暑さが再びやってきた。子どもの頃、夏といえば冷や奴とそうめんだった。祖母が稀にどじょうのかば焼きを買ってきてくれたがすごくうまかった。祖母が亡くなり、兄嫁が台所をするようになって、食卓が変わった。マヨネーズとかケチャップが出てきた。ケチャップで思い出すことがある。大学2年の時に我が家は倒産し、家族は離散した。私は大学の先生の家に住み込み、家庭教師と運転手と雑用係で小遣いまでもらった。
先生が学生たちを集めて、「スパゲティをごちそうしてやる」と言われた。先生はイタリアに留学した経験があり、イタリア料理など食べたことのない私たちに自ら料理してくれた。庭にテーブルを出して皿を並べ、七輪で湯を沸かし、麺を茹でてケチャップをからました。ちょっと変わったことをして学生を喜ばす先生だったので、私は長い間、そうめんだったと思い込んでいたが、本当はスパゲティの麺だったのかも知れない。
私が結婚する時、「いいものを上げるわね」と先生の奥さんが言った。届いたプレゼントは本格的なディナーセットだった。冷や奴とそうめんばかり食べていて、ステーキなど食べたことがない私には憧れの食器だった。ディナーセットを使う食事を家庭ですることはないけれど、それに類するような食事が日常になったのだから、確かに日本は豊かになった。
先生のおかげで結婚もできた。自分が親になって初めてカミさんのお父さんの気持ちが分かった。私は先生のおかげで高校の教員になれた。両親は教師で家は材木屋だったとはいえ、すでに親は亡く家は倒産し、言ってみればどこの馬の骨とも分からない存在だった。娘の結婚相手にふさわしいのかとても不安だったと思う。しかも内ゲバに巻き込まれて教員を辞めた。この時の義父は絶望に近いものがあっただろう。
けれど、義父から一度も嫌味を言われたことはなく、愚痴一つ聞いたことがない。先生やカミさんの両親、血縁の人たちやたくさんの友だちに助けられて今の自分がある。麦が描かれた食器セットを見ると、先生と奥さんの顔が見える。