友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

3度目の60歳の集い

2008年02月24日 23時16分14秒 | Weblog
 今日は朝から強い北風が吹き、とても寒い。私は一日中家にいて窓からその様子を眺め、風が建物に突き当たる音を聞いて過ごした。昨日は自治ネットの例会であったが、会場変更のため、私は欠席させてもらった。欠席させてもらったけれど、自治ネットの活動が下火になっていかないかと危惧している。このところの政治情勢を反映してか、無党派市民派への関心は少なくなっている。既成政党が低迷しているのだから、私たちのような無党派市民派がその存在を発揮しなくてはならないのだが、なかなかそうならない。

 欠席したおかげで、私の住むマンションを中心としたメンバーで結成されたコーラスグループの発表会に参加できた。25周年を迎えたグループで、私が最初に選挙に出た時の主力部隊だ。25年の年月でメンバーの入れ替わりもあるけれど、40歳で参加した人も65歳になっているのだから、やはり全体の年齢は高くなった。高くなったけれど、歌声の調和もより高くなった。これだけ、聞かせるためには相当な練習があったのだろう。困難を乗り越える時、人は大きくなれると、不登校のところで書いたけれど、人々に感動を与えられるコーラスを聞かせられるためには、たくさんのハードルを越えてきたことは確かだ。

 学習したり、技術を磨いたりするためには、イヤなこともやらなくては身につかない。それでも私は、自らそれを受け入れようとするか、強要されてやっているか、そこが大事だと思っている。コーラスの発表会が終わって、夕方からは3度目の『60歳の集い』に参加した。60歳の年、還暦を迎えた人たちを集めて、第2の成人式ということで、地元の人たちが中心となって『60歳の集い』が開かれた。私はヨソ者だが、この町で新聞を作ってきたので、知り合いも多く、丁度また市長選挙の直前だったので、参加しないわけにはいかなかった。

 3度目となると、少しは気心も知れてきた。出席者は全部で44人だった。女性は4人が地元の人で、残りの22人がヨソ者だったのに対し、男性は5人がヨソ者で残りの13人が地元の人だった。初回の時はさすがに知らない人が多くて、遠慮がちだったけれど、今回はかなり慣れてきた。女性は子どもを通して知り合いもいるが、男性はなかなか入り込めない様子だったのに、今回は男性も積極的に歌ったり、余興をする人もいて、打ち解けてきたように思う。「この会が続く限り参加する」と多くの人が話していた。

 私も今朝までは、ただお酒を飲むだけだから来年は遠慮しようかなと思っていたのに、「また来年も会いましょう」などと話していた。不思議なことだけれど、63年間、同じ時間をともにしてきたという実感が湧いてきて、まるで中学の時のクラス会と変らない気持ちになってきていた。あれほど、主体は地元に人たちなのだから、前に出ないように気をつけていたのに、級長でもないのにいつの間にか宴会の真ん中で、最後はあの歌で終わろうなどと仕切ってしまっていた。

 あれ?長女のでしゃばりは私の血だったのか。自分は引っ込み思案な人間だとばかり思い込み、小学校の高学年から性格を改善してきたが、改善したのではなく自分の性格が開花したのか。そんなことを考えさせられた。
コメント
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