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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お嫁サマは、花嫁専門学校卒

2012-09-06 | 

大学の家政学部出身というのは、なかなかスゴイものがある。
「家政学」であって、「家事学」でない。
家政と、家事は、違う(はず)。


なにぶん、わたしは、家政学部出身ではないので、なんともかんとも、どうとも言えないが。


食物学科、児童学科なんてのもある。
発達心理学やら、児童心理学、家政学、なんて、学問もある。
これらを完全にマスターし、習得すると、スーパー主婦、ミラクル・ママ、
ひいては、モンスター・ママになって、学校に苦情の山を言いに、先生に、詰め寄り襲い掛かっていくのだろうか。
あるいは、賢すぎて、育児や教育を詳しく深く知りすぎて、完璧を目指して育児ノイローゼになるかも知れない。
(わたしは、いい加減すぎて、マズすぎたが・・・)


その、家政学を究め、学士サマになると、結婚の条件がワンランクもツーランクもアップするとか。
女子大は、高級花嫁専門学校か?



以前にいた会社で、ある総務の女の子が言っていた。
「短大は、化粧を習うところだからって、親が行かせてくれなかった」
その女子は、高卒で就職した。


で、その総務に4年制・国立大学(昔の国立一期校)卒の女性が、入ってきた。
ああ、よりによって総務に入るとは、なんと、お気の毒。
高卒の女の子が、うじゃうじゃ、しかも、お局さまも高卒(短大かも?よく知らない・・・)
国立卒でも、中途採用なので、新米。


まあ、よってたかって、女子が女子を、いじめたおしていた(ように見えた)。
だが、国立卒女性は、理屈に合わないことに関しては、相手にしてなかったように見えた。
背の高い、クールな女性だった。



20代後半に独立して税理士事務所を開いている、K税理士によると、
国立大学卒と、私立大学卒、専門学校卒、高校卒では、デキがまったく違うそうだ。
私立でも、大学ランクによって、ぜんぜん、アタマのランクが違うとのこと。
事務所スタッフ採用にあたって、いろんな人材に接してきたK氏は、
実感として、「○○卒」というのは、単なる、お飾りではない、と仰る。

なかには、冠にそぐわない不純ブツ・不デキ人も混じっているかも知れないが、
だいたいは、学歴に応じた実力を内に持っているそうだ。
わたしが、仮に彼の事務所に(なにかのマチガイで)紛れ込んで入ったら、
「その他大勢の、デキないクズ」として、ゴミ箱ファイルに、即、放り込まれそうだ。


え・・と・・・それは、そうとして・・・
話は、なんでしたっけ・・・??


家政学を究めた高級花嫁を妻にもつ、いくらお稼ぎになるのか知らないが、
仕事で、くたくたに疲れて帰ってきて、さらに家事をさせられる、しかも、嫁は、一日中、家にいるのに、と嘆く花婿さん。
この不平、不満、なんとなく、わかるような気がする。
妻も、ばりばりに能力があり、家で閉じこもっているような人材でないのに、嫌々渋々、今は、事情で家にいる。
もし、バトンタッチして自分が稼いだら、夫なんぞ、ヘのカッパ。
だが、キャリアがないなら、すでに妻は手足をもぎ取られている。

家政科を選び、結婚後も就職せずに、いた妻。
つまり、結婚を選択したというわけだ。
じゃあ、家事しないと、だめですね。
そもそも家政科を選んだあたり、結婚一直線が、見え見えではないか。

夫に家事・育児を手伝わせるのも、今の時流だけれど、
くたくたに疲れて帰ってきている夫に、「はい、これ、やって」と、
当たり前のような顔をして、家事を押し付けるのも、いかがなるものかと。
いっそ、家事は、100パーセント、いや300パーセント妻がやるとして、
そのかわり、夫の給料や福利厚生、待遇のことで、思いっきり意見・希望を夫に述べましょう。


隣の○○さんは、給料は、これこれらしい、△△さんは、海外旅行に家族で行ったらしい、
■■さんは、新車を買った、もっと広いマンションに移った・・・
あれこれ、一気に言いましょう。
家のことは、わたしが300パーセント全力を出し切って担当しているけれど、収入を得るのは、あなたの役目でしょ?
帰ってくる時間が遅いのは、あなたの仕事能率が悪いからよ。
上司が帰らないから、先に帰れない? そんな会社しか、あなたは居るところがないのよ。

そういうわけには、いかない、おまえは仕事のことなんか、なにもわかってないって?
はい、わかりません。
なんでもいから、もっと、給料、多く、とってこい。あんた。


お互い、自分の希望ばっかり押し付けあって、家庭は最悪の雲行きになる。



ここで、わたしの超個人的な意見ですが・・・
いまどき、専業主婦を飼える、いや、間違えた、抱えることのできる夫、って、どれぐらい、いる?
妻には働いてもらって、家計を助けてもらい、自分も家事を負担する。
家事を押し付けられた、疲れた夫は、妻が専業主婦であれば、言い分はあると思う。
もちろん、妻に家事をおしつけられない程度の堂々の稼ぎがあって、の場合だが。


稼ぎは悪いは、家では殿様だ、では、話にならない。
なにか、ひとつ良いことがあれば、ひとつ、良くないことがある。これは仕方ない。
ひとつも良いことがない、あるいは、悪いことばかり、よりは、ましだ。


稼ぎばかりをバロメーターにするもの、偏りがある。
労働に貴賎はないはずだし、金額ばかりにとらわれると、歪が生じる。


お互いの役割に対して、感謝とねぎらいの気持ちを持つということが基本。
厳しく辛い外で思いっきり働けるのは、銃後で家庭をしっかり守っている妻のおかげだ、ということを忘れずに。
生活の基盤となるお金を稼いできてくれる夫なくしては、生活は成り立たないということも肝に銘じて。


自問自答の長い長い時間

2012-08-26 | 

中途半端に元気で、中途半端に、元気でない老人は、ややこしい。

いっそ、歩けない、食べられない、しゃべれない、確実に認知症、内科系重病疾患・・・
そういう人なら、本人の嘆きも相当ではあるが、自立できないので、まわりは、大変な負担を強いられるものの、
その中間は、じつに、ややこしい。

認知症ではないが、老化による適度なボケはある。(わたしにも、もうとっくの昔からある)
そういう人が、へんに決定権を持っていたり、お金を持っていたりすると、業者のカモになる。
中途半端なだけに、家族すらも口を出せない。
これが、いちばん、ややこしい。

・・・・・・・・・・・・

 

これとは、また話は別なのだが、、、、、

 

田舎の付き合いって、なんだろう?
人情味が厚い?
冠婚葬祭の、あの密度の濃さ。
昔なら、福祉も充実していなかったから、親戚や隣保による互助システムのように、
国や自治体に頼らず、自分達で、葬式代・その他を当座、工面してもらうために、
香典だの、なんだのをやりとりしていたのだろうか。
最近は、香典を辞退するお葬式もかなり増えている。

