友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

床屋のカミさん怒る

2008年03月02日 23時00分31秒 | Weblog
 床屋へ行ったら、床屋のカミさんが「もう、ホントに腹が立っちゃう。私らみたいに真面目に働いて、税金ばかり取られて、こんなおかしな世の中早く変えなきゃーダメですよね」と言う。もちろんカミさんは、私が自民党ひいきでないことを知っているから、そういう話をしてくるのだが、彼女の本音でもある。一生懸命に働いても、貯まるお金は知れている。ところが、自分たちだけは濡れ手に粟のようにお金を手に入れる仕組みを作っている人たちがいる。

 床屋のカミさんが怒っているのは、国家公務員の天下りのことだ。3月2日付けの「中日新聞」によれば、道路整備特別会計から、国土交通省の天下り先に1,888億円もの補助金を支出している。同省から1,285人が役員や職員として天下りしているとも報じている。しかも、2箇所目の天下りという人もいるし、年収2,142万円をも受け取っている人さえいる。こうした独立法人や公益法人の常勤役員のうち38人が国土交通省の0Bで、その年収は1千数百万円から2千万円近いとも報じられていた。

 国家公務員だけでなく、県職員も市町職員にもそうした傾向は見られる。それも、一般職にあった人ではなく、幹部クラスの職員である。幹部クラスの職員なら、退職後もお金に困ることはないほどの退職金を得ているのに、どうしてこのような優遇が生まれるのか。それは、政治の癒着の構造と言ってよいと思う。行政のトップにいる連中は住民のためというよりも、スムースな行政運営を第一に考えているから、そのためには議員の要求は受け入れるし、うるさい住民の意見は取り入れる。そしてまた、行政のためによく働いた連中には褒賞としての天下りが用意されるというわけである。そうしたシステムを作り上げておけば、それはまたいつかは自分のためにもなるからでもある。

 国も県も市町村も、ほぼ同じ構図だと言ってよいだろう。こんなおかしなことがどうして許されるのか。議員は地域のエゴを代表するものではなく、あるべき国や自治体の姿、その将来のあり方をも視野に入れて考え、発言する。少なくとも私たち無党派市民派の立場に立つ議員はそう考えて活動してきた。けれども、なかなか多数派にはなれない。地域の利益代表の方がはるかに有権者に受けがよいからだ。正論は現実社会では少数派である。いやむしろ、私たちは孤立しているような場合が多い。一人でも戦う覚悟は皆持っているけれど、時には寂しくなるものだ。

 私は首長選挙に敗れて、一市民となった。報酬だけを目的に議員を務める気持ちはないから、このまま一市民を貫くつもりだ。そんな私に、無党派市民派の議員として頑張っている仲間から「また、一杯やりませんか」と声がかかる。やりきれない思いになる時は誰にもある。そこで落ち込むような時は連絡して欲しい。今の私に何ができるのか、わからないけれど、話し相手にはなれるだろうし、勇気付けるくらいはできるかもしれない。

 「世の中おかしいよ。そう思っている人は結構いるけれど、まだ、大きな力にはなれない。けれども、そういい続ける人がいなければ、そんな巷の声もかき消されてしまうだろう」。
コメント
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