蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

社会の隅でひっそり自己チューを娯しむ

2018-02-10 | わたし
社会で活躍したい、自分の持っている力を出したい、認められたい、社会と繋がりを持ちたい、関わっていたい、、、、
そう願い、少々職場で不満を抱えながらも頑張って働いている、ある女性。
元々は、和食の料理屋、割烹でご主人のサポート役だったが、独立した。

わたしは、もうそんな気はない。
働かない。
仕事を軸に社会と関わるには、わたしは、老いぼれすぎている。
適材適所、まだ出来る仕事もあると思われるが、しない。
やる気がない。
全ての時間を仕事以外に使いたい。
定年退職後、あえて再就職しない男性と同じ。

人には色々事情があるので、働きたくなくても働かなければいけない人は大勢いる。
国の税金で養っていただける場合でも、その道は選ばない人も多い。

わたしは、もう仕事はしたくない。
自分だけ生きるには、それほど多額の費用は必要ではない。
社会に還元するほどの、見上げた人間でもない。
自己チュー。
人に迷惑をかけず、有り難がられもせず、ひっそり自分を娯しむ。

みなさんに喜んでいただくのが生き甲斐という方もおられる。
そういう立派な人もいるが、中には、おこがましい人もいる。
ボランティアのマジックショーなどは問題ない。
しかし、喜ばせる人は、喜んでいただく人よりも能力が上回らなければ無理なケースもあるが、本人には自覚がない。
無垢な幼児が老人ホームに慰問するならわかるが、上から目線を感じる傲慢さを感じることがある。
していただく人は喜んでいるとすれば、まあそれで良いのかも知れない。
人の道、余計なお世話。

なにしろ、わたしは、自分が見えていない、天狗さんが苦手なのである。
見たくないのに、天狗さんが見えてしまうわたしも、不憫である。

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