友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

不登校

2015年08月20日 19時06分46秒 | Weblog

 甲子園大会の決勝戦はドラマのようだった。東海大相模と仙台育英、ともに投手が優れているし打撃力もある。エース同士の投げ合いで始まったが、東海大相模の打撃が圧倒した。仙台育英が優勢と思っていたが、どうやら東海大相模の優勝だなと観ていた。ところが6回に仙台育英が6対6に追い付いた。延長戦になるのかと思った。9回表、打者は東海大相模の投手、初球を見事に打ってホームラン。これで一気に仙台育英の選手の気持ちが崩れてしまった。

 頑張るぞ!と思っていても何かの拍子に一気に気持ちが萎えてしまうことはある。残念だが人間はそんなに完璧ではない。崩れかかると意外にもろい。それは子どもよりも大人の方が、強そうに見えても弱いかもしれない。立ち直りも子どもの方が早いかな。いや、これはもう大人とか子どもとかの問題ではなく、個人差の問題だと思うが、年を重ねてくるとなるべく辛いことにはかかわらないように、避けるクセがついてくる。

 先日、私が教師になって初めて勤めた高校の生徒だったという人に会った。彼は名門校に憧れて入学したが、1年で退学し他の高校へ再入学したと言う。「あまりに自分の思っていたものと違っていた」と話す。入学するとすぐに校舎の屋上で、上級生から校歌と応援の指導を受ける。時には正座させられ、大声を出す訓練を受けたり、「声が小さい!」とカツを入れられる。私もビックリしたけれど、これがこの学校の伝統で代々受け継がれてきたからやめることは出来ないと教えられた。

 これが縁で上級生と下級生の強い絆が生まれるようだ。クラス会に呼ばれて行くと、多くの卒業生がこの行事を思い出深く語る。けれども彼のように馴染めなかった者もいる。愛知県の小中学校で不登校が増えていると県教育委員会は発表したが、小学校より中学校の方が圧倒的に多い。学習が難しくなっていることもあるが、学校の雰囲気が小学校と違うことも大きな要素だろう。どうしたらよいのか分からないが、伸び伸びと生きられる社会になって欲しいと思う。

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中学生たち

2015年08月19日 17時59分40秒 | Weblog

 大阪府高槻市の運送会社の駐車場で見つかった遺体は、寝屋川市の中学1年の女子生徒だった。遺体が発見されたのは13日の深夜で、この日の朝まで殺された少女は友だちとラインでやり取りしている。少女は同じ中学校の男子生徒と朝まで一緒にいたことが寝屋川市駅前の商店街のカメラに映っていたことも分かった。映像を見ると、少女が主導的で少年は付いて回っている。

 午後10時過ぎ、商店街のカメラの前でテレビ記者が報道していたが、周りには小学生らしい子どもたちが自転車でウロウロしていた。夏休みといえども学習塾で勉強だったのだろうか、こんなに遅くまで子どもたちが街を彷徨っていることにビックリする。殺された少女も「2・3日帰らないことがあった」というし、野外テントを購入し家の前(?)で友だちと寝泊りしていたともいう。

 親の子への関心が薄くなったのか、大人たちが子どもたちを見守らなくなったのか、子どもたちが野放図になっている。子どもたちを自由にさせることに私は賛成だけれど、危険から身を守るためにも、ルールは教えておくべきだろう。子どもが成長していけば当然、ルールの範囲は小さくなっていく。

 私は中学1年の時、同じクラスの女の子が好きになった。1年が終わる時、担任と数人の男女で「ハイキング」に行った。私が企画したのは好きになった女の子と話をするためだ。帰りに「友だちになる」約束を得た。けれど、小さな町の中学生がふたりだけで会うなど出来ることではない。「逢引は不良行為」だった。「友だちになる」と約束しても、会うことも手紙をやり取りすることもなかった。

 2年の2学期が終わる時、彼女に「明日の午前11時に駅のプラットホームにいる。一緒に名古屋へ行こう」と告げた。翌日、駅で待った。来なかった。ここでは人目に付くから次の駅かも知れないと思い、来た電車に乗って次の駅で降りた。いない。1時間ほど来る電車を待ち、とうとうあきらめてひとりで名古屋まで行った。街にはジングルベルが流れていたが、とても悲しかった。「親が許さないから行けなかった」と彼女は言った。そんな時代だった。

