友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

母と高校野球

2015年08月18日 18時03分32秒 | Weblog

 甲子園大会が今日は行われない。選手たちの身体のためには当然だろう。野手はともかく投手は連日投げ続けている。それでも明日は準決勝、明後日は決勝と続く。「ここまで来たら、腕が折れても投げる」と言う投手もいるが、やはり子どもたちの将来を思いやるのが大人の配慮というものだ。明日は第1試合が仙台育英と早稲田実業、第2試合が東海大相模と関東第一。私が思ったチームが勝ち残った。

 関東第一と戦った中京も安打数では上回っていたのに惜しい。接戦を制したチームが多かったということは、互いに差がなくどこが勝ち進んでもおかしくないということだ。愛知県の人間である私は、中京が残って決勝戦で早稲田と戦って欲しかった。組み合わせが違えば、仙台育英と早稲田は決勝戦で当たることになっただろう。明日は決勝戦を見ることになりそうだ。

 高校野球は母がよく聞いていた。母は教師を辞めて、家で裁縫教室を開いていた。多い時は昼間部と夜間部の2部制で教えていた。教えるだけでなく、頼まれた洋服を縫ったり、洋服だけでなく和服やセーターも仕上げていた。夏休みがあったのか、少ない生徒さんたちと縫物をしていたが、そんな時はラジオから高校野球が流れていた。浪商の尾崎投手の名前を記憶しているのも母が尾崎投手を応援していたからだと思う。少女たちと一緒になって、「キャー、キャー」声を上げていた。

 母はよく大声で笑った。性格も豪快だったのかも知れない。何でも人にあげてしまう。「お金がない」と言っていながら、知らない人が「お金を恵んで欲しい」と尋ねて来た時、生徒さんたちが「やめた方がいい」と言っていたのに、有り金を渡していた。「困った時はお互い様よ」と平気だった。少し知恵遅れの生徒さんがいた時も、その子の面倒をよく見ていて、仕事も回してお小遣いを渡していたが、仕上げは母がやっていた。

 ただ、本家の方の行事、お盆とかお正月とかあるいは法事とか、父は出ていたのに母の姿は一度も見たことがない。子どもの頃の私はそれを不思議に思わなかったけれど、どうして母は参加しなかったのだろう。いや、参加させてもらえなかったのかも知れない。祖父は大事な長男を盗った女と憎んでいたようだった。

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