蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

不純な人の、純粋論

2016-02-09 | 無題

毎日、毎日、ブログをアップする、安っぽさ。
垂れ流し。
わたしには自分の中での、こだわり、というものは、ないのか。
「プライド」などという厳かで敬虔なる言葉は、My辞書にはないのか。

ちらりと見かけた美しい文章。
24歳という、わたしの半分にも満たない、純粋で美しい魂に触れると、
だらだら駄作を大量に流す自分を顧みて、透明度を自己検閲してみる。

もはや24歳は、自分の子供の年齢にも満たない。
わたしの子供達は、社会の灰汁(あく)にまみれ、逞しくなっている(だろう)。
と同時に濁り始めているだろう。
(わたしは、小さい時から、濁っている・・・ああ、哀しき現実・・・)

純粋な・・・自分のリアルで接する範疇にそんな若い人は、もはやいない・・・
と、シュンとしていたら・・・

いた・・・。

いる、いる。
しかも、至近距離に。
純粋すぎて、もう、動物。
1歳4ヶ月と3歳の、ヤンチャボーズ。
ガキンコ・キッズ・ブラザーズ。

彼らの、純粋を通り越した「純粋」に触れると、青々とした純粋のカタマリの人は、どう感じるだろう。

社会の灰汁にまみれていなくて、気楽でいいよな、おまえたち、
食べるものの心配もしなくていいし、さ。

となるのだろうか。

(しかし、ガキンコたちは、日々、鍛錬の連続。
転んだり、アタマを打ったり、タンコブや切り傷だらけ。
いかにすると身を痛めないか、コツをつかみバランス良く立つだけでも、学びの日常を送る)


「純粋」をどう捉えるか、だ。
美しく澄み切った純粋に、思わずたじろぎ、劣等感に襲われたわたしだが、
いやはや、比べるものや、抽出するもの、方法が違う。

リンゴとミカンは比べられるが、リンゴとボールペンは、比べられない。
せいぜい、モノのカタチとしての比較か。
オレンジと、みかん、はっさく、夏みかん、デコポン、ブンタン、きよみ、なつみ、はるみ、いよかん、ポンカン・・・
そういうものは、味比べや、気候や育て方の違いによる諸々など、
微妙に比べたりできるけれど。

同じ分野、同じ性質、同じ性能、同じ重さ、同じ大きさ、同じ値段、同じ品質、同じ成り立ち、同じ成分、
同じ歴史、同じ背景、同じ宗教、同じ信条、同じ生活、同じ教育、同じ能力、同じ個性、同じ志向、同じ嗜好、
同じ体格、同じ顔、同じ性格、同じ行動、同じ体験、同じ反応、同じ意識、
ああ、めんどうになってきた・・・(十分、暇にまかせて書いているが)

というように、ほとんど似たようなものの性質である場合、比較すると、違いがわかりやすいが、
少しでも違うと、違うのである。

だから、純粋にもいろいろ、微妙に違うということが、言いたかった。

しかし、そんなことに時間を費やすわたしは、ぜったいに、純粋ではない。

 

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