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母と高校野球

2015年08月18日 18時03分32秒 | Weblog

 甲子園大会が今日は行われない。選手たちの身体のためには当然だろう。野手はともかく投手は連日投げ続けている。それでも明日は準決勝、明後日は決勝と続く。「ここまで来たら、腕が折れても投げる」と言う投手もいるが、やはり子どもたちの将来を思いやるのが大人の配慮というものだ。明日は第1試合が仙台育英と早稲田実業、第2試合が東海大相模と関東第一。私が思ったチームが勝ち残った。

 関東第一と戦った中京も安打数では上回っていたのに惜しい。接戦を制したチームが多かったということは、互いに差がなくどこが勝ち進んでもおかしくないということだ。愛知県の人間である私は、中京が残って決勝戦で早稲田と戦って欲しかった。組み合わせが違えば、仙台育英と早稲田は決勝戦で当たることになっただろう。明日は決勝戦を見ることになりそうだ。

 高校野球は母がよく聞いていた。母は教師を辞めて、家で裁縫教室を開いていた。多い時は昼間部と夜間部の2部制で教えていた。教えるだけでなく、頼まれた洋服を縫ったり、洋服だけでなく和服やセーターも仕上げていた。夏休みがあったのか、少ない生徒さんたちと縫物をしていたが、そんな時はラジオから高校野球が流れていた。浪商の尾崎投手の名前を記憶しているのも母が尾崎投手を応援していたからだと思う。少女たちと一緒になって、「キャー、キャー」声を上げていた。

 母はよく大声で笑った。性格も豪快だったのかも知れない。何でも人にあげてしまう。「お金がない」と言っていながら、知らない人が「お金を恵んで欲しい」と尋ねて来た時、生徒さんたちが「やめた方がいい」と言っていたのに、有り金を渡していた。「困った時はお互い様よ」と平気だった。少し知恵遅れの生徒さんがいた時も、その子の面倒をよく見ていて、仕事も回してお小遣いを渡していたが、仕上げは母がやっていた。

 ただ、本家の方の行事、お盆とかお正月とかあるいは法事とか、父は出ていたのに母の姿は一度も見たことがない。子どもの頃の私はそれを不思議に思わなかったけれど、どうして母は参加しなかったのだろう。いや、参加させてもらえなかったのかも知れない。祖父は大事な長男を盗った女と憎んでいたようだった。

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謝罪を続けることが不戦の誓い

2015年08月17日 18時15分17秒 | Weblog

 お盆が過ぎてもまだ残暑が厳しい。近頃では、お盆に休みを取らずに別の期間を夏休みにしているところが増えたという。それでも家族が揃って休みを迎えられるのはやはりまだお盆の時が多い。我が家も例外ではなく、この期間に私の兄弟、カミさんの血縁が集まる。赤ん坊だった子が20代の立派な社会人となり、その分、私たちは年老いたはずだが、気付かないでいるのは元気ということだ。

 終戦から70年。新聞やテレビは「戦争」を題材に特集を組んでいる。80歳を超えた先輩が、「戦争を知っている世代が少なくなった。ポツダム宣言も読んでいない首相が現れた。終戦が国民にどう映ったのか、現憲法をどんな気持ちで受け入れたのか、当時の雰囲気を知っている者は語り継ぐ責任がある」と言う。70年などと、途方もなく長い時間に思っていたが、自分が71歳になってみるとあっという間である。

 18世紀にヨーロッパで産業革命が起こり、人類は急速な発展を遂げてきた。大量生産を可能にした科学の進歩で宇宙でも生活ができるし、世界中が瞬時に情報を共有できる。けれども国家間の対立や民族の紛争、宗教間の殺戮などいっこうに解決されないままだ。第2次世界大戦を経て、殺し合うことがどんなに残酷で無意味なことかを知ったはずなのに、核兵器の廃絶へ進むこともできないでいる。

 安倍首相は70年談話で、「過去の行為を詫びてきた歴代の内閣の立場は今後も揺るぎない」と語る。また、憲法9条を引用し、「いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない」と言及している。集団的自衛権の行使と完全に正反対にある不戦の誓いを平気で並列する頭脳構造に驚くが、安倍首相は何も矛盾を感じていないのだろう。それが恐ろしい。

 さらに、「あの戦争に何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べているが、これは完全に間違っている。私たちの世代やもっと若い人の中には、「いつまで誤り続けるのか」と不満を言う人がいるが、犯した罪は永久に消し去ることはできない。だからこそ、再び戦争をしない決意の表明として、謝罪を続ける必要がある。決してゼロにはならないし、ゼロにしてはいけないのだ。