じゃあ、お祝い金は?
喜び、お祝いの気持ちをお金で表した?
今では、結婚式の引き出物も、カタログになったり、結婚祝いをとらない代わりに会費制をとったり、
と、現金のやりとりも、いろいろ様変わりしている。

田舎だけでなく、都会でも、職場でも、冠婚葬祭の現金のやりとりは、あるようだ。
ただ、わたしの住んでいる町(何十年も前、人工的に造成された大規模ニュータウン)では、
以前は、町内の誰かが亡くなったら、町内会の当番の人が、告別式のお知らせを一軒一軒配って回り、
知り合いの近隣の人々や町内会長さんが、告別式に出席していた。
だが、今は、回覧板で、だれそれがいつに亡くなり、告別式は済ませました、と報告があるのみ。
誰も、出席しなくていいし、ばたばた走り回ることもない。

あれ、こんな人、いたの?
あら、この人、亡くなったの?
負担も軽いが、一人ひっそり命の灯火が消えても、まわりに与える影響もない。

だが・・・
知りもしない、顔も知らない人の告別式に出るのは、付き合いなのか?
それが、いいかどうかは、別として・・・

それだけ、人や地域のつながりが、希薄になってきているといえる。
家族のない人や、地域の付き合いをしていない人は、孤独死もあるし、
社会の隙間で、死角となって絶望的な暮らしをしている人もあるだろう。
それは、ひとつの社会問題ではあるが・・・

田舎の閉ざされた一定地域の密度の濃すぎる付き合いに、へきへきしている身にとっては、
ああ、あっさりした付き合いは、なんと気楽なことよ!
と喜んでいるばかりとはいかないのは、いたしかたないことだ。
なんでも、100パーセント、いいように、うまくいくとはならない。
少しは、反動や逆流、揺り戻し、いいことも、悪いこともある。

田舎をあっさり切り捨てて、町に出てくると、気楽ではある。
田舎では、いちいち、だれそれが亡くなったといえば、親戚は当然のこと、近隣でも、ぞろぞろ、
告別式1回だけでは済まされず、その後も続く、ちまちま、あれこれ一連の行事に振り回されるという、わずわらしさも町にはない。

何代も何代も前の親戚の告別式だけでなく、延々と続く法要も、出席する側も、主催する側も、たいへん。
お年寄りがぞろぞろご存命、となると、いつもいつも、葬式と法要にスタンバイしなくてはならない。
今のお年寄りたちが、お亡くなりになったあとは、
もう、そんな、めまいがするほど遠い遠い親戚同士の、お互いの負担合戦はピリオドにすればいい。
近い親戚だけで、やればいい。
(おそらく、そうなることだろう)
遠い親戚間であっても、あえて、やりたい人だけが、やればいい。
(だが、呼ばれる方は、かなわない)


もう、何代も前から町で暮らしていると、田舎(地方出身)意識はない。
町流儀、自分たち流儀で、ことを行えばいいが、
田舎は、その地域の風習、慣習、流儀、やり方があり、
その通りでないと、「あのやり方は、間違っている」とかなんとか、非難の的になる。
「ほっといてくれ」というような人は、田舎には住んでいない。とっくに、町に出ている。

町に出られない事情の人は、やむなく田舎に住み続け、自分も嫌だけど無理やり頑張ってやっているんだから、
他の住民や親戚にも、自分と同じような流儀でやらせようとする。
町から、出て行った人は、涼しい顔で、
「よう、やってんなあ、そんな(無意味な疲れる)こと。お金と時間と労力、ご苦労様」みたいに、
自分は逃れられて、部外者になって、その選択は間違ってなかったように言う。

時代は変わり、インターネットの時代には、流行もデモ情報も、同時に流れる。
価値観も氾濫する。


当地に住んでいない人間が、当地の風習に従わないと、
「こっちに住んでいないからね」と、冷ややかな目で見られる。
当地に住まないのは、気に入らないからだろうと推測される。
その推測は当たっているのだが。
郷に入れば、郷に従え。それが嫌なら、郷に入るな。

住みたくないが、維持もしたい。
ものすごく遠方地なら家を処分するのも、やむをえないだろうが、
そう遠くない場合は、よっぽどのことでもない限り、売ったりしない。
たとえ、売ったとしても、二束三文、市場価値は、雀の涙で、限りなく低い。
先祖代々済み続けていた当家の人たちだけにとって、価値がある土地である。
他人には、なんの値打ちもない。

移民文化の民族には理解できないことだろう。
日本のように、土着農民スピリッツが、まだまだ延々と地方のあちこちには根付いている民、
特に、農民の、農地に対する思いは、重い。
生まれ育った土地を大切にする精神は、次世代である若い世代にも受け継がれている。
(震災で故郷を離れざるをえなかった人々の苦悩は、推して知るべし)

土地だけでなく、家も。
house(ハード面)ではなく、家制度のイエ。
とっくにそういう制度は、民法では廃止、消滅しているものの、
まだまだ長男が跡継ぎで、家督がどうの・・・と、こころの底には根付いているようだ。
たいした家柄ではなくとも、代々、継続させるというだけでも、目に見えない苦労がある。

日系2世や3世の人々は、外地の暮らしをし、外地の言語を話し、
ルーツは日本であるということには違いないが、日本で暮らす日本人とは、一線を画す。
ルーツだけを語り聞かされ外地で育つのと、
実際に、ありありと心物両面、物証が息づき物語る暮らしをするのとでは、臨場感、リアリティ、影響の濃度が違う。


延々と、なにが言いたいかというと・・・(自問コーナー設置)

自分の価値観を見極め、自分のこれからの行動の舵を、どう切ろうかと目下、わたしは熟考中だ。
自分の考えをまとめる前に、他からの圧力に負けて、屈して、あるいは、流されて行動するのでは、悔いが残る。

(逆のケースもあるかも知れないが。
あーでもない、こーでもない、と、つまらないことを、うだうだ、いつまでも考えて、ぐずぐず結論が出ないより、
なにも考えずに行動して、
プロセスは、まあ仕方ないにしても、結果的には、かえってよかったということもありえる)

時が解決してくれる、ということだってある。
先に事態が急展開、大転換して、考える余地、選択肢がないこともある。


田舎と、町。(夫の実家と、核家族の家)
両方に、右足と左足、両足を着け、中間バランスのスタンスでいくことを、今のわたしは望んでいる。
(中間は、無理でも、それぞれの事態に応じて臨機応変に)
我々の世代になると、どうなるのだろう・・・???
今は、世代が変わる、その少し前である。
老いた政治家は、なかなか引退しない。
いつまでも引退ぜずに、続けられるのなら続けていただいても、それはそれで、おおいに結構なのだが。
バトンタッチは、「夜明け前」なら、まだいいが、「日没」時か。

将来、自分が棺おけに足を突っ込みそうな頃は、 また違う考えになっていることだろう。
息子を中心に、子供達に、一切合切、まる投げの可能性、大である。

 日没から夜半にかけて、親世代からバトンを受け取り、、深夜暗闇のなか、おろおろするだけで、
明け方未明に、次世代に「あとを頼む・・・」と世代交代し、次世代は、新しい夜明けを迎える。
そうなると、時間の流れのツジツマは合う。
(我々以外の世代は、陽が当たる時間に活動・活躍)

