風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ノーベル賞(上)

2010-10-09 15:46:46 | 時事放談
 クロスカップリングの共同開発という、文系の私にはどうにも理解しがたいテーマで、鈴木章氏と根岸英一氏がノーベル化学賞を受賞されました。自然科学系としては、21世紀に入ってからの10年間で7件目で、日本人ノーベル賞第一号の湯川秀樹さんが受賞された1949年から2000年までの50年間の6件を越え、科学技術立国ニッポンの面目躍如といったところです。
 鈴木さんは、「研究は1番でないといけない。“2位ではどうか”などというのは愚問」と蓮舫発言を切り捨てるとともに、年間の自然科学系論文数で、中国が日本の約1.5倍に達するなど、科学技術面でも中国の躍進が著しいことについては、国民総生産と同じで、人口が日本の10倍だから研究者が多く、絶対量で抜かれるのは当然で、問題は質だと、科学者の立場から日本のありようの本質を言い当てておられました。
 根岸さんは頭脳流出組で、若者の科学離れに危機感を抱かれるとともに、若者にもっと海外に出ることを呼びかけ、外から日本を見る体験の重要性を述べておられました。受験地獄のことを、基本を叩き込むという意味で支持されていたのも印象的でした。
 1920年代に日本人の山極勝三郎氏がノミネートされた際には、選考委員会で「東洋人にはノーベル賞は早すぎる」という発言があったことが明らかになっているそうですが(Wikipedia)、ドイツ語への翻訳で「世界初」が誤って記されなかったため注目されず受賞を逃した鈴木梅太郎氏はともかくとして、英語の論文をものしなかったばかりに受賞を逃した大澤映二氏(いずれもWikipedia)のように、言葉のハンディがありながらも、日本は、非欧米諸国の中で最も多くの受賞者を輩出し、経済大国としての知的資産の厚みを立証しています(日本人ノーベル賞受賞者に留学経験者が多いのも頷けます)。
 ノーベル賞はアカデミズムにおいて業績の評価がある程度定着してから決定されることが多いと言われるように、今回受賞された根岸さんが勤務されていたのは帝人というかつての繊維産業の有力企業で、時代の移り変わりを感じさせました。今回の受賞者まで、田中耕一さんを除いて皆さん戦前生まれで、過去10年で7件の受賞というのは、戦後復興を終えて1960年代から70年代にかけて高度成長を遂げていた頃の研究成果のようです(田中さんを除いて)。そういう意味では、1990年代以降に躍進する中国や、理系離れが懸念される日本の結果(プラスにせよマイナスにせよ)が表れるのは、今後20~30年経ってからといったところでしょうか。でもその時の日本は、いよいよノーベル賞といった過去の貢献に対するご褒美すらも、中国の後塵を拝することになったかと、諦めの境地にあるのでしょうか。そうならないで、これから否応なしに質を求めざるを得ない日本の科学技術基盤を維持するために、過去の遺産で食えている今こそ、若者の理科系離れや国内引き篭もり現象を克服して行かなければなりません。
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