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再びパニックになる

2015年08月14日 18時09分25秒 | Weblog

 パソコンの画面に「Word10の無料ダウンロード」が頻繁に出て来た。以前、「更新の無料サービス」と送られてきたのでクイックしたところ、大パニックに陥ったことがあった。二の舞を踏んではならないのに、友だちのフェイスブックにWord10が掲載されていたので、Wordというソフトだけのことなのだから大丈夫だろうと勝手に思い込んでしまった。バージョンアップしたのだから使いやすいと思うのはやはり素人だった。

 やってしまってから慌てても後の祭りで、さっぱりわからない。Wordで文章を作り、これをコピーしてブログに貼り付けるのだが、それができない。ブログの文字の種類も大きさも決められない。四苦八苦して、よくわからないままに何とか出来た。翌日も同じことをしているつもりなのに出来ない。いつもなら原稿を書きだしてブログを完成させるまで、1時間もあればいいのに、必死な思いでパソコンに向かっているが2時間近くもかかってしまう。

 こんなことならダウンロードなどしなければよかった。Windowsの待ち受け画面が変わってしまったし、出てくるアイコンも違う。使っていって慣れるしかないのかと落ち込んでいる。「パソコンを本格的に勉強している」と言っていた人に聞いてみようかな、パソコン教室の先生に助けを求める方がいいのかな、とりあえずは自分で何とかしなくては‥と思い巡らしている。暑い夏がいっそう熱くなった。

 今日、安倍首相の戦後70周年談話が発表される。どんな文言になるのか注目している。戦争を体験した先輩たちは「再び戦争の道に進むような恐怖を感じる」と心配する。戦前に戻ることはないだろうが、若い自民党議員が「戦場へ行きたくないのはエゴだ」と主張するように、個人よりも国が優先されることになるだろう。個々の「愛」よりも全体の「利益」が重んじられるだろう。私の価値観とは正反対である。

 明日は私の兄弟につながる人たちが、明後日はカミさんの実家につながる人たちが集う。ブログは2日間休みます。

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健康診断

2015年08月13日 19時20分52秒 | Weblog

 70歳を過ぎたのだから、「健康診断は2年に1回でいい」と私は思うのだが、健康にうるさいカミさんは「毎年受けなきゃダメ」と譲らない。さっさと手続きをしてしまうので、私は黙って従うしかない。今日はその検査の日、朝8時30分前に始まって終わってみれば9時30分を少し過ぎたところだった。受けた検査は胃がん、肺がんで、大腸がんは採便で、前立腺がんは血液検査で分かるという。

 最後に医師が聴診器を当てて、「お身体の具合はいかがですか?」と問診をして終わる。「自覚症状はなにもありません。歳相応だと思います」と答えると、医師は「後日、検査結果が数値で知らされますので、これを参考にしてください」と1枚のプリントをくれた。ASTは肝臓の酵素ですとか、HDLは善玉コレステロールでLDLは悪玉コレステロールとか説明してある。そして最後に、「サラサラ・ドロドロ血液というのは医学的評価ではありません。気になされないように」とまで書いてあった。

 口のうるさい先輩は、「健康診断などというものは、医師が患者をつくるためにやっているようなもので、検査を受ければ再検査が必要となる。病院を維持していくための必要悪だな」と言う。住民健診で健康に注意を払うようになるのはいいけれど、過敏になる必要はないだろう。ましてや働き盛りの時なら、病気は不幸を呼ぶけれど、リタイアした年金暮らしはできれば早く去った方が世のためだ。

 午後は大和塾のチラシを封筒に詰める作業をみんなでやった。20歳の孫娘が子どもの頃はよく手伝ってくれたが、この頃は私がひとりでやってきたことが多くなっていた。最近はみなさんが手伝ってくれ、今日のように大勢で作業をするといろんな話が飛び出して作業も楽しくなる。ひとりの時は長い時間が大勢となるとあっという間に終わってしまう。大和塾の活動も10年になる。そろそろクライマックスだ。

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ババとジジは孫娘とデート

2015年08月12日 18時38分32秒 | Weblog

 久しぶりに20歳になった孫娘に会うために、彼女がバイトをしている名古屋駅前に出かけた。電車に乗るのも、繁華街を歩くのも久しぶりだ。夏の繁華街は女性たちの多くが素肌を見せて眩しい。手足はもちろん背中まで素肌を出し、人目を引く若い女性もいる。年寄りの私は見ていいのかと戸惑いながら目で追ってしまう。遅れてやってきた孫娘はすっかり夏の女子大生になっていた。

