蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

他人の台所

2011-07-16 | 暮らし

暑い毎日が続く。
原子力問題は、暮らしには切っても切り離せない。

知人、Aさん。
成人に達する娘さんは、冬場でもほんの1回でもジーンズをはくと、洗濯。
バスタオルも、当然、1人1回1枚ずつ毎回洗濯。
まあ、毎回洗濯派と、そうでない派があるということを前にどこかで見たアンケート結果で知った。

義母も、毎回、1日に何度も使う度に洗濯派。
わたしは、同じ人物が使う場合は、毎回何度もではない派。

知人Aさんの場合、洗濯するのはまあ、自由としよう。
ただ、お日様に干さず、いきなり、乾燥機に入れる。
洗濯乾燥機というもので、乾くまで一貫している。
これは、干す手間いらず。

だが、ものすごい電力が必要だ。
天気のいい日ぐらいは、外に干せばいいと、わたしは思う。
外に干すのが嫌なら、せめて、部屋の中に干して、
最後のふんわり乾燥のところだけを乾燥機の力を借りればいいと思う。

洗濯機もどんどん機能的になって、最後まで仕上がるのが製品特徴だったりするが、
わたしは、どんなに大金持ちであったとしても、(大金持ちになってから言うべき?)
必要以上に、意味もなく、消費電力を無駄遣いするそのやり方には、まったく理解できない。

足腰立たない、病弱で寝たり起きたり、洗濯物を干すこともできない、弱りきった人の
強い味方ならいざ知らず、
元気バリバリ、働き盛りの成人女性が二人もいて、そんな足腰立たないほど弱っているとは思えない。

海外旅行すると、有名大手の立派なゴージャス・ホテルでも、
「エコにご協力ください」というカードが部屋にあり、
連泊などでシーツやタオルが、洗濯不要の場合は、そのカードで協力意思を示す。
(あるいは、タオルの置き場所で、意思を示す)

豪華 =(イコール) 無意味に使い放題
贅沢 =(イコール) 無駄に消費三昧

決してそんなことはないと思う。

放射能を少しでも浴びないために、家の中で洗濯乾燥機を使うなら、理解できる。
そうでもない地域で、澄み渡った青空の下でも、なぜ乾燥機?

まあ、同居人なら、イライラもするだろうが、
知人といっても、他人に近いし、生活をともにしているわけでもないし
わたしとは無関係なので、別に構わないといえば、構わないれど。
もし、方針が正反対の親と同居していたなら、嫁姑大バトルに発展していることだろう。

意識の持ち方が、ひとそれぞれで、こんなに違うということだ。
こんな時代になっているのに、エコにまったく興味も関心もなく、協力もしない人がいても、
まあ、個人個人の違いといえば、それまでだが。
わたしと同世代のAさん。
いろんな考えがあるのだろう・・・(というか、深い考えは、ないと思う)

ついでに、どうでもいい他人の家のことを、「家政婦は見た」目線で、一言。
家庭、家庭において、それぞれの家庭を運営されているので、
それを他人がとやかく言う権利も資格も全くないということを重々承知の上で言わせていただくと
(ああ、前置きが長い。だから、なんなの?)


Aさんの家の食卓事情。
奥さんとしては、こんなに楽でいいの?というぐらいのメニュー。

たとえば・・・
ある日の夕食。やきそば、だけ。(もちろん、ご主人も)
別のある日の夕食。ご主人が釣ってきたイワシと、プチトマトだけ。
それを材料にして、料理を工夫するとかではなく、ほんとうに、ちょっと火を入れるだけ。
キャンプみたい。
プチトマトは、他の野菜といっしょに盛り付けるとかではなく、プチトマトのみを洗うだけ。

せめて、同じカンタンメニューなら、冷奴のひとつでもつけるとか、
そういうのは、ないようだ。
家族全員がそれで満足なら、他人があれこれ言うのは、まったく愚の骨頂。
だが、わたしなら、自分ひとりだけなら、まだしも、家族全員でなら、ちょっとさびしすぎるかな~と。

特別な事情があって、ああしてこうして、どうこうしてきて、壮絶な背景が・・・
というのでもない、普通の日本人の一般家庭としては、なんだか、
「家政婦は見た」とはまた違う、なんて言ったらいいか、わからないけれど、
とても複雑な心境になる。

わたしなら、せめて、枝豆と、酢の物を追加する。
ひじきの煮物も、ほしいなあ。

どんぐりの背比べ。

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