蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

エゴイストの日常

2013-08-03 | 日々のこと

わたしは、エゴイストだ。

しかし、社会で一人で生きているわけではないので、仮面をかぶっている。

自分のことが、一番大事で、人は、二の次。
しかし、そういう人間だと、あからさまにわからないよう、努力している。
その努力が実る場合と、実らない場合がある。
バレてしまうのだ。

人は、バカではない。
わたしがエゴイストであるということを、よくご存知だ。
で、それでもいいから、と、接点を持ったりする。
おそらく、お互いにエゴイストなのだろう。

だが、わたしは、臆病者のエゴイストなので、徹しきれていない。
言葉や言動で、エゴイストではないよう、振舞おうとする。
が、メッキはすぐ、はがれる。

いっそ、本当に、バリバリの、なんの装いや取り繕いもしない、正真正銘のエゴイストのほうが、
突き抜けていて清清しいかも。

優しそうな外見に人は騙されるが、わたしは、優しくないし、気も利かない。
いちばんの特徴は、サボりで、アタマが悪いこと。
これで、エゴイストが加わると、まったく取り柄がない。
なので、自分で頑張って、そこらへんの安物の、自分でも出来そうな、中途半端なケチくさい行動を、
ちまちまっと加えて、
自分のダメぶりをごまかそうとする。
が、実際は、なんにもごまかせていなくて、お見通しである。


が、逆転の発想というものがある。
人間、ピンチに陥ると、なんなりと考えるものだ。
アタマが悪いので、それを逆手にとって、「考えなくていい方法」を考える。
案外、これは、アタマを使うのだ。
サボりなので、サボれる努力をする。
この努力は、ずっとし続けなければならない。
要領が悪いので、要領が良い人に、要領よく、お任せする。
どのあたりまで任せるのが要領が良いのか、要領良くやらないと、あとが大変になるので、見極めが難しい。

だが、小手先や、見てくれ、外側だけでは、薄っぺらい。
基本的に、信頼関係が成り立ってないと、無理である。

エゴイストで、サボりで、アタマと要領が悪い人であるわたしと、
どうやって信頼関係を結ぶというのか?
人間である限り、こころがあるのだ。
こころ、自分の思い、目標を掲げ、実行すると、それなりの伝わるものがある。
あきらめずにやっていると、手ごたえがある。
エゴイストで、サボりで、アタマと要領の悪いわたしの、今までやってきたことを振り返ると、
腹黒いけれど、芯のところは、愚直な善人であると自己分析する。

わたしは、人間、性善説を唱える派である。
気持ちの持ちようで、人は変わることができると思う。

じつのところ、どうしようもない悪人と接したことがないので、
わたしの言葉には説得力がない。
悪人は、不思議なことに、運良く、わたしの前や横を通り過ぎる。
正面にガッツリ立ちはだかれても、おそらく無意識に避けているのだろう。
お互い、正面向いて歩いていて、ぶつかったとしても、幽霊か透明人間みたいに
わたしとは、がつっとした手ごたえを感じることがなく、するっと抜けていく。
悪人である部分に触れることなく、浅いお付き合いしかしないのだろう。(もしくは、袖も触れない)

(ニュースを見聞きすると、善良な方が、悲惨な事件に巻き込まれる例もある。
本人に、なんの非もない被害者である場合は、不運、お気の毒としか言いようがない)

どちらかというと、わたしは、人の悪と闘うよりも、自分のなかの悪と闘うほうだ。

いま、アタマにいろいろ浮かんできているが、ここに書くのはやめる。
(最近、そういうことが多い)


さてさて、土日。
暑いけれど、頑張りましょう。(と、毎日、書いている・・・)

 

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