我々世代は、じいちゃん、ばあちゃん、こどもたちが、しっかりしていて、成長する機会を逃がし、
そのスキマに挟まれ、いっこうに活躍しないで、年は取っても中身は未熟なまま、この世を去る・・・
・・・これは、じつに、ありがたい、幸せなことではないか。

まともな人から、「けしからん、ふがいない」、とお叱りを受けそうだが。
でも、生きているといろんなことがあるので(いいことも、悪いことも)、楽観視ばかりもしていられない。
次世代に夜明けにバトンタッチしようと企てていたら、まんまと逃げられ、
結局、翌日も翌々日も、まるまる24時間体制で働かされ、苦労を強いられるかも知れない。

が・・・

人間、なるようになる。
不幸を追い求めてもしかたない。

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延々、長々と書いていたら、こんなに長くなってしまった。
最後まで、読破された方には、「ご苦労様」という、ねぎらいの言葉をプレゼントします!!!!


グラデーション・トンネル

2012-02-26 | 

隠れオバタリアンのことを書こうと思っていたのだが・・・
またまた、毎日のなりゆきで、気分が変わってしまう。

というのは、昨日は、義母の住む家(=夫の実家)に行った。
行きは、アタマの中は、今、面白くなってきた社交ダンスのことや、
そこで接する人々のことが、ぽわんぽわんと浮かんでは消え、浮かんでは消え、
カーラジオのFMから流れる曲といっしょに楽しんでいた。

いつも、義母の家への道中、真ん中を過ぎるあたりに、トンネルがある。
このトンネルを通過すると、わたしは、時の止まった地域の人間に変わる。

トンネルまでは、気ままな都会生活を楽しみ、距離感が気持ちいい、人工的に造成された住宅街の住民。
トンネルを抜けると、閉ざされた、歴史深い地の、固定された人間関係のなかで動く、嫁。

トンネルの中で、徐々にグラデーションがかかって、変化していく。
帰りは、その逆で、また、解放された地へ戻っていく。

自分は、どっちの人間なんだろう。
どっちも、だ。


ある会で、キモノを着ることにしたので、義母の家に置いている、わたしのキモノをチェックしてきた。
下娘のキモノも同時にチェック。
来月、お彼岸の時に、持ち帰る予定。

嫁入りの時に母が用意してくれた和装品の中から、どれとどれを合わせるか、選んだ。
キモノ、帯、帯揚げ、帯締め、色と素材の組み合わせに、義母のアドバイスを受けながらアタマを悩ませる。
(じつは、後半は、もう、和箪笥から、畳〔たとう〕紙に包まれたキモノや帯を、
何度も何度も出してくるのが、うんざりしてきた)
義母が、自分の帯締めや帯揚げも、どこやらか出してきて、選択の候補に入れてくれた。

しみじみ・・・母に感謝。親に感謝。義母に感謝。
今までの、わたしにかけてくれた時間、労力、お金、そして愛情に、感謝。
そういう気持ちになった。


義母の家にサポートに来てくれている女性、Fさん。
彼女は、なんとW大学を卒業されている。
わたしより少しだけ年齢は上だが、あんな田舎から、東京の名門大学へ。
わたしなんぞ、足元にも及ばない才媛。

彼女は今では欠かせない、義母のおメガネに叶った、重要な人。
いつも、お世話になっている。(あ、でも、これ、ボランティアではなく、ビジネス)
善意や思いやりは、必要ではあるが、時には、一人歩きしたり、空回りしたりする。
金銭の授受で成り立つ契約関係は、お互い、自立と距離感が保て、わたしは良いと感じる。

お金の流れは、こうだ。
夫→義母→Fさん、その他
つまり、わたしを経ない(介在しない)金銭が流通し、円満かつ円滑に、コトが進み、行われている。
じつに結構なことだ。

夫→わたし→義母→Fさん、その他
夫→わたし→Fさん、その他→義母

そういう流れもありえる。(経験したことはないけれど)
つまり、わたしが窓口になって采配し、オーダー、手配するという図もあるかも知れないが、
カラダは多少よろついても、アタマがはっきり回っているあいだは、義母にお任せする。
そのほうが、いつまでも自立心、力が保てて良いと考える。

お誕生祝いや、時折、お小遣いらしきものを義母からもらうこともあるが、
その財源は、夫から出ている。(それだけでもないだろうけれど)
どこから出ようが、なんでも、くれるってことは、ありがたいことだ。
わたしから、義母にお祝いを渡すこともあるし、
お互い、お金という、万能な便利ツールが、こころの橋渡しとなっている。

野田総理が、財務省のパペット(操り人形)と言われているように、
お金を管理することは、全体を牛耳ること、権力の中心となるんだなあと実感する。

ひねくれモノのわたしなら、ここで、
義母は、わたしが気に入らないから、わたしでは役に立たないから、
夫から吸い上げたお金を、お気に入りの人に渡して、わたしを蔑(ないがし)ろにしている、
とも取れないこともないけれど(今、書きながら気付いた)、

夫→義母→わたし→Fさん、その他
夫→義母→Fさん、その他→わたし

この、第三のパターンで、どこかにわたしを組み入れるのが、一般的?

わたしは、実生活では、いたって天然系なので、自分の場所をどこかに入れるのを忘れている。
よい人、Fさんが、わたしの代わりにあれこれ働いてくれ、とても感謝している。


昔のランプやら鉄瓶やら、見つけてくる息子が、
「時代おもしろテーマパーク」とネーミングする、義母の住む、夫の実家、
わたしが前回見つけた、昔の、とあるモノから、
それにまつわる興味深い話を掘り出した。
モノは時代を語り、時代は人を語り、人は人を繋(つな)ぎ、生きてきた物語の物証となり、
わたしはとても、わくわくしている。

 

 

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日ごろ、わたしが貶(けな)している、キレイ事のオンパレになった感あり。

いいんです。


人間には、いろんな側面があるんです。

矛盾して生きるのが、人間なんです。

なんて・・・天然系は、思うのであります。



しかしながら・・・
よおく考えてみると・・・
(補足です)

自分だけ、「天然」で逃げ切ろうと思っていても、その場限りではすまされない社会問題を抱えている。

こうやって、次世代の若い人が、親子の絆や、嫁の役割、地縁血縁からするりと逃れ、
自由度の高い都会に流れ、過疎地や、次世代が寄り付かない地域は、どんどん高齢化し、崩壊するのだろうか。
隣はなにをする人ぞ、の、都会では、地縁血縁に縛られない緩やかなつながりから生じる隙間から、
さらなる死角を生み、高齢者や単身者の孤独死が、社会問題化されている。

