昨日は岩国市の市長選挙だった。その結果を新聞で見て、ガックリした。米軍の空母艦載機部隊の受け入れに反対する前市長の井原さんを破り、容認派の福田新市長が誕生したからだ。岩国市は06年3月の住民投票では87%が反対票を投じた。周辺町村との合併で、反対の先頭に立って戦ってきた井原さんが落とされるかと心配したが、この時の市長選挙では自民党推薦候補に圧勝した。ところが公明党が移転容認派となり、容認派が多数を占める市議会は、井原市長の提案する予算案などにことごとく反対する方針をとった。
今度の選挙は、井原市長が市議会をねじ伏せるために打って出た選挙であったが、残念ながら敗北した。井原さんがどのような選挙戦術で戦ったのかわからないけれど、新聞を読む限りでは、艦載機の受け入れに反対し、「もう一度市民の声を結集し、国民の共感を呼べば政府も米国も動かせる」と主張したようだ。これに対し、容認派の福田さんは移転問題には触れず、「岩国再生」「生活が争点」「対立から調和へ」と訴えたそうだ。
井原市長の移転反対に対して政府は、岩国市への補助金カットと周辺自治体への交付金という「ムチとアメ」の露骨な政策で揺さぶりを掛けた。一般市民が「移転には反対だけれど、生活が大事だから、福田さんに投票した」と発言するように、現実的な選択へと動かせた。市議会と市長が対立して議案が成立しないことも、「いつまでもこんな状態が続いては、市の発展がない」という空気を生み出した。「反対し続けて一番喜ぶのは国。艦載機も移すし、金も出さずに済む」とまことしやかな流言が闊歩した。
艦載機部隊の移転反対は、単に自分たちのところに来て欲しくないという自分本位からの主張ではないはずだ。この地球上から戦争を無くしていくための第一歩の戦いだ。したがって絶対反対であって、何の条件も無い。ムチには耐えなくてはならないし、アメには落とし穴があることを知らせなくてはならない。現実的な選択は受け入れやすいが、現実の描き方が問題だと指摘しなくてはダメだ。いや逆に、理想がよく見えないから現実がよく見えてしまうのだろう。武器弾薬を抱え込んで望む「市の発展」とはいかなるものなのか。
人間は本当に弱いな。そう思っていたら、NHK衛星第2で昔の連続テレビ小説の再放送を流しているが、今朝の『都の風』は考えさせられた。原爆投下の広島の惨状を訴え、二度とこのような悲劇を起こしてはならないと新聞記事に対し、満州から裸一貫で引き上げてきた男が「こんな記事を書く奴はのうのうと暮らしているからだ」と酷評する。「戦争で金儲けした奴だっている」と現実を突きつける。飯も食えない人間にそんな理想論などは通用しないと開き直る。「衣食足りて礼節を知る」と中国の春秋時代の言葉だけれど、どうやら衣食足りても礼節とは次元が違うようだ。
理想が現実よりも説得力があれば、人間は衣食が足りなくても、理想に進む能力はある。けれども何が理想なのかとなると、一筋縄ではいかない。いかないことこそがキリスト教でいうところの「原罪」なのかなと思う。
今度の選挙は、井原市長が市議会をねじ伏せるために打って出た選挙であったが、残念ながら敗北した。井原さんがどのような選挙戦術で戦ったのかわからないけれど、新聞を読む限りでは、艦載機の受け入れに反対し、「もう一度市民の声を結集し、国民の共感を呼べば政府も米国も動かせる」と主張したようだ。これに対し、容認派の福田さんは移転問題には触れず、「岩国再生」「生活が争点」「対立から調和へ」と訴えたそうだ。
井原市長の移転反対に対して政府は、岩国市への補助金カットと周辺自治体への交付金という「ムチとアメ」の露骨な政策で揺さぶりを掛けた。一般市民が「移転には反対だけれど、生活が大事だから、福田さんに投票した」と発言するように、現実的な選択へと動かせた。市議会と市長が対立して議案が成立しないことも、「いつまでもこんな状態が続いては、市の発展がない」という空気を生み出した。「反対し続けて一番喜ぶのは国。艦載機も移すし、金も出さずに済む」とまことしやかな流言が闊歩した。
艦載機部隊の移転反対は、単に自分たちのところに来て欲しくないという自分本位からの主張ではないはずだ。この地球上から戦争を無くしていくための第一歩の戦いだ。したがって絶対反対であって、何の条件も無い。ムチには耐えなくてはならないし、アメには落とし穴があることを知らせなくてはならない。現実的な選択は受け入れやすいが、現実の描き方が問題だと指摘しなくてはダメだ。いや逆に、理想がよく見えないから現実がよく見えてしまうのだろう。武器弾薬を抱え込んで望む「市の発展」とはいかなるものなのか。
人間は本当に弱いな。そう思っていたら、NHK衛星第2で昔の連続テレビ小説の再放送を流しているが、今朝の『都の風』は考えさせられた。原爆投下の広島の惨状を訴え、二度とこのような悲劇を起こしてはならないと新聞記事に対し、満州から裸一貫で引き上げてきた男が「こんな記事を書く奴はのうのうと暮らしているからだ」と酷評する。「戦争で金儲けした奴だっている」と現実を突きつける。飯も食えない人間にそんな理想論などは通用しないと開き直る。「衣食足りて礼節を知る」と中国の春秋時代の言葉だけれど、どうやら衣食足りても礼節とは次元が違うようだ。
理想が現実よりも説得力があれば、人間は衣食が足りなくても、理想に進む能力はある。けれども何が理想なのかとなると、一筋縄ではいかない。いかないことこそがキリスト教でいうところの「原罪」なのかなと思う。