友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

魅力的な大人の女性はいっぱい居るのに

2015年08月09日 18時12分16秒 | Weblog

 夏祭りの会場へ行こうとすると、女の子が泣いている。小学4年の可愛い子で、浴衣を着せてもらって楽しいはずなのに、顔は涙でグシャグシャになっている。「どうしたの?」と尋ねると傍らの母親が「男の人に連れ去られそうになったの」と教えてくれる。「警察に連絡したので、もうすぐ来ると思います」と言う。私の娘も昔、マンションのエレベーターで下半身を露出した男に出会ったことがある。

 女の子を連れ去ろうとした男がマンションの住民かどうかは分からないが、昨夜のような祭りには住民でない人も大勢来ている。こんな楽しい時でなければならないのに、卑劣な奴がいる。警察官が何人も来ていたが、心配なのは詳細に聞き取りが行なわれ、かえって女の子がトラウマにならないかということだ。「恐かった」というだけの体験ですめばいいが、男性恐怖症にならないだろうかと心配になる。

 女性が性に目覚めるのがいつなのか分からない、小学4年はまだそういう時期でなければいいと思う。人生が楽しいことばかりでないこと、山があれば谷があること、そんなことは大人になれば自然と理解できる。異性が好きになり、一緒にいたいと思う、それが人間の自然な欲望なのに、男性は恐い存在と思い込むことになれば人生の楽しさを失うことになる。

 子どもたちの環境は悲しいことに悪くなっているようだ。文部科学省の調査では、不登校の小中学生は12万292人で、前年度より3,285人増えているという。どうして学校へ行けなくなったのか理由も様々だろうけれど、「行けない」現実があることは確かだ。絶対に学校へ行かせるべきだとは私も思わないが、「行けなくなった」原因をとらえることは大人の責任だろう。

 大人なのに幼い女の子に興味がある男がいることは事実だから、それを失くすことは永久に無理だろう。けれども、「いたずら」させない周りの厳しさは構築できる。好きになったり興味を抱いたりすることを否定すれば陰湿さに向かうだろう。大人の恋愛が出来ない男が多くなってしまったのかも知れない。魅力的な女性はいっぱいいるのに見つけ出す能力が男たちに欠けてきたのだろうか。

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