高校生の頃、個人主義と利己主義について議論したことがある。結論から言えば、利己主義は己の利益しか考えないから否定された。個人主義は個々の人間の存在を認め合うことに立脚する。世間に流されない自己を確立することが民主主義の根幹であると。今朝の新聞を読んで、遠い昔のことを思い出した。自民党の衆議院議員、武藤貴也(36歳)さんが安保関連法案に反対する学生グループ「SEALDs(シールズ)」をツイッターで批判したからだ。
武藤議員は「(シールズの主張は)『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」と言う。私は、「戦争に行きたくない」ことが利己的な考えと思わない。それを利己的だと決め付けるのは戦前と同じ思想である。
武藤議員は「世界中が助け合って平和を構築しようと努力している中に参加することは、もはや日本に課せられた義務であり、正義の要請だ」と考えているが、アメリカと中国・ロシアが対立している中で、アメリカに組することが平和を構築する道だろうか。軍事に頼らない世界を目指すことこそが「日本に課せられた義務であり、正義の要請」だろう。
シールズをネットで調べてみたら、たくさんの書き込みがある。シールズは日本共産党と深くかかわっていると指摘している。中央集権的な組織である共産党や公明党は好きではないが、共産党とかかわっているとなぜイケナイのだろう。60年安保闘争の時のように、学生たちが共産党をのり越えていくことだってあるだろう。学生たちがどれだけ自由な発想を持っているかが鍵になる。
ネットでは若い保守政治家の発言が目立つ。彼ら30代は戦後教育で育った私たちとは若干違う。私たちは、世界中の人たちと仲良くし、憲法9条を誇りに思ってきたけれど、彼らは「9条信者は左翼勢力。自国の国防の危機にも頭はお花畑状態、国防を危機に曝し、同盟国との連携を拒否し、どうやって日本を守るのか具体的な対案もない」(行橋市議)と言う。歴史を見ても、軍事力で平和を構築することは出来ない。
それにしても「売国奴図鑑」なるブログは凄まじい。個人の思想信条の自由をネット上で暴露しているが、逆に公開されても動じることのない社会に進んで欲しいと思う。