 ババとジジは孫娘の誕生日祝いに、彼女の欲しいものを買ってあげる約束だ。「何がいいの?」と聞くと、「水着にしようかな」と言う。せっかくの機会なのに欲のない子だ。テレビで湘南海岸を放映していたけれど、若い女の子は誰もがビキニ水着だ。ババは無難なものを選ぼうとするので、できれば可愛い水着を買ってあげなさいと伝え、私は他の売り場を見て回った。しばらくして戻るがまだ時間がかかりそうだ。もう2回りして来よう。

 食事の時、孫娘が「まだ言ってなかったけど、ボーイフレンドができた」と言う。「えっ、告白されたの?」とババとジジは興味津々で聞く。「8月1日に花火を見に行った時、付き合って欲しいと言われた」。「えっ、そうなの。それで、なんて答えたの?」。でも、よく考えてみればまだ10日間ほどしか経っていない。「デートはしたの?」。「映画観にいった。だけど眠っちゃった」。「嫌に思われてない?」。「うん、バカにされてる」。

 20歳になったのに、これまでボーイフレンドができなかったことが不思議だが、ちょっと晩稲の孫娘はどちらかいえば慎重なタイプで、積極的に自分からいくことはない。ババやジジはそのくらいぼんやりしている方が可愛いのだ。男たちは美人が好きだが、それは男の性がそうさせる。そして実際に付き合い始めると、美人よりも相手がいっそう可愛くなる。私はちょっと変わった女の子を好きになる。

 「パパに似てる。車が大好きで、身体を動かすことが好きで、フットサルに夢中になってる」。そうか、こんな風に時々はボーイフレンドのことを聞かせて欲しい。ボーイフレンドに会わせて欲しいような、まだ欲しくないような複雑な気持ちでいる。

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戦後の日本が育てたもの

2015年08月11日 19時08分24秒 | Weblog

 働くことの意味は、はた(側)をらく(楽)にすることだと先輩は言う。人が動くのではなく、人のために動くことが働くことなのだと教えてくれた。かなり屁理屈だと思うけれど、そう考えれば働くことも楽しくなる。先輩はさらに、「今の子どもたちは精神が貧しくなった」と嘆く。何をもってそう言うのか、はっきり分からなかったけれど、話を聞いているうちに、他人に対して思いやりがなく自分勝手であると言いたかったようだ。

 子どもたちが全員、わがままで思いやりに欠けるとは思わない。そういう子もいることは確かだけれど、おそらくいつの時代もそういう子はいただろう。「日本の美しい伝統的な精神をGHQが破壊した」とか、「日教組が利己的な子どもをつくった」とか、そこまで言い出すと、「それは違うと思います」と反論したくなるが、先輩の顔を立て沈黙する。先輩たちの年齢の人には結構そんな風に考える人がいる。

 GHQが日本の伝統的な精神を破壊したのは当然で、天皇制を残しながら、軍国主義を復活させないためだったが、おかげで戦後の日本人は民主主義を曲がりなりにも手に入れた。GHQは個人の尊重に重点を置いたけれど、それは戦後の日本が再出発するための必要なエネルギーとなった。資本主義の根本は個人主義であり、経済復興の原動力となって世界第2の経済国家にまで進むことが出来た。

 個人主義は残念ながら利己的な面を伴う。利己的な子どもたちをつくったのは日教組というより、戦後の経済活動の産物である。社会そのものがつくりだした。戦後社会で働いてきた私たちは、マイホーム・車・電化製品・レジャーをどん欲に求め、他人よりもよい暮らしに努めてきた。そのため物品に価値を見出し、したがって精神は荒廃した。精神的なものに目を向けてみようという提案を私も支持するけれど、日本人の怖いところはいくつもの選択肢を許さないことだ。

 いや、日本人の伝統的な精神はあいまいさで、何でも受け入れる寛容さだ。若い頃の私はそれがとても嫌だったが、年取ってみるとグダグダと右へ左へと迷いながら、少しずつ進んでいくのが人の常だと思えるようになった。そのためには、一人ひとりが自分の考えを持つことが大事、つまり個人主義の徹底が民主主義を育てると思うようになった。

