦から営業するのが当たり前になって、お節にはすぐに飽きるので有難いのは事実だが、特別感のようなものがなくなったのは、ちょっと寂しい。最近は年末の大掃除も見かけない。年末の「サザエさん」では畳を干していたが、畳がある家も減っただろうし、マンションじゃ干すところもないだろうし、「桃太郎」「花咲じじい」とまでは行かないが、「昔話」的に日本の伝統を教える、さすが国民的アニメと言われる所以だ。なんだか懐かしい・・・。
懐かしいついでに、子供の頃、父親は、正月の準備として、窓を開け放って一年の煤払いをし、電気餅つき機ではあったが餅をつき、近所の農家から藁を貰って来て自らしめ縄を作り、夜には餅を切りながら、紅白歌合戦を見た。
その父親が、先月、軽い事故に遭って(しかし歳のせいで)緊急入院し、打ちどころが悪くて、数日後、脾臓破裂による出血があって、集中治療を受ける騒ぎになった。深夜2時まで病院に詰めて、そのまま実家に泊まったところ、驚いたことがある。母親が亡くなってから、月に1~2度、慰問に泊まりに来ていたが、そのときばかりではなく、緊急入院したというのに、要するに普段から、家の中が片付いていてきれいなのだ。もともと、私たちの世代のようにモノに執着することがなく、何でもぽんぽん捨てるタチで、モノが少ないのだが、まるでそのまま民泊に供することが出来るほど、きれいなのだ。今どき、狭苦しいマンションなり一軒家に捨てられないモノが溢れて、一杯いっぱいなのが相場だろうが、私たちの親の世代までは、こうしてモノが少なくて、掃き清められた家が当たり前だったのだろう。そして、そこに何となく神道的な清浄さを連想してしまったのである。
正月はそんな清浄さで迎えたものだった。日本人らしさそのもは余り変わっていないように思うが、私たちの身の回りは、随分、変わってしまったと、自戒を込めて溜息をつくお正月であった。
今年の一般参賀には15万4千8百人が訪れ、平成最多だった昨年(12万6千7百人)を更に上回ったそうだ。そのため宮内庁は5回の予定だった参賀の回数を6回に増やし、それでも入門が続く様子をご覧になった両陛下がお出まし追加の意向を示され、急遽、7回目が実施されたという。政界やマスコミやネット上では左右の対立が喧しいし、実際に東アジア情勢は、増長する中国では「軍事闘争の準備をしっかりと行い、強軍事業の新局面を切り開く」よう習近平国家主席が中央軍事委員会で指示を出したと新年早々物々しいし、民族意識に目覚めた(?)朝鮮族の中二病(! ←産経抄からの借用)のような依怙地な態度が新年早々騒々しいが、天皇陛下の平和を想う御心こそ日本人の依って立つところであり、心の安らぎでもある。
今年は、昨年以上に喧しい一年になりそうだが、目先のことにあたふたすることなく、歴史に照らして、ちょっと先を見ながら、マイペースで歩いて行けるといいと思う。