友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

昨日は長女をほめすぎた

2008年02月18日 22時13分48秒 | Weblog
 昨日は長女を少しほめすぎた。確かに彼女は頑張っているけれど、そして彼女を尊敬してやまない孫娘だが、私には母親のことを「本当に自己中だから」と嘆く時がある。長女の自己中心な面はたぶん私の遺伝子が働いているのだろう。長女とぶつかる時はいつもそんな場面だ。

 いつだったか、カミさんが旅行でいない時だった。孫娘は午後8時までプールで、その後は塾で3者懇談があるというので、「じゃー、終わったら近くの洋食屋さんへ行って食べようか」と孫娘と話していた。長女が帰ってきて、「外で食べるなら回転寿司がいい」と言う。私はそこへは行きたくなかったから「いや、今から食事の用意はするからなるべく早く帰っておいで」と答え、食事の用意に取り掛かった。午後7時は過ぎていたが、できない時間ではない。お米をといて、ご飯を炊く。鍋に水を入れ、冷蔵庫にあった人参、キノコ、ジャガイモ、キャベツ、豚肉を入れ、コンソメで煮込んだ。野菜と豚肉のスープだ。ミズナと鮭缶のサラダも作った。

 二人が帰ってきた時は、まだお茶碗やお箸が並べられていなかったが、後は佃煮や漬物を並べれて完成だった。長女は孫娘に「早くして!」と食事の用意をさかせていたが、明らかに何か苛立っていた。「そんなに慌てなくてもいいじゃないか」と言ってしまった。すると長女は「パパは体育生理学を知らないけど、こんなに遅く食べてはいけないの!」と強い口調で言う。遅いって?毎晩遅いわけではないし、それに何よりも作った人の気持ちは?

 8時から面談があって、帰ってきてから食事なのだから、当然の時間だ。彼女たちが帰ってきた時に食事の用意は完璧にできてはいなかったけれど、5分とかからずに終了したはずだ。回転寿司に出かけていたなら、食べ始める時間はもっと遅くなっていただろう。我が家で食べる方が時間は早く合理的だ。それなのに、感謝ではなく非難を受けるような状況とは一体何なのか。もしも、ああちょっと言い過ぎたと思うなら、「このスープ美味しいね」とでも言ってくれれば、作った方もそれで満足できたはずだが、その一言は無かった。

 無性に腹が立ったが、すぐに情けなくなった。考えてみると、長女のこうした言い方は、「甘え」なのかもしれない。でも、こんな風にしか「甘え」られないとしたら、なんとまあかわいそうな人か。いつだったか長女に「パパは自分の物差しでしか人を見ない」と言われたことがあるが、長女もまた私にそっくりだ。人のことにとても気を遣っているのに、親しい人になればなるほど、自分の物差しに押し込めてしまう。親しい間柄だからといって、本人の苦悩をそのままぶつけられたなら、受け止める方はイヤになるが普通だ。

 長女は仕事に追われ、とにかく休むヒマが無いような状態だから、気持ちに余裕が無く、情緒に欠けるのも無理はないかもしれないが、それを乗り越えることが大人である。自分の中の満たされないイライラを家族にぶつけてきても、こちらも気分が悪いだけだ。つらいことは自分の内にだけに留めておいて欲しい。人は他人のつらさなど見たくもないし聞きたくもない。溌剌と頑張っている姿を見れば、そのウラにどんなにたくさんの苦しみや悲しみがあるか、わかる人はわかる。

 そんなわけで、まだ大人になれない長女の成長を祈っておきたい。ついでに私も。
コメント
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