蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

共通点がない友人

2018-02-11 | わたし
風が強いが、お日様が強く照る。
ポカポカ陽気とは、言えないが。
うとうと、午後のうたた寝にはもってこい。

ご近所友人の話を書こうと、前から思っていた。
楽しいことがありすぎて、ついつい後回しになってしまう。

彼女のする話は、いつもなんだか共通点がある。
それは、わたしと共通点がない、という話が多い。
ご近所ネタは、すぐ話し終わる。
情報の報告、レポートなのだが、話し込むほどの材料はない。
あまり、皆さん、トラブルを起こさないし、仮にあったとしても、家の外には出さないので、噂の元がない。
火がないので、煙もない。

で、まあ仕方なく他人さんのことに話が移る。
ご近所以外の、彼女の友人を、わたしは一人も知らないので、彼女は、わたしに何を話しても話が広まったり、こじれたり、などの影響がない。
また、彼女の職場の話だったりする。
あまりお近づきになりたいような人はいないように思う。
ヒントを得たり、目標にしたり、真似したり、元気をもらったり、そんな人は一人もいない。
できれば、縁がないほうが良いような。

わたしが彼女に話す話も、限られる。
自慢の臭いがしそうな話題は、聞かれない限り、しない。
結局、わたしは、彼女の子供たちの最終学歴も職業も何も知らない。
自分から言い出さないと、あえて相手には聞かない主義なので。

で、つまり、彼女との共通点は近所に住んでいることと、子供が小さい頃、同じ学校に行っていたということ。
自治会、子供会が同じ。
彼女はオシャベリが趣味みたいなものなので、暇な時はしゃべっていた。
ウォーキングしながら話すこともあった。
お互いの家は徒歩3分ぐらいなのに、数年に1〜2度、会うぐらいで、最近は長らく会っていなかった。
これは、友人ではない。長年の知人だ。

彼女の良いところは、口が固いこと。
彼女に話しても他に漏れない。
それは、彼女の信用を下支えしている。
30年に渡るお付き合いが崩壊しない、大事な一面である。

しかし、話し込むには、前向き、建設的なことであるべきだが、いつも、残念な人々の話ばかりである。
羨ましかったり、妬ましいよりはマシかも知れないが、もっとどうにかならないのか、という話がほとんど。
そんな話に付き合っていたわたしは、相当暇人だったのだろう。
長々と書いている。なにが言いたいのか。
わかっているが、書けない。書かない。

世の中を広く知る意味では、無駄な時間でもないように思う。
しかし、、、ダメな人々の見本市みたいな話ばかりでは、いったい、なんのためにその話題を話しているのだろう。
よくわからないが、プラスの人にはプラスの人や事が集まり、マイナスの人にはマイナスの人や事ばかりが集まる。
お互いに相互間で呼び合うのだろう。
わたしは、マイナスな話は好きではないせいか、マイナスの方向に引っ張られない。
ただ、不思議だと思うだけだ。
同じ性質を持つ人は引き合うようだ。
わたし自身はニュートラルなので、ゼロ地点だが、いつも雪かきをするように、マイナスは無意識に排除する方向にある。

娘の身近な人々の話を聞いているとポジティブで陽の当たる話が多い。
周りも似たような人たちが集まり、足も引っ張り合わず、皆んなで力を合わせて上昇していくかんじである。
幸せ指数が足りない人は居場所がなくなり、その集団から降りて消えていくようだ。
ある、娘の中学時代からの友人Aちゃんが、皆んなと横並び幸福ラインに達せない時期があったが、見事に頑張り、目的のラインに並んだ。
わたしは、あれには感動した。
無理だろう、気の毒に、と思っていたからだ。
すごいバイタリティ、やる気、実行力を感じた。

人はなかなか、自分の目に見えない決められたラインを越えることが出来ないように思う。
厚い壁、層に覆われているかのごとく。
身分制度のように、がしっと固定されている。
人生最期の終焉場所選びにも、その厚い壁が顔を出しそうだ。
だとすると、一生、決まっているようなものだ。
不動の足元の上に、自分は立っている。
まさに、ゆりかごから墓場まで。
しかし、自分の足で立つには、思考、知恵、実行力を必要とする。
あまり目的意識を持たず考えがない人は、流されるままに流され、吹き溜まって行くように感じる。
実に思考が浅く、仕事も、これがダメならあれ、あれがダメならそれ、と軽く転々と変わる。
決して上昇のステップではない。
吹き溜まる人々がいる一方で、かたや一方では、しゅるしゅると天国に近づいて行く流れがあるような、そんな気がする。

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