友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

孫娘の食事会

2008年03月20日 19時27分41秒 | Weblog
 中学1年の孫娘が、「もうすぐ1年生が終わるので、クラスの女子でお別れ会をやろうということになったのね」と話す。母親たちが、打ち上げ会だの食事会だの、いろいろな名前をつけてみんなで集まって騒いでいるのを見ているから、そんなことを考えたのかもしれない。「でも、ママ許してくれるかな」と心配する。

 その彼女の心配が的中した。目を真っ赤にして「ママ、ダメだって」と言ってきた。「でもさ、提案したのはあなたなんでしょう?そのあなたが行かないのではみんなに悪いじゃーないの?」と聞くと、「言い出したのは私じゃない。誰かわからないけれど、みんなで行こうとなったの。でも、もういいの。ママがダメと言うのだから、みんなには私が謝る」と言う。

 出かけることが悪いことなら、友だちも行かせないのが正しい判断だと思うけれど、友だちが行くのは仕方ないが、孫娘が行くのはダメというのは、私には理解できない。「ママはどうしてダメだと言うの?」と聞いてみた。長女が子どもの頃は、かなり遠い祖母の家の近くの公園まで、友だち何人かと自転車で出かけていた。今回のように、みんなで食事会に行くことはなかったけれど、やりたいという事は結構大目に見てきた。私がダメと言ったは、友だちの家に泊まりに行くことだけだ。相手の親に負担をかけることは避けたかったからだ。ところが母親の立場になると違うもののようだ。

 「ママは、自分で働いてもいないのに、お金を遣う食事会はダメということと、12・3歳の子どもばかりで出かけることをよいとは思わないと、言っていた。私もそう思うからそれでいいの」と答える。確かに働いていないが、働かせてはいないのだから当然だ。けれどもみんなそれぞれに小遣いやお年玉で、自分が遣えるお金は持っているだろう。それを遣ってはダメというなら、彼女たちは何も買えない。12・3歳の女の子ばかりで、食事のためにお店に出かけるのは、やはり不安はある。

 学校が、「子どもばかりで出かけてはいけません」と言うのはなぜなのだろう。出かけていって、何かトラブルが起きた場合、学校は何をしていたのかと世間はすぐに問題にする。そこで学校は、「学校以外の場で起きたことに、学校に責任はありません」とはっきり宣言すればよいのに、非難を恐れてそれを言わない。言わない代わりに、「子どもだけで出かけてはダメだ。出かける時は親と一緒に」と指導する。これは、責任は学校ではなく親にあること、つまり責任論から逃れるためである。

 学校以外のところで何かが起これば、責任は当然親にある。子どもだけで出かけようと、親が責任をきちんと引き受ければすむことではないか。それを親の方が「学校は何をしていたのか?」と、あたかも学校に責任があるような言い方をするから、学校としては「親と一緒でなければダメ」と言わざるを得ない。親の無責任さこそが学校を本当に悪くしていると思う。

 こうなれば、ジジババの出番である。「私たちもそのお店でお昼を食べることに決めた。それなら、出かけてよいか、ママに聞いてみたら」と話す。すぐに笑顔になって「ありがとう。ママはいいって!」とみんなとの待ち合わせの場所へと出かけていった。既に何人かの女の子たちが、それぞれにしかしまあ似通った服装で集まっていた。こんな風に少女となり大人の女性になっていくんだなあーと思った。
コメント
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