夕方5時、まだ陽は高く暑さも厳しい。学校の校庭で地域の夏祭りが始まった。「ピーヒャラ、ピーヒャラ、ドンドン、ピーヒャラ、ドンドン」と笛と太鼓の軽快な音が聞こえる。私が生まれ育った町では、夏は秋葉神社で雨乞いのため万灯が奉納された。青森のねぶたを小さくしたような武者姿の張りぼてを若衆が担いで舞う。張りぼてはそれぞれの町内が工夫を凝らして作り、1日目は丁寧に優美に担ぎ、2日目は勢いよく荒っぽく舞う。時には他所の町内の張りぼてとぶつかり合うケンカ祭りになることもあった。
小学校のクラス会の時に、万灯が踊る通りは寂れてしまいシャッター通りになっているので、「続いているの?」と尋ねると、「ああ、続いているよ。今、オレが責任者」と答えてくれた。狭い道路を我が物顔で踊る万灯、見物人は押し合いながら「キャー、キャー」声を上げていた。小学校は越境で通っていたが、近くの町内会の子ども会に入れられていたので、祭りの時はその町内会の山車について回った。若衆に可愛がられてよく面倒を見てもらったが、中学になると子ども会を抜けるので、一人の祭りの見物客だった。
盆踊りは地域ごとに行われていたが、あまり興味がなかった。秋には丸い柵の中で裸馬を走らせ、若衆がくつわを掴んで一緒に走る勇壮な祭りが行われた。戦国時代なのか徳川時代になってからか定かではないが、戦場で使う馬を調達するためだったと聞く。今はもう、馬を飼っている農家はないから、この馬駆けの祭りは続いていないだろう。春は緞帳で飾った山車が神社に揃う優雅な祭りも行われた。「祭りが好きだね」と言うが、日本中どこでもこんな風に祭りが行われてきたと思う。
徳川3百年、戦争がなかったことが大きな要因だろう。それに祭りは無礼講でもあったから民衆のガス抜きの役割も果たしていただろう。人々は着飾り、酒を飲み、いつもとは違う食べ物を口にし、男は女を口説き、規則や慣習からハメを外して騒いだことだろう。祭りはかりそめの自由で、終われば再び辛い日々となる。それでも次の祭りを夢に頑張ってきたのだろう。子どもたちの大きな声がここまで聞こえてくる。
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