友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

宴会の席で一番いやなこと

2008年03月12日 23時20分36秒 | Weblog
 宴会の席で一番イヤなのは、男のえげつなさをむき出しにして平気でいる奴がいることだ。私が教員になりたての時の宴会もうんざりした。上の人が嫌味の一つ二つ言いながら「俺の酒を飲め」と杯を差し出すことはよくあった。もちろん、「ありがとうございます」などと言って無理やり飲んだけれど、自分からお酒を注いで回ることはしなかった。酒は楽しく飲みたい。酒の席をいいことにして、無礼講だなどと言う人がどうもなじめない。

 もちろん、お酒を飲むのだから、ワーワーと騒ぐことを馬鹿げているなどと思ったことはない。飲んで騒いで歌でも歌い、踊りでも踊れるものなら踊って騒ぎたい。ところが騒ぐことを間違える人がいる。無礼講だから何をしてもかまわないと勘違いしている人がいる。教員の時の宴会では、若い養護教諭を別室に連れ込んだ部長先生がいた。私たち若手は頭に来て、帰りのバスで、その部長先生と大喧嘩になってしまった。全く恥を知らないというか、今なら完全にクビだろう。

 議員になった時も、コンパニオンに対してお乳やお尻など、滅茶苦茶にさわる人がいた。自分たちが住民の皆さんから選挙で議員にさせてもらっていることを完全に忘れている。コンパニオンだって、お金をもらっているとはいえ、身体を売っているわけではないのだから、あまりにえげつないことをされては頭に来ることだってある。「おさわり」させる飲食店はそれなりの値段をお客から取るだろう。それにしても、金を払えば何をしてもいいという「えげつなさ」が私はイヤだ。

 たとえ一時の宴会の席であっても、お酒の相手をしてくれる女性と「恋」に落ちるくらいに真剣に、付き合って飲みたい。そんなことは叶わぬ願望だと言う。だいたい、宴席でそんなものを求めるべきではない。適当に「おさわり」し、騒いで、そこそこにやれと言う。言われるとおりだと思う。だから、宴会は、早く終わってくれることが一番うれしい。コンパニオンやお酒の相手の女性に、一度も女性に触れたことがないのかと思うほど、えげつない接し方をする人が私は嫌いだ。

 こういう人は相手を思いやる気持ちがないのだから、恋愛はしたことがないに違いない。女をもののようにしか見ていない馬鹿な男だ。愛し愛されることの喜びも充実も知らず、ただひたすら「えげつなさ」に喜々としている情けない男だ。お酒は楽しい仲間と馬鹿馬鹿しいくらいに楽しい話を結構真剣にやりながら飲むのがいい。今の私はそういう友に恵まれて、実に楽しく酒が飲める。
コメント (2)
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