友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ベトナム人との食事会

2008年03月24日 21時51分31秒 | Weblog
 昨夜は日本語を教えていたベトナムの若者たちとのお別れ会を行った。いよいよ3年間の研修期間が終わり、国に帰るというので、それではお別れ会をしようということになったのだ。ところがいったい何人参加するのか、いっこうにハッキリしない。だんだん頭にきて、直接会社に出向いて確かめてみた。休日でも出勤していることを知っていたからだ。工場で彼らを捕まえて、誰が出席するのかと聞いてみた。すると何人かが出席するといってくれたので、ちょっとホッとした。

 ところが、開始の午後6時になっても一人しか来ない。やはり、6時では少し早すぎたようだ。30分ほど遅れて集まってくれたからいいようなものだが、それならそれで、6時30分からにして欲しいと言ってくれればよいのにと思ってしまった。会場の予約が必要であることや、予約しなければ大勢の人数ではお店が困るから、たいていは前もってお店に参加人数と料理を注文しておくのが日本の習慣だと説明したが、果たして理解できるかどうかは疑問だ。

 先日のバングラディシュの報告会でもそう聞いたし、アメリカでも同様だったが、外国ではパーティーとなると知らない人でも平気で参加することが多いようだ。食事は重要なコミュニケーションだから、誰がやってきても拒まないのだろう。日本でも一昔前は、これに近い慣習があった。お祭りなら無礼講で、みんなで飲んで騒ぐのが当たり前だった。食事会に出席するかしないかは、それほどの大きな違いを感じていないのではないか、そんな気がしていた。

 日本人はとてもあいまいな言い方をする。なるべく角立てないための工夫だが、何が正しくて何が悪いのかまでもウヤムヤにしてきた。それでも、日本人は約束したことはきちんと守る。電車は時間どおりに走っている。ウヤムヤな性格なのにそういう点は律儀なのだ。律儀とはね‥と話す。参加すると言ったらこれを実行する。もし、できなくなったなら早めに連絡する。これは日本での生活の基本的なルールだと諭す。

 すると一人が、「うまく日本語で言えませんが」と前置きして話し始めた。私たちは先生たちにいつもお世話になっている。味噌汁(?)わからない時、次の週には作って持ってきてくれた。果物やお菓子もいただいた。本当は私たちが先生たちにお礼をしなくてはいけない。だから、これ以上お世話になることはいけない。そんな意味のことを言う。「ああ、そうだったんだね。よくわかった。そういうのをね、遠慮!って言うんだよ」と私はまた、日本語の解釈をしてしまう。

 彼らがそんな風に考え、お別れ食事会を辞退したなら、またそれを乗り越えて参加してきてくれた彼らに、親しみと感謝の気持ちを抱いた。この日に来られなかった一人が電話をかけてきて、「先生と二人で会いたい」と言う。私たちがやってきたこと、彼らとの親睦と交流がいつか生かされる日が来ることを願っている。
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