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脳ミソが煮えると詭弁が通る

2015年08月10日 17時50分03秒 | Weblog

 立秋は過ぎたのに、暑い日が続いている。脳ミソが煮えてしまったのか、何もしたくない。朝からテレビで高校野球を眺め、眠くなっては寝てしまう。幸い今日は風があり、エアコンも要らないが、こんなだらしない生活をしていていいのかと不安になる。球児たちの中にも熱中症にかかる子もいる。グランドはすり鉢状の底だからかなりの暑さだろうし、応援する人や観戦する人のスタンドはコンクリートだから熱せられるだろう。

 昨日は野球観戦を中断して、長崎の平和祈念式典の中継を見た。市長は「憲法の平和の理念が揺らいでいるのではという不安と懸念が広がっている」と指摘し、安保関連法案の慎重な審議を求めた。続いた被爆者代表はさらに、「政府が進めようとしている安保関連法案は、被爆者をはじめ平和を願う人々が積み上げてきた核兵器廃絶の運動や思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできない」と述べた。

 市長の平和宣言の時も、被爆者の平和への誓いの時も、会場から大きな拍手が送られた。安倍首相のあいさつは広島の時とほぼ同じ内容だった。違っていたのは「非核三原則」に触れていないとの批判に答えて付け加えたところだけだ。広島の時は会場から、「安保関連法案反対」とか「9条を守れ」とか野次がよく飛んでいたが、長崎は控えめのようにテレビからは見えたけれど、今朝の新聞には「戦争反対」と書かれた紙を揚げた人もいたとある。

 安保関連法案が成立すれば、「米軍の核兵器も運ぶことは出来る」と中谷防衛大臣が答えているのに、自民党の高村副総裁は「核弾頭を運ばないことは日本人の常識。排除規定はないが、あり得ないから法案に記していない」と言い、「あり得ないことを追及する無意味な議論はやめてもらいたい」と民主党を批判した。「戦争放棄」と憲法に書いてあるのに、「自衛権は認めている」と解釈し、さらに「環境が変わった」ので「集団的自衛権も認められる」と平気で言う人は信用できない。

 国民の脳ミソが煮えてしまうと、詭弁がまかり通るようになる。私の脳ミソはまだ大丈夫だろうか?

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魅力的な大人の女性はいっぱい居るのに

2015年08月09日 18時12分16秒 | Weblog

 夏祭りの会場へ行こうとすると、女の子が泣いている。小学4年の可愛い子で、浴衣を着せてもらって楽しいはずなのに、顔は涙でグシャグシャになっている。「どうしたの?」と尋ねると傍らの母親が「男の人に連れ去られそうになったの」と教えてくれる。「警察に連絡したので、もうすぐ来ると思います」と言う。私の娘も昔、マンションのエレベーターで下半身を露出した男に出会ったことがある。

 女の子を連れ去ろうとした男がマンションの住民かどうかは分からないが、昨夜のような祭りには住民でない人も大勢来ている。こんな楽しい時でなければならないのに、卑劣な奴がいる。警察官が何人も来ていたが、心配なのは詳細に聞き取りが行なわれ、かえって女の子がトラウマにならないかということだ。「恐かった」というだけの体験ですめばいいが、男性恐怖症にならないだろうかと心配になる。

 女性が性に目覚めるのがいつなのか分からない、小学4年はまだそういう時期でなければいいと思う。人生が楽しいことばかりでないこと、山があれば谷があること、そんなことは大人になれば自然と理解できる。異性が好きになり、一緒にいたいと思う、それが人間の自然な欲望なのに、男性は恐い存在と思い込むことになれば人生の楽しさを失うことになる。

 子どもたちの環境は悲しいことに悪くなっているようだ。文部科学省の調査では、不登校の小中学生は12万292人で、前年度より3,285人増えているという。どうして学校へ行けなくなったのか理由も様々だろうけれど、「行けない」現実があることは確かだ。絶対に学校へ行かせるべきだとは私も思わないが、「行けなくなった」原因をとらえることは大人の責任だろう。

 大人なのに幼い女の子に興味がある男がいることは事実だから、それを失くすことは永久に無理だろう。けれども、「いたずら」させない周りの厳しさは構築できる。好きになったり興味を抱いたりすることを否定すれば陰湿さに向かうだろう。大人の恋愛が出来ない男が多くなってしまったのかも知れない。魅力的な女性はいっぱいいるのに見つけ出す能力が男たちに欠けてきたのだろうか。

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