どこで、どんなふうに暮らすか、QOL(Quality of Life=生活の質)の問題もあるし、いろいろ他分野に問題は広がる。


正月明けから・・・

2012-01-04 | 

ある方の、迎春モード満載のすばらしいブログに、うっとり。
写真が、限りなく美しい・・・

ま、やせ我慢の極みで、申し訳ないけれど・・・
わたしは、自分の目のスクリーンに鮮明に焼き付けてきた、今年のお正月のワンシーン、ワンシーン。

特に、今回のお正月は、家族や親戚に、新しいメンバーが加わったので
若い人の参加は、末広がりでウレシイものだ。

実家の底力も見せていただき、感激しかり。
母と義姉のコラボは、すごい。感動した。

写真をアップしたらいいんだけれど、いつも、ここで躊躇。
わたしは、へんなヤツなので、あまりにも素晴らしいと自分で思う、手前ミソのもの、
特に実家がらみとなると、写真をアップするには手が止まる。
自分たちだけの、身内だけのものにしたい願望がある。

以前、父が生前、愛蔵品の内覧会を、実家で催したが、
招待したのは、身内も身内、
義姉のご両親、姉一家(姉夫婦と子供たち、ご両親)と、わたし一家(わたし夫婦と子供たち、義両親)のみ。
部外者は、ゼロ。
外に対して、見せびらかすというか、大事なものを開示しない主義は、わたしは父譲りかも。
当日、女性たち(母親)は全員、訪問着(和装=着物)。
気合が入っていた。
(わたしは、手抜きの格好。
子供たちは、姉の子供のお古。格調高い服なんて、子供はひとり1回しか着ないし)

そんな日もあったなあと、懐かしく思う。

いま、テレビの前で寝っころがっている夫に、当時のことを聞くと
まったく覚えていないとのこと。
そんなことがあったことも、自分が行ったことも覚えていないとのこと。
それをめぐって、また戦闘開始・直前状態に入った我々。
寸前のところで、戦争勃発は免れたが、夫とわたしとの意識の違い、温度の違いは、歴然。

20年も経つと無理かなあ・・・

自分には大切な行事で、思い深いことでも、無理やり連れて行かれた夫にしてみれば、
空白の、白紙の(退屈な)(どうでもいい)1日だったようだ。
今さらながら、そのことに驚いた。

ま、いいや。
興味のないことは、覚えていないということは、人間の当然のメカニズム。
興味がないのに、興味を持て、というほうが、無理がある。
おとなしく、嫌々でも付いてきてくれただけマシか。

せっかく厳かな、重みある出来事を思い出して、悦に入ろうとしていたのに、
夫の発言で、急な路線変更。
世の中の夫というものは、こんなものだろう。
妻の家の自慢など、聞きたくないのは当たり前。
だが、正直な告白は、時として正直すぎて人を傷つける。

ぶっちゃけたハナシ、
父は、きっと、他人は自分の自慢など聞きたくない、見たくないだろうと予想して、
それで身内だけを招待したんだろう。
内なる自慢たれ、やはり、わたしも父譲りか・・・。


やっとブログタイムが持てたというのに、正月からケンカしてもつまらないこと。
とりあえずは、ブログタイムを楽しめることに感謝しなくっちゃ。

 

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細かいことには、こだわりません。

2011-08-15 | 

お盆行事も、どうにか終了し、昨夜、我が家に帰ってきた。

まだ、夫や娘たちは、今日は出勤せず、お盆休みが続いている。
上娘の友人(東京在住)の、お休みの長さを聞いて、
まあ、なんと長いこと・・・一度に集めて休みをとった、というものの、
大手企業の夏休みの長さには、驚くというか、ため息が出る。

なので、まだ我が家は、お休みモードで、平日のパターンではないが、
お盆関係は、きれいさっぱり、終わり、
土地に根ざした古い風習のない、歴史の浅い町の、いつものお休みの色合いだ。

夫の実家では、お盆は、ご先祖様がぞろぞろ団体さんで帰ってきて、
生きている我々が、あれこれ御供えする。
そっちよりも、今回は、上娘のゲストのほうにわたしは気を取られ、お盆行事は、
なにも苦もなく、難もなく、いとも、すんなりと、サクサク行われた。
はるばるゲストが来て泊まるとなると、宿泊部屋、リネン類、洗面、浴室、食事・・・と、
旅館とまでは言わないにしても、わざわざ遠方から来てくれているのだから、
居心地よく過ごしてもらえたら嬉しい。

付かず離れずの距離関係を意識して、くっつきすぎず、ほったらかしすぎず・・・
ちょいちょい、部屋に訪れたり、娘とゲストが、我々のほうに来たり・・・
今回は(も)、夫がゴルフで不在だったので、家の中が酸欠の危機にも陥らず、
暑苦しくなく、とてもスムーズにコトが進んだ。

義母と、我々との距離も、ゲストとの距離も、ほどよく取れ、けっこう、うまいぐあいにいったと思う。
帰り際に、にこやかな笑顔で挨拶をしてくれた彼女たち、
爽やかな、その後姿を見ながら送り出し、やれやれ、と胸を撫で下ろした。

その次の日からが、仏さんの御供えオサンドンだったので、スケジュール的には、とても楽だった。

いつもながらの、お盆用、仏さん用の食器で、決まったメニューの食事を御供えした。
この朱の漆塗りの食器は、お正月用とほとんど同じ時代のものなのだが、
一年に一度しか使わないものの、もう、わたしは、嫁入りした時以来、使っている。
180年近く前のものだが、使い始めたのは、いつ頃からなのだろう。
お膳も、椀皿も20客単位だから
もともとは、冠婚葬祭用に、大勢の人々をおもてなしするため購入されたのではないかと推測する。

それは、まあ、いいとして、義母に、あいかわらず、洗濯物の干し方で、クレームをつけられる。
「北向きに干してはいけません。南向きに干しなさい」
もういい加減、覚えてもいいんだが、わたしも、気合を入れて聞いてないんだろう。
「はい」
あいかわらず、聞いているが、頭を素通り。
が、わたしは、ハンガーの向きを180度クルンと回した。
単にそれだけで、あっという間に、北向きが南向きに早変わり。
文句を言うより、ほんの一瞬、ハンガーを回すほうが、カンタン。
「昔は、着物の合わせの向きの加減で、重なった部分がよく乾くように、南向きに干すのよ」
「介護に行ってるUさん(介護スタッフ)が、言ってたけど、どこのお年寄りも、そう言ってるって」
そういう、追加フレーズ付き。

介護を受けながら、洗濯物の干し方をいちいち注意されたら、介護スタッフのひとも、うんざりするだろう。
でも、みなさん、徳を積んでおられるから、笑顔で実行されるのだろう。
(こころの中までは、知らないけれど)

わたしは、着物のたたみ方すら、まともに知らないのに、家で着物を洗濯して干すなんて
ありえないことなので、南向けの干し方を、音楽か教養講座のようなノリで、聞いていた。

お盆や、ご先祖様にまつわる、いろんな膨大な話も、義母から聞いた。
(我々の、「町の暮らし」が、重みがなく軽いと感じているフシもあるが)
しかしこれだけ、長年にわたり、何回も聞いているのに、
なんで、わたしは、こうも、まともに覚えられなくて理解できないんだろう。
不思議を通り越して、自分のいい加減さに、にたにた笑えてしまう。

