京都市右京区京北井戸町に位置する=常照皇寺=
光厳(こうごん)法皇によって貞治(じょうじ)元年(1362年)に開かれ、歴代天皇の帰依を得た皇室ゆかりの寺であり、臨済宗天竜寺派に属する禅宗寺院です。
府の史跡に指定されています。
4月4日出かけました。
道の駅ウッデイ京北に車を停め、弓削川沿いの、「さくら堤」でひと息。
=常照皇寺=やってきました。
大きな枝垂れ桜が出迎えてくれました。
階段を上がって行きます。
さらに上がっていくと・・・。
勅額門をくぐると勅使門が見えます。
左方向、方丈へ向かいます。
方丈から見る御車返しの桜。
方丈と渡廊下で繋がっている怡雲庵(いうんあん・開山堂)へ。
続いて庭園へ。
常照皇寺の三名桜木
「九重桜(ここのえざくら)・左近の桜(さこんのさくら)・御車返しの桜(みくるまがえしのさくら)」
九重桜は樹齢600年以上で、樹高約10メートル・根元周り約4.4メートル・枝張り最大約20メートルです。
腐朽が進み、花を咲かせるのは一枝のみだそうです。
九重桜は江戸彼岸(エドヒガン)の変種で、枝垂桜(シダレザクラ)に属する紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)です。
九重桜は南北朝時代に光厳上皇(北朝初代・光厳天皇)の弟である北朝2代・光明天皇が都から持参し、光厳天皇・光明天皇の兄弟お手植えとも言われています。
九重桜は1938年(昭和13年)に国の天然記念物に指定されました。
左近の桜は御所・紫宸殿の南庭に植えられている左近の桜に由来します。左近の桜は岩倉具視が株分けさせ、常照皇寺に植えられたと言われています。
御車返しの桜は江戸時代初期に第108代・後水尾天皇が行幸した際、あまりの美しさに車を何度も引き返させたことに由来するそうです。突然変異によって一重と八重を同時に咲かせるそうですが・・・。
<御車返しの桜>
<九重桜>
九重桜越しに方丈を見ると・・・。
<左近の桜、九重桜>
怡雲庵を庭から。
光厳(こうごん)法皇によって貞治(じょうじ)元年(1362年)に開かれ、歴代天皇の帰依を得た皇室ゆかりの寺であり、臨済宗天竜寺派に属する禅宗寺院です。
府の史跡に指定されています。
4月4日出かけました。
道の駅ウッデイ京北に車を停め、弓削川沿いの、「さくら堤」でひと息。
=常照皇寺=やってきました。
大きな枝垂れ桜が出迎えてくれました。
階段を上がって行きます。
<山門>
さらに上がっていくと・・・。
<勅額門>
掛けられている勅額「仰之弥高」は光厳法皇の宸筆。
掛けられている勅額「仰之弥高」は光厳法皇の宸筆。
勅額門をくぐると勅使門が見えます。
左方向、方丈へ向かいます。
<稲荷社>
<方丈>
入口に、菊巴棟瓦。
内部
入口に、菊巴棟瓦。
内部
方丈から見る御車返しの桜。
方丈と渡廊下で繋がっている怡雲庵(いうんあん・開山堂)へ。
<怡雲庵、内部>
続いて庭園へ。
常照皇寺の三名桜木
「九重桜(ここのえざくら)・左近の桜(さこんのさくら)・御車返しの桜(みくるまがえしのさくら)」
九重桜は樹齢600年以上で、樹高約10メートル・根元周り約4.4メートル・枝張り最大約20メートルです。
腐朽が進み、花を咲かせるのは一枝のみだそうです。
九重桜は江戸彼岸(エドヒガン)の変種で、枝垂桜(シダレザクラ)に属する紅枝垂桜(ベニシダレザクラ)です。
九重桜は南北朝時代に光厳上皇(北朝初代・光厳天皇)の弟である北朝2代・光明天皇が都から持参し、光厳天皇・光明天皇の兄弟お手植えとも言われています。
九重桜は1938年(昭和13年)に国の天然記念物に指定されました。
左近の桜は御所・紫宸殿の南庭に植えられている左近の桜に由来します。左近の桜は岩倉具視が株分けさせ、常照皇寺に植えられたと言われています。
御車返しの桜は江戸時代初期に第108代・後水尾天皇が行幸した際、あまりの美しさに車を何度も引き返させたことに由来するそうです。突然変異によって一重と八重を同時に咲かせるそうですが・・・。
<御車返しの桜>
<九重桜>
九重桜越しに方丈を見ると・・・。
<左近の桜、九重桜>
怡雲庵を庭から。
説明文は公式サイトを参考にしました。