蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

透視能力

2013-08-26 | 日々のこと

わたしは、観察力が鋭いらしい。
無意識のうちに、ひとの行動を見て、心理を分析してしまう。
目に入るだけ、気づくだけ、行動のデータを集めるだけならまだしも、
家に持ち帰り、多くの行動サンプルから、一定の法則を見出そうとしてしまう。

重ねた年齢とともに、サンプル数も蓄積され、あまり考えなくても、
瞬時に過去のデータから似たようなサンプルを自動検索し、これまた自動解析してしまう。
こころの内を想像してしまう。
手に取るように、深層心理を読み解いてしまったような気になる。
(それを「思い過ごし」「考え過ぎ」ともいう)

自分では、それに振り回されることがあるので、やめたいのだが、勝手に目が、脳が、動いてしまう。


ときどき、霊界の方々の姿が見えてしまう、と仰る方がいる。
わたしは、実際に、直接、二人の方(Aさん、Bさん)に、その手の話を聞いた。

これとは逆に、あの世ではなく、現世の人の生き方や、背景、性格、こころが、読み取れてしまう、
「見えるんです」・・・と、
そういう人(Cさん)の話も、直に、お伺いしたことがある。
外見に表れるのか、わたしは、一言も話していない段階から、
わたしそのものをぴたっと言い当てられてしまった。

思わず怖くなってしまった・・・というわけでもなく、
「どんぴしゃり。またか~。なんで、わたしって、こうも、言い当てられてしまうんだろう」
と、外側バリアを張っていない自分の無防備ぶりに、へきへきした。

そう思ったが、あるいは、ひょっとして、言い当てた人(Cさん)が、特殊能力を持っているのかも知れない。


とある霊感のある人(Aさん)に、あることを言い当てられた。
まったく、その手の話題を微塵もしていなかったのに、いきなり、びしっと言われて、度肝を抜いた。
偶然か、カマかけているんだろう、なんてこともあり得るし、微笑んで、ごまかしたが。
ただ、突っ込んで、聞かなかった。
「なぜ? どうしてわかります?」などと。
そうすると、詳しい話をしなければいけないし、わたしは、その気がない。
なので、どきっとしても、「どうです? 図星でしょう?」と突っ込まれても、
「ははは」と笑って、あとは、知らんぶりをする。

これが、深く長く思い悩んでいることなら、そっちの道にはまり込んでしまうところだろう。
が、幸いなことに、わたしには、たいした悩みがない。(悩みを感じる脳が、生まれつき鈍い)
それに、その手の突っ込んだ話は、ノーさんきゅ。
科学で解明できない話を、あれこれ科学的根拠もないのに、他人に、ぶしつけに押し付けるのは、暑苦しい。


わたしは、人に、自分のこころに入ってこられるのを好まない。
わたしのこころには、わたし一人だけが入るのに、きちきちいっぱいである。
なので、定員1名のところを、ぎゅーぎゅーと押し入られそうになると、席を替わる。
別のところに、自分の場所を作る。

こころの深いところはそうでも、
普段は社交的で、女性仲間のデパートの買い物や、ランチにはよくお付き合いする。
というのは、まったくの嘘で、そういうことは、大嫌い。
こころは閉ざしていても、いっしょにお付き合いしている人は、おそらくなにか企みや魂胆があるのだろう。
こころを閉ざしていない人は、たんに大勢で楽しいのだろう。
それだけだ。

べつに、わたしは人間嫌いなわけではない。
孤独が好きなわけでもない。
冷徹無慈悲でもない。
情や恩は、しっかり感じ持つし、
涙もろいし、関係ないひとや、コトにでも、心動かされ、うるうるする。
芯の部分はウエットである。
が、クールでもある。

両極端が、内包され、同時進行している。
これを人間界では、「矛盾」と言います。(あ、これ、わたしが勝手に言ってるだけ)

「日本人の精神の奥底には、そういうことがあります」
と、偉いお坊さんが仰るのを聞いて、すっとこころが、軽くなった。
あ~ら、わたしって、典型的日本人だったのね、と。
この精神文化は、西洋とは異なるそうだ。
これは、宗教観にもよるところが大きい。
そして、長い歴史にも示されている。

詳しく書くと、寝てしまわれる方々が続出しても困るので、
(朝、起きたばかりなのに、もうはや、朝寝のお手伝い、睡眠導入・誘発になるのは、気が引ける)

ここらあたりで、おしまいにします。

 

 

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へにほんブログ村
人気ブログランキングへ