でも、義母もいつまでも、アタマや記憶力、口が達者とも断言できないので、
このごろでは、わたしはメモをとったり、表を書いたりして、正確な理解と、記憶につなげられるよう、
自分なりに努力している。

しかし、わたしは、そうとうなアホだが・・・・
よくよく考えてみると、これだけアホなほうが、けっこう、うまく行っているように感じる。
(やる気がないだけ、とも言える?)
へんに賢かったりすると、やってられないかも。
意見も出るだろうし、考えが違うことを表明し、違う独自の道を歩むかも知れない。
(それはそれで、自立への自然な流れで、結構なことだが・・・)

嫁姑の権力は、うちの場合、年功序列なので、元気なうちは、姑が上司。
今の時代、着物なんぞ、まったく着なくて、家で着物を洗濯なんぞしなくても、いいの、いいの。
昔はそうであって、それを強制させようとしている人がいても、
同居していたり、介護スタッフをやっていて、毎日顔を突合せているわけでもないので、
べつに、(どうでも)いいの。
ご老人は、元気なうちが、ハナ。

嫁姑が助け合って、家を盛り立てて、次世代に引き継がせていくことができれば、それでいい。
時代に合わないことは、自分のなかで調整すればいいこと。
切り捨てるものと、残すものを振り分け、アレンジし、次代に伝えられたらいいと願っている。


ちなみに・・・
夫のエアコン依存病の遺伝子は、明らかに義母から、と明白にわかる、
家の中での、義母の節電しないぶりは、あっぱれで、闘う気力もなし。
各部屋、どの部屋もどの部屋も、窓も、ドアも開けっ放しで、エアコン、扇風機、つけっぱなし。
暑がりで冷え性の義母自身がベストと思える、そのやり方、暮らし方で、
義母の健康を保っているのなら、それでいいのかと。
何度も言うようだが、日ごろは、別々に暮らしているので、お互い、独立国。
表面上は、独立採算制。(実際は、経済負担はこちら持ち)
本当に助けがいる、その時まで、ぎりぎりまで、
義母自らが厳選したサポート・スタッフの力を借りながら、(今までそうであったように)
心身健康のため、自立した生活を送っていただきたい。

実際のところ、理想と現実はなかなか一致しないが、
相互理解、支え合いの精神がベースにあり、それを無理のないカタチで(試行錯誤しながら)
育んでいけば、ぎくしゃくせずに、お互いにとって適正な距離間が保てるように思う。

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よその家の、満足っぽい話、読んでいても、おもしろくとも、なんともないかも知れないですね。 
わたしは、いままで、不満たらたら(今でも、時折たらたら)でしたが、
最近になって、この年になって、ようやく、
大きな流れのなかで、モノゴトを見ることが、少しできるようになりました。

でも、まだまだ、未熟、
未完の、モラトリアムですが。

 


集まるのは、いま生きている人と、むかし、生きていた人たち。

2011-08-11 | 

明日から、ぐーんと忙しくなってくる。

お盆には、ご先祖様がぞろぞろ団体さんで帰省してくるからだ。
ついでに、生身の人間、上娘も、東京から友人を連れて帰省してくる。

仏さんのオサンドン(代々伝わる、きっちりメニューが決められたものがある)
毎年、これに、振り回されるのだが、それに加えて、人間のオサンドンが加わる。
しかも、ゲスト付き。

さらに、場所は夫の実家。
自分の家なら、勝手知ったるところだが、夫の両親の家。
庭が草ぼうぼうだと義母は気にし、先日からふらつく、ということで、おもてなし一切をわたしに委ねる。
夫の実家は、じつのところ、わたしの家より、キレイ。
掃除、きっちり。リネン類も完備、整理されている。
義母は、なんと、今は絶滅種の良妻賢母。
その良妻賢母を育てる学科を卒業し、みっちり仕込まれているので、家政に関しては、プロ並み。
あ、ちなみに、わたしは、幼稚園児並み。

しかし、おもてなし、といっても、そんなもの、できない。
お盆は、仏さんのおもてなしのほうが、優先順位が高い。

第一、お盆のど真ん中に帰ってこられても、仏さんを抱える家では、忙しいんだし、
「ちゃんとおもてなしできないから、お友達は連れてこないでね~」
と、とりあえず長女にやんわり断ったのだが、いったんは、聞き入れてくれたものの
「わたしたちは全然、気を使ってないから、そっちも、気を使わないでね」
と、来ることを決行するようだ。
あなたたちは、気にしなくても、こっち(義母と、わたし)は気にするんだって。

で、アタマが痛い。
お友達の分も、ちゃんと食べさせてあげられるだけの、料理の力量が、わたしにはない。
仏さんの分だけで、精一杯。あっぷあっぷ。
仏さんに出した分を、流用しようか。これ、いいかも。

しかし、それじゃあ、お若い20代の二人には、ちょっとシブすぎるような気がする。
御供えメニューは、オール野菜。肉、魚なし。

東京から出発し、明日の夕方には到着するという二人。
わたしは、のんきに、明日の昼過ぎに、夫の実家に向かう予定。
準備時間、ほとんどない。
大丈夫なの? わたし?
夕食、なににする気? まさか、またスキヤキ? 
(前も、我が家に二人が来たときのメニューは、スキヤキ。そのメニューしかない、と思われそう・・・。
いや、実際・・・そんなかんじ)
翌日の朝食は? 昼食は? あああ・・・
食事だけが、わたしの大ネック。(食事以外も、ネックだが・・・食事は、とりわけ極め付き)

落語家殺すにゃ刃物は要らぬ。あくびのひとつも、あればいい。
スロー(わたし)殺すにゃ刃物は要らぬ。「食事、家でいただきます」のアポがあればいい。


仏さんのメニューみたいに長い長い間、ずっと同じの献立のほうが、どれだけ楽だろう。
帰省組の仏さんに新人が参加すると(一番、近年では、10年前の義父)、
コーヒーとか、食事の合間に、その人だけが好きなものをプラスしていることもあるけれど。

わたしがあの世に行って、お盆に帰ってきたら、なにを供えてもらおうかな?
その頃、御供えしてくれるような、仏祀りをしてくれるような、そんな人物はいるのだろうか?

