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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

愚痴るより、孤独と闘うほうを選びたい

2015-08-12 | 人生

不満を募らせて、ぐじゅぐじゅ言ったり、愚痴ったり、相手に、こそっと陰険な意地悪を仕返したり。
そんなこんなで、夫婦を続けている人が多いのでは?

すぱっと別れてしまうのは、潔くて、かっこよくて、勇気があるのか?
少し前のわたしなら、そう思ったのかも知れない。

今は・・・
さほど思わない。
良いと思えない状況のなかでも、頑張って耐えつつ、まだ夢は捨てず、現実を抱えながら、
とりあえず、未来に向って歩く。
今までの生活を捨てるのが勇気があると称されるのであれば、「捨てない」のだって、勇気がいるのだ。

断捨離ばかりをもてはやすことは、ない。

 

かくいう、わたし。
一昨昨日、キッチンの棚の中にあるモノモノを断捨離した。
棚の中は、スースーした。
サランラップやアルミホイルを入れるにも、ぎゅーぎゅーだったのに、余裕すいすいの棚を体感すると、
確かに、すっきりした。

これからの自分の人生、断捨離!!である。
モノ、人、行動・・・必要不可欠なものだけを残して、あとは、減少、カットしていけたら、と、こころに強く思った。

が、こちらが望まないに、神様が勝手に断捨離してしまうこともある。
壊れる、失くす、・・・これが、モノだけなら良いが、ヒト(生命体)や記憶だったら・・・?
思いや努力とは別のところに、人生の行方がある。

話を元に戻すが、
シングルに戻ることは、勇気がいるが、切り捨てると同様、維持することだってパワーがいる。
どうしようもない事情や、我慢の限界が来て、別れる決心をする人もいるだろう。
状況に応じて、わたしは、納得したり、応援したりする。
場合によっては、憧れたりするかも知れない。

ブログの大海の中で、上位を誇る、シングルに戻ったアラカン女性の超絶人気ブログがある。

(それとは違う、結婚不幸ネタで親近感を漂わせ、記事中から広告に飛んでいく、
超くだらない、時間の無駄ブログもある。
前もそれで、まんまと失敗したのに、またまた、ひっかかってしまった。
学習能力のなさ、その時の気分の悪さ・・・自業自得の典型)

シングルに戻った、自分と同世代の人たちが、どのような暮らしをしているのか、
のぞいてみたい欲求に駆られたり、興味はある。
すっきりしている人もいるだろうけれど、自分の参考にはならない。

なぜなら、自分は世界で一人しかいないので、参考にするにも同じ人、同一人物はいない。
自分は唯一無二であるから。

その、だれにも譲れない、大切な大切な自分を、もっとも大切にする生き方を試行錯誤し、模索する。
そのシュミレーションの中では、シングルに戻る選択は、あまり魅力がない。
なので、シングルの人を見ても、さして羨ましいと思わないし、かといって、自分が、優越感を感じるわけでもない。
当然、卑下するわけでもない。

自分は自分であって、他の誰でもなく、自分の人生は自分のもの、誰のものでもない。
当然、孤独は付きまとう。
それは、家族があろうが、なかろうが、である。

家族にべったり寄りかかると、自分がなくなる。
が、肉親や家族は、理屈抜きで大切な存在である。

ちなみに、ペットは面倒なので飼わない。
食べさせたり、世話を焼くのが嫌い。
まして、ペットの治療や介護など、生きている人間で、精一杯。
機械でも壊れたり、メンテナンスが必要なのに、生き物など、とんでもない。
ペットに感情移入はしない。

情熱を傾けるには、進むと同時に退路も確保しなければ、
なにもかも投げ打って全てを賭けると、修正や調整がきかない。
わたし流、ニュートラルの原理。
その代わり、孤独と仲良し。

寂しがりなので、特に、膝を抱えて、部屋の隅で三角座りには、慣れっこである。

 

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