友々素敵

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謝罪を続けることが不戦の誓い

2015年08月17日 18時15分17秒 | Weblog

 お盆が過ぎてもまだ残暑が厳しい。近頃では、お盆に休みを取らずに別の期間を夏休みにしているところが増えたという。それでも家族が揃って休みを迎えられるのはやはりまだお盆の時が多い。我が家も例外ではなく、この期間に私の兄弟、カミさんの血縁が集まる。赤ん坊だった子が20代の立派な社会人となり、その分、私たちは年老いたはずだが、気付かないでいるのは元気ということだ。

 終戦から70年。新聞やテレビは「戦争」を題材に特集を組んでいる。80歳を超えた先輩が、「戦争を知っている世代が少なくなった。ポツダム宣言も読んでいない首相が現れた。終戦が国民にどう映ったのか、現憲法をどんな気持ちで受け入れたのか、当時の雰囲気を知っている者は語り継ぐ責任がある」と言う。70年などと、途方もなく長い時間に思っていたが、自分が71歳になってみるとあっという間である。

 18世紀にヨーロッパで産業革命が起こり、人類は急速な発展を遂げてきた。大量生産を可能にした科学の進歩で宇宙でも生活ができるし、世界中が瞬時に情報を共有できる。けれども国家間の対立や民族の紛争、宗教間の殺戮などいっこうに解決されないままだ。第2次世界大戦を経て、殺し合うことがどんなに残酷で無意味なことかを知ったはずなのに、核兵器の廃絶へ進むこともできないでいる。

 安倍首相は70年談話で、「過去の行為を詫びてきた歴代の内閣の立場は今後も揺るぎない」と語る。また、憲法9条を引用し、「いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない」と言及している。集団的自衛権の行使と完全に正反対にある不戦の誓いを平気で並列する頭脳構造に驚くが、安倍首相は何も矛盾を感じていないのだろう。それが恐ろしい。

 さらに、「あの戦争に何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べているが、これは完全に間違っている。私たちの世代やもっと若い人の中には、「いつまで誤り続けるのか」と不満を言う人がいるが、犯した罪は永久に消し去ることはできない。だからこそ、再び戦争をしない決意の表明として、謝罪を続ける必要がある。決してゼロにはならないし、ゼロにしてはいけないのだ。

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