風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

物へのこだわり(4)未知なるモノへ

2012-03-06 21:49:04 | 日々の生活
 前回のブログでは、鉄道への憧れは、異国の地からやって来て、異国の地へと運んでくれる、つまり異国の地へといざなう列車への憧れ、ひいては未知の世界への憧れに由来するのではないか・・・というようなことを書きました。
 未知のものへのチャレンジという意味では、大航海時代ほど、大きな意味をもった時代はかつてなかったことでしょう。何しろ、地図を頼りに・・・ではなくて、地図を描くために船出した時代です。今はGoogleで地球儀を眺めながら、どんどん絞り込んで行けば、居ながらにして特定の一軒家にすら辿り着くことが出来る時代で、私のようにアナログからデジタルへの過渡期を生きて来た人間には、途方もない革新が進行中に思えて仕方ありません。ところが地図がない時代に、地図を自ら作って、あるいは地図をなんとか手に入れて、場合によっては作った人から盗んでまでして(何しろ当時、地図は国家機密の扱いでした)、航海に乗り出した人たちは、冒険者と呼ぶには生易し過ぎる、命知らずの途轍もない無謀だったことでしょう。有名なコロンブスもまた、地図作成者であり業者でもあったようで、今では探検家、航海者、コンキスタドール(征服者)、奴隷商人などと、いろいろな呼び名を冠せられますが、端的に海賊と呼ぶのが相応しいように思います。
 海賊と言えば、出現した時代や場所によって、さまざまな呼称や形態があるようで、スペインの無敵艦隊を破ったイギリス軍の主力は海賊でしたし、東インド会社をマネージした人も海賊出身者が多かったと言われます。近代的な軍隊や資本主義の初期に海賊がいた・・・というのは、なかなか象徴的です。とりわけアングロサクソン的な資本主義の原初形態に海賊的な侵略性があったというのは、昨今の行き過ぎた金融資本主義を彷彿とさせて、なかなか興味深い。
 私もボストン時代、19世紀半ばのマサチューセッツ州やボストン界隈の古地図を購入したことがあります。そのくすんだ色合いといい、線のいい加減さといい、レトロな美しさに惹かれたからですが、当時の人々が認知する世界を同じように眺めながら当時に思いを馳せるのは、なかなかエキサイティングです。同じシリーズもの(所謂アトラスを切り離したもの)と思われる日本地図の、北海道はEzo(蝦夷)、九州と四国はそれぞれKyusyu(九州)とShikoku(四国)と呼ばれていたのに対して、本州はNipponと呼ばれていたのが、なんだか不思議な気がして、今もなお印象は鮮烈です。その地図の欄外にシーボルトの文字があったのは、彼が持ち出すことに成功した地図が参考にされたのかも知れないと思うと、益々、興味深い(当時、地図は禁制品で、海外に持ち出すことは大罪とされました)。いずれにしても、地図というモノへのこだわり、未知なるモノへのこだわりは、私だけでなく、今なお多くの人々の好奇心を惹きつけて止みません。
 しかし、そんな未知の世界を地図に描いた先に求めていたものは、実は黄金郷、つまり南米のエル・ドラードや、中国の桃源郷だったりします。人間のなんと欲深きことか。
コメント
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