蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ゆる友

2013-08-09 | 日々のこと

朝の恒例、ネットチェック。
別SNSの趣味系だけでなく、わたしには、またひとつ、項目が増えた。
それは、「古民家」。
そういうコミュがあるので、入会した。
すると、そこには、いろんな人々の生き方模索のようなものが見え隠れしていた。


わたしは、興味を抱いた。
もともと、古民家に関心があって入会したのだが、
単なるハードとしての古民家ではなく、暮らし、生き方、人生、ライフワーク、家族などなど・・・
そういうものと、大きくかかわってくる。


趣味系のほうは、時間がないのに、コメント返しはあいからわず続いている。
(日記をアップした直後よりは、数は、少なくなったものの)
なので、人のブログを読むのも面白いが、
テーマに沿って、人々のお知恵を拝借したり、討論、議論したり、情報を共有したり、
そういうことは、実際の生活に有効に活きる。
情報や知識は、活用してこそ価値がある。
アタマの中だけの妄想でおさまらず、カタチとなり、行動となって動き出す、その種まき、苗育て。
多くの氾濫する情報のなかで、必要とする有効な情報を抽出、チョイスが、ポイント、重大であるが。


同じような悩みや、考えを持った人が集まり、知恵を出し合う場を偶然、発見した。


ということで、日ごろ、もやもやと、具体的にどうしたらいいのか、どうしたものか、と、
アタマのなかでぐるぐる回るだけで、出口が見えないことが、トンネルの向こうの一点の明かりらしき、
胎動のようなものを感じた。



・・・・・・・

あれこれ、あれこれ、あれこれ、生活と人生、
点と点は、つながり線になり、線と線は、接して面になり、面と面は、合わさって立体になる。


自分の人生は、核を持っていると、そして、あきらめず、持ち続けてこころのなかで暖めていると、
知らず知らずのうちに、それに沿って動いていくようだ。



年がいってから、新しいことに挑戦するのが良いという意見と、そうでない、という意見がある。
ものごとに、よると思う。
趣味などは、いろんな意味で刺激になると思うが、
引越しや、家の売却、他人とルームシェア・・・
生活の基盤となる、そういう大きなことは、高齢になってからでは負担が大きい。
環境の変化にも適応しにくくなっている。
新しい環境で、新しいお友達など、そうカンタンにはできない。


「ゆる友」を作るのが、いいそうだ。
ゆる~い友達。
大まかに、おなじ方向を向いて歩いている人。
この大まかは、かなり大まかでよい。


世の中には、いろんな知恵のある人がいるんだなあ、と感心した。
ゆるゆる、ただただ、時間つぶしをしてるだけではない、
ゆるゆるの中に、求めているものを見つけたりする。


すごく高齢になる前に、自分のできる行動範囲を広げておくのも、いい。
あとは、年とともに、できることは狭まっていくだけだから。削減、減少。
そういう意味では、したいこと、できることをスタートしておくのは、よいことだ。
超高齢になってから新しい流れを確立するのは無理で、
超高齢になったら、それ以前に確立していた流れの波に、そろっと、ふわっと乗る。
そろっと降りる、軟着陸でもいい。

ゆるゆると、先を歩いておられる方を参考に、ライフデザインを描き、
自分の道も、カーブをつけるなり、一段、上げるなり下げるなり、階段やらスロープやらをつけるなり、
ちょっと行動の時かなあ・・・と、時の転換期みたいなものを感じた。




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