友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

家族の要因

2008年02月27日 22時47分55秒 | Weblog
 NHKブックス『暴力はどこからきたか』(山極寿一著)を読んでいる。ライオンは同じライオンを襲わないのに、人はなぜ人を殺すのか、不思議でならない。いったい、人間だけがなぜこんなにも凶暴にできているのか、それがどこから来たものなのか、知りたいと思っていた時、たまたま書籍の広告に出ていたので買ってきた。著者は京都大学の教授で日本霊長類学界の会長を務め、「フィールドにてチンパンジーやゴリラの社会的行動の姿を追う」と紹介されていた。

 まだ、半ば辺りだから「暴力がどこからきたか」までは書かれていない。霊長類が群れを作る理由や母系や父系の群れ(家族?)ができてきた理由を検証しているところだ。猿から人が生まれたとしても、人は猿ではないから、決してそこに原点があるわけではない。それでも興味はある。動物の進化の要因は食べ物にあることもよくわかる。原猿が夜行性であることも理解できる。そしていよいよ本題へと踏み込むところへ差し掛かってきた。

 ところで、昨夜は恋人同士の関係が「保守化」してきているとテレビが取り上げていたことに触れた。どうしてそうなってきたのか、原因はわからない。家族のあり方が変ってきたことは確かな事実だろう。家族はもっとも崇高な、理想的な形、そのように若い人たちは見てきたのかもしれない。ところが現実の家族は、夫婦であっても母が父を尊敬している様子はないし、父が母を労わっている様子もない。生活は共にしているが、(中には生活もバラバラになっていて、)一緒に暮らしているだけであったりする。

 我が家の子どもたちには、「家庭はみんなが心を一つにして、一緒に行動する」というイメージがある。しかし、実際はそうはならないし、それを突き詰めたなら、子どもは家庭から出て行くことができなくなる。我が家では子どもたちが小さい時、5月5日と10月10日を家族でハイキングの日と決めて、出かけていた。家族一緒に出かけることは多かった。ニューファミリー世代の私たちはそんな家庭を作ってきた。だから我が家の子どもたちは、家族は一体という意識が強いのかもしれない。

 私は、「家庭ごっこ」でよいと思っている。父親は父親ごっこを母親は母親ごっこを、そして子どもたちも子どもごっこをしながら育っていく。「ごっこ」をどれだけ我慢して上手にやるかが家庭というものではないだろうか。一人ひとりはたとえ全く違うことを望んでいたとしても、自分ができる限りの「ごっこ」があれば、家庭が成り立つように思う。親子でも夫婦でも、人の心までは支配できない。愛されたいと思えば、自分が愛するより他ないのだ。たとえ相手が裏切ろうと、愛して欲しければ愛する以外にはない。相手の心を縛っておくことなどできない。

 「あなたが何を思い、何をしようとも私は許す。なぜなら私はあなたを愛しているから」
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