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大和郡山城跡、桜祭り

2022-04-13 | 花だより
「日本さくら名所100選」に選定されている郡山城跡。築城から400年余りの歴史があり、2017年4月には「続日本100名城」にも選ばれています。城跡一帯は、約800本の桜がお堀を囲むように植えられ、天守台展望施設からは城跡の桜を一望できます。夜には、約600本のボンボリの灯りに照らされます。











大和郡山の「桜」のはじまり



天正13年(1585年)大納言豊臣秀長が姫路から郡山へ入部、多武峰の談山神社を城北に遷座、その堂宇と共に、多武峰にあった桜樹も城内に移したのがその始まりと伝えられています(御殿桜と呼ばれていました)。
享保9年(1724年)柳澤吉里が甲府より郡山に国替えとなり入城してから、桜樹の補植があって、そのとき以来毎年春の開花期には、藩士や町民達の楽しみであったといわれています。
やがて明治となり城郭が全て取り払われましたが、旧藩士達が明治13年(1880年)本丸に藩祖柳澤吉保を祀る柳澤神社を建てて、その周辺に旧藩邸の桜樹を移植し、更に数百株を補植し、毎年、かがり火をたき春宵一刻を楽しむようになりました。










大和郡山城の本丸跡にある柳澤神社。







初代郡山藩主・柳沢吉里の父であり、5代将軍・徳川綱吉に重宝された側用人の柳沢吉保を祀る神社で、1880年(明治13年)10月29日に創建されました。




郡山城跡の天守台をはじめ、そのまわりの石垣の中には、多数の石仏、墓石が積込まれているそうです。

豊臣秀長が100万石の城へと拡大する際、石材が乏しかったため寺院の石塔や一般家庭の石臼など、様々な石材が転用されました。このさかさ地蔵も、そんな転用石材のひとつ。
他にも、平城京羅城門跡から運ばれた礎石や、仏教遺跡である頭塔の一部も見つかっているそう。

  



数珠くり法要
全長162メートル・全重量648キログラム・直径15センチメートル・1,080個の数珠が天守台を取り巻き、天守台の石垣に眠る無縁仏の法要が行われるそうです。昭和36年より続く行事です。
この数珠は、平成16年に大和郡山市が市制50周年を迎えたのを契機に、市民からの浄財によって新調されたものです。










郡山城跡の天守台から


















マンホール

大和郡山といえば、江戸時代から武士の副業として始められた「金魚」の養殖で知られています。
青海波模様を背景に、金魚鉢に入った金魚が描かれています。


説明文は公式サイトを参考にしました。



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