蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ブログは、二度、おいしい

2016-02-08 | ブログ

いま、わたしは、自分の蝶ブログで、グリコのオマケ的楽しみを味わっている。

gooには、編集面に「リアルタイム解析」という機能があって、
リアルタイムに、わたしのブログにアクセスされている状況がわかる。
表に出ている「このブログの人気記事※」とは、重なるものもあるが、違うものもある。
(※蝶ブログのトップページの次に、何かの特定記事を選ぶと、その記事の下に「このブログの人気記事」が載っています)


アクセスしている人がわかるケースもあるのだが、誰がアクセスしているか、は、気にしないようにしている。
気になるのは、お互い、よくないから。
駆け寄って、仲良くしよう、とか、近寄ろうとか、思わない。
急接近したり、時間をかけないやりとりは、すぐ飽きたり嫌になったりして、熱しやすく冷めやすい。
最初のご挨拶はしたとしても、
あとはベタベタ接しないで、長期スパンで、「遠くでコラボ」が、わたしにとって、気持ちよい距離である。

(なにさ、お高い人ね!と思われた可能性あり。
何人か、前を向いたまま後退、後ずさりする姿、発見?)


で、楽しんでいるのは、アクセスされた記事。
なにしろ、9年にも及ぶ、膨大な記事数。
どこから読むか、なにから読むか、自分でもため息。(読まないけれど)

それを、わざわざピックアップして、引っ張り出して、読んでくださる人々がいる。
その記事を読むのが、とてもオモシロいのだが、入力ミスを時々発見する。
その度に、膨大な記事を遡って、訂正している。
昨日も、ごくごく最近の記事タイトル、堂々の入力ミスを見つけて、赤面した。

何が読まれているか、よりも、当時の記事を読むと、当時の自分に出会えて興味深い。
書いていることは、書いている時に、実際にそう思ったり、感じたり、考えたりしたこと。
ほとんど変わっていないところが、自分ながら、ブレナイ自分に、
「意外性がないこと」に対して、意外に、意外性を感じたり。

クールだとか、冷たいとか、感情がない、とか思われることもあるだろうけれど、
感情とは別に、常に冷静な自分がいることを発見する。
感情をコントロールすることができる傾向にあるので、大きな過ちは犯さないようだ。

ただ、感情が出にくい時は、もうひとりの自分が、「行け、行け、今だ!!」とか、
「ここで、泣く? へーんなの」とか、
いろいろ、ハッパをかけてきたり、感想を言ってくる。

あまりにも煮え切らない時や、決定・実行に時間がかかりすぎる場合は、陣痛促進剤・投与みたいな時もある。
それ以前に、まわりからの圧力がかかる。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村  

 とか、なんとか、かんとか言いつつ、いつも冷や汗をかきながら、過去の記事を読んでいる。