強制的に息子に責務を押し付けることになるのだろうけれど、
無言の圧力ほど、息子にとって、気の毒なものはない。
結婚してないかも知れないし、妻子のない、老いた独身の息子が細々と・・・・
なんだか、かわいそうな、そんな気もする。

現状から察すると、わたしは勝手に、彼は結婚してないだろうと想像してしまっている。
いまの、子供たちは、結婚はとても意識も違い、なかなか難しいので、親が外野からヤキモキしても、
昔のように縁談がまとまることはマレだと思う。

(奇跡的に)結婚できたとしても、この、仏壇やら、お墓やら、お盆のメニューやら、
そんなことをお嫁さんが引き継いでいってくれるのだろうか。
しかし、自分で終わらないようにするのが、わたしの、せめてもの責務かも知れない。
家意識や、家の宗教の継承って、代々、引き継ぐのが当たり前と考えられていた時代と
そうでない時代がある。
「うちは、重々しい家ザアマスすから、よろしくお願いするザマスっ」
と、重さをどしんと押し付けるって、誇りなのか、埃なのか、重いだけなのか。

日ごろ、サボりまくっているわたしだが、要(かなめ)のところだけ、きちんと押さえておかねば、
とは思いつつ・・・
いったい、どうなるんだろう。
嫁いでくるお嫁さんのタイプにもよるだろう。
この影響は、かなり大きい。

時代の波、時代の価値観、動くもの、動かないもの、自由なもの、そうでないもの、
いろいろあります。
非常に微妙な問題、立場である。
自分も嫁、姑も嫁、姑の姑も嫁、その前の姑も嫁、その前の・・・・。
つまり、嫁が、いずれ姑になって、延々、それが繰り返されているわけだ。

順番としては、それそろわたしが姑になる頃なんだけれど、
嫁姑・数珠つなぎが、わたしのところでストップしてしまうとも限らない。
嫁ももらっていないのに、そんなことを考えるわたし。
第一、今の時代「嫁をもらう」なんていう感覚こそ、古臭くない?
じゃあ、「嫁にきてあげる」? 
押しかけ女房?
いや、それはニュアンスが違う。これは女性の方が積極的な場合に使うフレーズ。

嫁に「行く」、「来る」、という、その概念が今では違うような気がする。
ま、専業主婦で食べさせてもらおう、なんてアタマっから思ってる女性や、
どーんと引き受ける男性には、そういったかんじなのかも知れないが。

平成のこのご時世に、こういった微妙なことを感じている妻、嫁のことを、
夫は、まるで理解していない。
家の方針に従うのは、あたりまえ。嫁に来ているのだから、と。
アタマの中は、むかし、むかし、むか~しの、ずっとずっと前のまま。
お盆にどっと徒党を組んでやってくるご先祖様たちと、さぞや話が合っていることだろう。
(お盆は、例年、毎年、夫はゴルフで不在だけど)

家や嫁の価値観、概念が時代とともに変わる今、
次世代のこともチラリと考えながら、
とりあえずは、忙しいお盆の行事をこなすことにしよう。

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狭い地域の暮らし。

2011-07-31 | 

昨日は、法事があり、参加した。
夫側の実家の近隣親戚。
参加女性は少なく、ほとんどが、男性だった。

名字が同じなので、皆さんのお話で、
「K家では、・・・どうのこうの」
「K家の人は、なんたらかんたら」

と、K家の話題が出る度に、Kを名字に持つわたしは、ドキリとするのだが
本家やら分家やら、さらに分家にも何代前の分家やら、
さらに分家から養子に行って、そこにまた養子を迎えて、なんやらかんやらあるものの
ああ、そうだった、ここに集まっている人たちは、初対面でも全員K家だった。

だれが、だれだか、さっぱりわからなかったが、義母の指示・命令で参加した。
去年のお葬式にも参列しているので、
その時、知らない顔の人は、今回で、2回目のお顔を拝見することになる。

それでも、やっぱり知らない人がいる。
(大勢のお葬式のときには、顔もろくすっぽ見てないし)

だいたいは、顔を見て、
わたしの知っている人に似ている顔の人は、血がつながっていると判定する。
兄弟だったり、親子だったり。
これは、わざわざ「あの人、誰ですか?」と聞かなくても、ほとんど間違いなし。

法事が行われた、その家の場所がよくわからなくて、義母に手書きで地図を書いてもらった。
白い紙に、にょにょろと1本か2本線を引いただけの、立派な地図。
書いてもらっても、書いてもらわなくても、あんまり変わらなかった。

で、夫の実家から、ごくごく至近距離にある、その親戚の家への途中あたりで、
よくわからなくなった。
しかたなく、ぼおっとしていると、同じような黒い式服を着た人が複数いたので、
挨拶をして(お互い、まったく初対面)、その人たちの後を付いて行った。

主催者側のご当家以外の人の中では、わたしが一番、若かった。
法事に出席するのは、年寄りと、相場は決まっている。
お年寄りでも、しゃきっとしている間はいいが、
よぼよぼになってくると、世代交代した次の代の人が参加する。

夫の実家の場合、名前や経済的なものは世代交代をしているけれど、
実権はまだまだ義母にある。
なので、わたしは、義母の言われるままに、コマとなって、あっちこっちに動かされる。

「この人にはこの話、その人には、その話題はタブーだ」とか、
「あの人にはあの話はここまでしているので、聞かれたらこう答えてね」、とか、
義母から細かい注意事項を聞かされる。

はい、はい、と、うなずきつつ、あんまり聞いていない、わたし。


会食の部屋では、食事の時に飲み物が用意された。
なにが飲みたいかということで、
「ビールは、飲まれないですよね。ウーロン茶でいいですか?」
と言われ、めんどくさいから、「はい」と答えておいた。
(基本的には、わたしは、少しだけ飲みます)
ビールを飲んだら、余計なことをぺらべらしゃべって、
義母からのタブー事項を忘れ、ヘマをしでかしてもいけないし、
つぎつぎ、注がれてもややこしいので、ウーロン茶で正解だった。

ビールが次から次へと運ばれるとき、わたしの席のあたりは、
「あ、こちらはビールは、飲まない人ばかりです」と、だれかがビールをさえぎっていた。
その割には、わたしの隣に座っていた、開催側の若いお嫁さん(30代後半ぐらい??)は、
ひとり手酌で、ビール(大ビン)をがんがんいっていた。

このお嫁さん、地域では、めちゃくちゃボロボロのボロのちょんに、言われている。
昨年のお葬式のときも、それだけヒドく言われている人は、いったい、どんだけヒドイ人なのかと、
興味津々でその人をわたしは見ていた。

先入観が99%を占め、なんか、ぼってりした、ふてぶてしい人のように見えた。
先入観とは、罪深き恐ろしいものだ。

義母からもその人の説明を、一字一句違わず、同じ文章、内容のことを最低4回は、聞かされた。
聞くたびに新しい情報が加わっているかというと、更新はまるでされず、
毎度毎度、まるで同じ話。
延々、何年たっても、コトの進展はないのか?? 微調整はしなくていのか?

