友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

曽野綾子講演会

2008年03月29日 22時51分14秒 | Weblog
 桜がほぼ満開になっている。けれども今日は花冷えで、風も冷たい。例年行っている私たちの夜桜の宴は来週の土曜日に予定しているけれど、この寒さなら持ちそうな気がする。

 電車に乗ると車窓に満開の桜が次々と現れる。やはり日本人は桜が好きだ。1本の大きな桜もそれなりの風情があるが、やはり群生の桜が目につく。昨日出かけた美濃市への道すがら、たくさんの桜を見つけた。「朝見る桜と昼からの桜では咲き方が違うね」と言う人がいたが、そんなオーバーなと思って聞いたが、実際に昼からはより多くの花が咲いていたような気がした。

 いけばなの先生は「私は満開になる前の方が好き」と言う。「いやいや日本人は散っていく桜にものの哀れを感じ、愛でたんですよ」と反論する人もいる。「それでも、散っていくのはとてもやりきれないからイヤですわ」といけばなの先生。花の美について、そんなやり取りが行われているのを桜は知っているだろうか。

 車に乗り込む時、塾生で一番若い女性が「よいしょっと!」と言う。これを聞きつけた男性が「よいしょっとはいただけませんね。百年の恋も冷めてしまいます」と言う。「あら、そんなことを言ってしまったのかしら。気をつけないといけませんね」「そうですよ。憧れをぶち壊すようなことはダメですね」。そこでみんなで大笑いになったからよかった。ここが大人のよいところだ。

 今日、犬山ホテルでロータリー主催の講演会が行われた。講師は曽野綾子さん。演題は『貧困の光景-ほんとうの貧しさを知らない日本人の精神の貧しさを問う-』というものだった。「格差社会というけれど、アフリカなどの貧しさはそんなものではない」と曽野さんは言う。ロータリアンは社会の上層階級の人たちが多いはずだ。また経営者として、安い賃金で外国人労働者を働かせているかもしれない。腕にロレックスの時計をはめ、センチュリーを乗り回しているロータリアンは曽野さんの話をどんな気持ちで聞いていたのだろう。

 「貧しいとは今晩食べるもののないことを言います」と、曽野さんは話す。「どうするか、一つは水を飲んで我慢する。ところが水さえ飲めないところもあるんです。二つは人から恵んでもらう。三つは、盗む。手っ取り早いのは盗むんです」。「自分がどうするかではなく、日本人は両隣を見て、生きている。人のことばかりに気を使っているんです」と話す。キリスト者の曽野さんからすれば、絶対者を持たない日本人のあいまいさに問題点があると指摘する。

 「嫌いな人を好きになることはないのです。嫌いな人でもやらなければならないことはやればいいのです。尽さなければならない人にはたとえ形だけでも尽くすことが大事なんです。それが愛なのです。」なるほどと私は深く感動した。
コメント (3)
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