風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ボルトのラスト・ラン(前)

2017-08-06 17:13:56 | スポーツ・芸能好き
 あのボルトが胸を衝き出しつつゴールする姿を見ることになろうとは思わなかった。よほど余裕がなかったのだろう。最後も当然のように勝利で飾りたかったはずだが、陸上の第16回世界選手権の第2日、男子100m決勝で3位に終わった。記録も今シーズン自己ベストながら9秒95と彼にしては平凡だった。2位に入ったのは米国の新星クリスチャン・コールマン(21)というのはまだしも、優勝したのは、リオ五輪でボルトの後塵を拝した銀メダリスト、30歳の大台に乗ったボルトより5つ年長のジャスティン・ガトリン(35)とは、何たる天の配剤だろうか。ガトリンの名前は勿論知っているが、優勝は12年ぶりというから、調べてみると、2004年アテネ五輪の100m金メダリストで、2005年の世界陸上ヘルシンキ大会100m・200mの二冠以来である。2010年夏まで4年ほどドーピングで出場停止となり、復帰したときにはボルトがいて、ボルトと同時代に(4年半の微妙な年齢差をもって)生まれ合わせたばかりに優勝から遠ざかり、それでもこの歳になるまで我慢して頑張って、久しぶりに手にした金メダルだ。ガトリンの今回の、と言うより、ここまでの頑張りに天晴れ、かも。
 さて、ボルトの方は、予選からスタートブロックへの不満を口にし、「スタートが私を殺した。ラウンドを重ねれば良くなると思ったが駄目だった」と、首を振ったといい(デイリースポーツ)、確かにリアクションタイムは決勝出場8名中7番目だったが、長身の彼のスタートが悪いのはいつものことで、中盤から加速して一気に他を引き離すレース後半の圧倒的強さが彼の持ち味だ。レース後、「全力を尽くしたが、納得いく走りができなかった」と語ったというが、これが最後の個人種目ともなれば、さすがの彼も微妙に狂っていつもの調子を出せなかったのか。彼には最後までレジェンドであって欲しかったのだが・・・。
 金曜深夜のTBSで、織田裕二と中井美穂が前夜祭としてボルトの足跡を振り返っていて、あらためて彼の凄さを思った。ピークは2008年(北京五輪)から2012年(ロンドン五輪)あたりだろうか。オリンピックの男子100m・200mで三連覇の偉業を成し遂げたのは2008年の北京五輪からで、このとき100m・200mともに世界新記録での優勝は、オリンピック・世界選手権を通じて史上初めてのことだった。そして翌2009年の世界陸上ベルリン大会(9秒58)にかけて100mで同一人物が三度、世界記録を更新したのも史上初めてのことだった。とにかく男子100mについてボルトは規格外だったと言えよう。2012年のロンドン五輪100m決勝では、自身が持つ9秒69のオリンピック記録を9秒63に更新し、この時の最高時速45.39kmは世界記録時のそれを上回っていたという。規格外ゆえにその後も活躍したが、2013年の世界陸上モスクワ大会では9秒77、2015年の世界陸上北京大会では9秒79、2016年のリオ五輪では9秒81と、優勝したものの徐々に記録を落としていった。
 よく知られるように、持病の脊椎側彎症によって、不安定に揺れる背骨と肩とのバランスをとろうと骨盤が互いに大きく揺れ動いて身体を支えるため、肩を大きく上下させる独特なフォームに特徴がある。こうした脊椎側彎症によるハムストリングスなどの身体への影響を考え、当初、100mの走りを希望したボルトに対し、コーチは200m専門で戦わせてきたという。そんなハンディあったればこその偉業と言えなくもないし、それを克服した彼の精神力も素晴らしいと思う。
 時代を画したヒーローの雄姿は、いよいよ来週土曜日の400Mリレーが最後となる。今回、三人揃って準決勝に駒を進めた(でも揃って決勝に進めなかった)日本人選手の活躍にも期待したい。
コメント
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