彼女は主催者側の長男のお嫁さんなのだが、前は親世帯とは別居していたが、
ご主人は勤務先が実家近くということもあり、実家に入り浸り。
食事も実家でおばあちゃんや、両親といっしょに。
お嫁さんの住んでいるマンションでは、
まったく手のかからない(あたりまえ、実家でごはん食べさせてもらってる)ご主人と
ふたりだけ。
子供もいないんだから、ぼーっとしてないで仕事にでも出ればいいのに(義母・談)、
まったく専業主婦で引きこもり系だとか。
夫側から離婚の話が出たが、彼女は、拒否。
(それを、まわりは、「居座り続けている」、と、表現。
なにもせずにお金がもらえる、今の立場を手放すわけがない、と、外野はコメント。
立場変われば、みなさなん、好きなことを言いますね)

やがて、ご主人の実家の敷地内に立派な家を建ててもらい、お引越し。
でも、玄関の鍵を中からかけ、まわりと関わりをあまりしないで、変人扱い。
(田舎では、中から鍵かけると、変人って言われるんですねえ・・・
いつでも、だれでも、土足とまでは言わないにしても、土足に近い状態で入ってこられるように
ウエルカム体勢を整えておかないといけないんですねえ・・・)

でも、「着物を着て、京都のお茶会に出席したり、と、けっこうな生活をしている」と批判されている。
なんで、ここで、批判されるのか、わたしは、まるで理解できないけれど。
あたかも、毎週行っているかのような印象を受けるが、たった1回、目撃されただけで、
いつまでも何年たっても、言われ続ける。

昨日、義母から聞いた彼女については、
1から1000まで、すべて、まったく何一つ変わらない、いつもと同じ内容の話だった。

こんな、気の毒な人なんだから、法事で、ビールの大ビンを一人でグビグビ飲んでも、まあ、いいか・・・
そんな気になった。
でも、わたしには、一言も話しかけるでもなし、飲み物を注ぐわけでもなし、
わたしは、もう一方の隣の男性と、ウーロン茶を注ぎあっていた。(先に、隣の人から注いできた)


彼女の開き直りは、お見事です。
あの苦境のなかで、孤軍奮闘して、かわいくない嫁を貫き通す、固い意志。
ま、ちょっとだけ、かわいげがない片鱗がちらちらと見えたが、まあ、それはそれで、
先入観のせいもあるんだろうと、おお目に見よう。

ちなみにご主人は、まともな、爽やか系。
人前で挨拶もちゃんとできるし、ルックスもそう悪くない。


いろんな人がいるわけだが、そんな、目と鼻の先で、嫁・姑・家族の大バトルが繰り広げられていて、
地域のみなさんの話のネタになっていて、
そんな雰囲気、土地、風土のなかに、わたしが、移住して暮らすことになる?

義母に、「帰ってきてくれる? 帰って来たい? それとも、帰って来たくない?」
と聞かれ、思わず「どっちでもいいです」と、答えてしまった。
本心は、当然ながら帰って来たくない。
(ちなみに、義母も今の時点では、まだ現役主婦でいたいので、どっちでもいい、とのことだった)
でも、いつまでもそういうわけにも行かないんだろうし、
帰りたくないと言い切ってしまうと、
義母が精神的に参ってしまってはマイナス効果(心身の健康キープにセーブがかかる)
なので、ここは、あいまい、ファジーに。
行ったり来たりの日が、いずれ何年か後に来るのであろうと予測した。

わたしのこの、スープが完全に冷え切る場所での別居スタイルは、
あの閉ざされた古くさい地域でも、こういう方法もあるという、ひとつの実践例のようになっている感がある。
法事に行っても、地元の近い親戚にも、ある意味、認可されている言動が伝わってくる。
というのは、家族全員が、それでいい、と納得していて問題なく円満に行っているのに、
まわりが、それはよくない、と言ったところで、なんの拘束力もない。

だが、自分はつらい目をして、ガマンして、おもしろくない人は、
そんなの不公平!と、陰口をたたいていることだろう。

一昔前なら、郷里の老親を嫁が世話をするのが普通だったが、
いまは、嫁はまだ働いているので、リタイア前後の夫(息子)が、行ったり来たりして
親の世話をされているケースを、身近に2,3知っている。
そのうち、嫁もリタイアしたら、二人で協力して交替で世話をする可能性もある。
あるいは、意見が分かれたら、夫だけが郷里に帰り、妻は今の居住地に住み続け、
円満別居というケースもある。

これは、ふたつの家を維持する経済力が必要になってくるので、
すべてのケースにはあてはまらないとは思うけれど。
妻にも経済力がある場合、結構、妻の発言力や行動の後ろ盾になる。


法事で垣間見た、地域の暮らし。
わたしは、とても溶け込めそうもないし、
今のわたしと同世代の地域の人々がお年寄りになって、わたしも彼らと同時に年をとっても、
おそらく、なにか、まったく異種のスタンスや、価値観の大きな違いを感じる。
異なる文化圏に飛び込むのは、勇気と覚悟は必要だ。
それに、いまのところ、強制移住の必然性は迫られていないようなので、
ここしばらくは、義母のコマンド・ロボットとなって、あっちこっちに奉仕活動に赴くことにしよう。

 

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気持ちは、わからなくもないけれど。

2011-03-29 | 

4月から、はるか遠い地に赴任が決まっている、日頃は離れて暮らしている息子が、

役所の手続きをするために、昨夜、帰って来た。

我が家で、一泊した。

夫は、首を長くして息子の帰りを待ちわびる。

日頃は、テレビザッピング、大音量なのに、テレビもつけず、

食事をしながら待っている間に、酔いがまわってきたようだ。

息子の顔を見ることができた頃は、イスから、ずり落ちんばかり。

(いつもは、、即、瞬く間に床暖房フロアーに転げ落ちる)

息子が自宅に到着して、しばらくして、酔いが醒めたものの、

嬉しくてしかたがないくせに、日頃は滅多に触らないiPadをいじくる。

一言も話さず、黙々といじっているので、

息子の食事が終わった後、息子とわたしは、先に寝室に引っ込むと、

後を追うようにして、夫は消灯してリビングを後にした。

結局、息子と夫、二人は言葉を交わさずじまい。

 

夫は、息子に、自分の近くで働いてほしがっている。

明日にでも。

なので、一日一日、待ち焦れ、息子の帰りを待つ。

(ああ、息子、まだまだ若いのに、社会に出て、まだほとんど経ってないのに、かわいそう。窮屈~)

自分だって、若い頃、帰って来てほしがる親に背を向け、好きな遠方の地で働いていたくせに、

そういう過去をすっかり忘れている。

なんでこうも、きれいさっぱり、自分のしたことは忘れるのだろう。

 

ちょっとやそっとでは帰って来れない遠方の地を、赴任先に選んだ息子。

わたしは、その気持ちがよくわかる。

親孝行すぎるのも考えもの。

親の目の届かない地で、自由に、のびのび活躍してほしい。

我々は、まだ現役なんだから、若い人の手助けは、別に今のところ、要らないのだから。

 

女性陣は、あれこれ、いやがられても、おかまいなしに質問したり、よくしゃべるのに、なぜ、こうも違うのだろう。

言葉よりも、なによりも、元気な顔を見るだけで、満足なんだろう。

それにしても、愛想なし。

昔のタイプのオヤジなんですかねぇ。

 

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感謝のこころ。

2011-03-21 | 

昨日は、お彼岸の墓参りに行った。
お墓は、義母の家(夫の実家)から徒歩8分~15分ぐらいのところにある。

東京在住の長女、実家住まいの次女、
そして、今は、義母宅から電車などで、3時間半~4時間ぐらいのところに赴任中だが、
4月から、うんと遠くに赴任する息子が、意外や意外、特別参加。
わたしは、息子は遠いし、仕事が大変だろうと思って遠慮していたが、
長女の提案により、息子にメールしたら、当日、突然、現れた。
義母は、とても驚いていた。
それより、わたしも、びっくり。

