友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

45年の歳月

2008年02月08日 22時43分41秒 | Weblog
 昨日、会議から帰ると留守電が入っていた。聞き覚えのない声だ。誰が何しにかけてきたのだろうかと思いながら、電話してみた。声を聞いたがわからなかった。「あれ?誰でしたっけ?」と親しみを込めて聞きなおした。中学高校の友だちだった。先日、故郷の町に「集まって、飲んだんだって?」と聞くから、「アアそうだよ」と言う。そんな取り止めの無い話だったが、そんなことで電話をかけてくるとは思わなかったから、「それで、どうした?」と聞くと、「カネを貸してくれ。今から言う番号に振り込んで欲しい」と言う。

 「わかった。すぐやる」。そう言って切った。先回のクラス会の時も、わざわざ電話をかけてきて、「欠席させてくれ」と言う。話していてすぐお金が無いとわかった。「もうもらったといっておくから出席すればいいよ」と話したから、再びお金の無心はあると思っていた。カミさんが聞いたら怒るだろうが、私は私ができる範囲なら用立ててやろうと思っている。これまでもいろんな人がお金を借りに来たが、借りに来た人でまともに返してきた人は一人もいない。人からお金を借りるような人は大方まともではないのだ。

 昔、私が子どもの頃、裁縫教室を開いていた母のもとに、全く知らない人がお金を貸して欲しいと言ってきたことがあった。教室の生徒だった女性たちは「お金を貸しても戻ってはこないから、絶対にダメだ」と言っていたが、母はいつもお金がないと言っていたのに、その無いお金の中からいくらかを見ず知らずの人に渡していた。その頃は、母はヘンな人だと思っていたが、自分がその立場になると、返ってこないことを承知で工面してやろうとしている。

 卒業生の子が「保証人になってくれ」と言った時はハッキリ断った。あの時、彼が「百万円でもいいから貸してくれ」と言ってきていたなら、用立てたかもしれない。けれども、保証人になって欲しいというので断った。保証人はその時は現金を出さなくて済むかもしれないが、いくらの金額に膨れ上がるかわからない怖さが潜んでいる。私だけでなく、家族までも巻き込みたくは無かった。それは私の兄で経験済みだった。その悲惨なことは自分が身を持って体験した。だから決して保証人にはならないと決めていた。

 こんな歳になって、まだそうやって、人から人へ借金をして暮らさなくてはならない同級生がいる。私が普通に生活できているのは、カミさんに支えられているからで、私がひとりで生きてきたなら、きっと彼のような惨めな人生の終末を迎えていたかもしれない。人生いろいろなどというけれど、同じ中学高校を卒業しても、あれからの45年の歳月は、大きく人を変えてしまった。

 私は今日、とびっきり素敵な人生もあれば苦しい人生もあると思った。二つは別々に存在するのではなく裏表でもあると。
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