友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

中学生たち

2015年08月19日 17時59分40秒 | Weblog

 大阪府高槻市の運送会社の駐車場で見つかった遺体は、寝屋川市の中学1年の女子生徒だった。遺体が発見されたのは13日の深夜で、この日の朝まで殺された少女は友だちとラインでやり取りしている。少女は同じ中学校の男子生徒と朝まで一緒にいたことが寝屋川市駅前の商店街のカメラに映っていたことも分かった。映像を見ると、少女が主導的で少年は付いて回っている。

 午後10時過ぎ、商店街のカメラの前でテレビ記者が報道していたが、周りには小学生らしい子どもたちが自転車でウロウロしていた。夏休みといえども学習塾で勉強だったのだろうか、こんなに遅くまで子どもたちが街を彷徨っていることにビックリする。殺された少女も「2・3日帰らないことがあった」というし、野外テントを購入し家の前(?)で友だちと寝泊りしていたともいう。

 親の子への関心が薄くなったのか、大人たちが子どもたちを見守らなくなったのか、子どもたちが野放図になっている。子どもたちを自由にさせることに私は賛成だけれど、危険から身を守るためにも、ルールは教えておくべきだろう。子どもが成長していけば当然、ルールの範囲は小さくなっていく。

 私は中学1年の時、同じクラスの女の子が好きになった。1年が終わる時、担任と数人の男女で「ハイキング」に行った。私が企画したのは好きになった女の子と話をするためだ。帰りに「友だちになる」約束を得た。けれど、小さな町の中学生がふたりだけで会うなど出来ることではない。「逢引は不良行為」だった。「友だちになる」と約束しても、会うことも手紙をやり取りすることもなかった。

 2年の2学期が終わる時、彼女に「明日の午前11時に駅のプラットホームにいる。一緒に名古屋へ行こう」と告げた。翌日、駅で待った。来なかった。ここでは人目に付くから次の駅かも知れないと思い、来た電車に乗って次の駅で降りた。いない。1時間ほど来る電車を待ち、とうとうあきらめてひとりで名古屋まで行った。街にはジングルベルが流れていたが、とても悲しかった。「親が許さないから行けなかった」と彼女は言った。そんな時代だった。

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