もうすっかり成人の子供たちが3人とも揃い、お墓参り。
夫は、今回は遠方に行っていて不参加だったが、
お墓のなかの人、特に義父がいちばん喜んでいるメンバーだ、と、義母は目を細める。
義父は、孫たちが大好き、なかでも男の子(=息子)には特に、とりわけ愛情を注いでいた。

いつも義母の家から、お墓へは、車で行くのだが、長女の呼びかけで徒歩で行った。
天気予報によると、昨日は午後から雨が降るとのことだったので、わたしは焦っていたが、
ひとりひとりに無理やり傘を持たせて、お墓に向かった。

イイ年の大人が4人、全員、雨も降っていないのに、長傘を持って、ぞろぞろ。
あとから、もし、雨が降ってきたら、濡れるのは嫌だったので
嫌がるイイ年の大人に、渋々、傘を持たせてしまったものの、その行列をまじまじ見ると、
大名行列ならぬ、ペンギンの行列でもない、なにかわからない、わたしの「ヘンさ」を押し付けたようで、
ちょっと、悪いような気がした。

最後に、申し訳程度に雨がチロっと降ったが、あれは、降ったとは言わない程度。
まあ降らなくて、不幸中の幸いだけれど。

娘たちは、お正月にも集まり、お墓参りをしたばかり。
遠隔地から、わざわざお墓参りをしに行くというと、勤務先の人たちに、口を揃えて、
若いのに感心だと言われ、よほど重々しい家なんだろうと想像されるそうだ。
教育がしっかり行き届いているのかも、と、本人たちは言うが、わたしは教育した覚えはまったくなく、
むしろ、無信心のわたしが一番、渋々だったりする。

真面目だなあ・・・うちの子供たちは・・・
わたしが脱帽するぐらいだ。
わたしが一番、不真面目だ。サボりだ。
義母の教育の賜物なんだろう、きっと。
なんだか、不思議なような、義母の太陽政策って、すごいな、と感心するような。


わたしは、墓参りのあとは、義母のグチをたっぷり聞かせていただいた。
内容は、義母の家のご近所さんのこと。
ご苦労さん。
人間関係は、どことも、たいへんな様子。


夕食は、義母宅では、なにも用意していなかったが、
調理実習のように、子供たちが各自、料理してくれて、クラブの合宿みたいになった。
わたしの料理が、結構ヘタで、(涼しい顔して言うのもなんですが)、息子は、美味しく作ってくれた。
親がダメでも、子供は、ちゃんと料理してくれるんだと、料理ベタのわたしは自己弁護、自己防衛。

「料理がデキル男は、歓迎されるよ。
あとは、イケメンは不可能でも、イクメンになれたら、バッチリやねえ」
と、ひとりヘンにテンション高い、わたしの言葉には、みんなは、聞こえないフリ。
いつものことですけどね。

震災のニュースを皆で見ながら、ぼそぼそと、合宿料理を食べた。

我々って、結構、地味な家族やなあ・・・と、思った。
夫不在なので、目まぐるしいテレビのザッピングや、大音量バラエティ、大酒なんてこともなく、
なんとなく、静かに地味に、まとまっている。

大黒柱あってこそ、今日まで来られたのだが。

特別に素晴らしいことはなくても、
べつに、力むことなく、無理することなく、家族で集い、お彼岸に、ご先祖様に手を合わせ、
平穏無事に過ごせるありがたみをつくづく感じた。

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凍てつく冬に、のんきな春の風

2011-01-30 | 

義母(=姑)と、わたしは、よくしゃべる。
ぺらぺらぺら、と、女中・年季奉公期間中でも、夜中まででも話しまくる。
実母とは、小さいころから、そんなに話してこなかったし、今も、それほど話さない。
なぜなんだろう?

実母は、仕事をしていて、やたら忙しく、
子供たち(=わたしたち)と、ゆっくりした時間を取ることはあまりなかったように思う。
姉は、わたしの知らないことをよく母と話していたようなので、
わたしが、ぼーーとしていて、話を聞き洩らしているか、興味がなかったか、
理解できなかっただけかも知れないが。

わたしが、出産のために実家に帰っていたとき、
リビングで、母と話したり、のんびり、くつろいでいたら、1時間も経つと母は、
「こんなことして遊んでたら、なんにもできない。用事、してこよう。」
と、仕事場に出かけてしまう。
くつろぐ時間は、ある程度の時間で十分で、それ以上の非生産的な時間を過ごさないタイプだ。

それにひきかえ、わたしは、いつまでも、ずっとずっと、ぼーーーっとできる。
これは、怠けものなのか? 
脳の血流が悪いのかも知れない。


学生時代、ちゃきちゃきした、活発で有能な友人がいた。
業界第一位の大手ゼネコンを志望し、受けたが、
女子学生は当時、ほとんど受からず、彼女も例にもれず落ちた。
自分の実力を正当に評価されていない、と、かなり悔しがって、落ち込んでいた。

わたしといっしょに居て、くつろいだあと、
「さあ、オアソビは、これぐらいにして。
いつまでもスローさんといたら、なんにもできなくて、ダメになってしまう。」
みたいなかんじで、とっとと、活動拠点に戻り、頑張っていた。

わたしは、相変わらず、ぼーーーーっとしている。
仕事場や、持ち場では、動きのトロイ、たんなる「イイひと」。
ひとには、適材適所があるっていうか・・・わたし、仕事の能力、かなり低いです。


で、話は、戻るが、
義母は、専業主婦ではあるが、
家政科という、いまは、なき、お嫁さん専門学校(=女子大)を卒業して
家庭運営の実践的なことも理論も、バリバリ。
家事は、まったく落ち度がなく、完璧だ。
もし、時代が違っていて、外で仕事をしていれば、有能な仕事人になっていたことだろう。

その義母と、子供が小さいころ、深夜までよくしゃべったわけだが、
彼女の話す内容は、自分の興味があること。(当たり前だ)

当時のわたしの年齢(30歳ぐらい)からすると、まったく興味がなくても、
どんどんしゃべる。
年金、健康、夫の定年、
そういった、いまのわたしなら興味のあることだが、
子供を産んだばかりのわたしには、まったく、ぴんと来なかった。

「退職すれば、ただのひと」。

このフレーズは、何度も聞いた。
役職がぴかりと輝く、社会的には、お偉いさんだった親戚の、
退職したあとの生活を見た、義母の感想だ。
義父は、70歳まで働いたので、
「ただのひと」になってからは、あまり長い時間を経ず、この世を去った。

年金。
夫の実家(=義母の嫁ぎ先)の隣町に嫁入りした、義母の姉の例をたとえに出したり、
半径数キロメートル範囲内の身近な人の例やら、あれこれ、
30歳のわたしには、「はあ、そうなんですか・・・」と、まったく、ぽけーーっ。

健康。
あれこれ、健康に関すること、ずらり。
わたしは、病気知らずで、健康だけが取り柄だったので、これまた、
「はあ・・そうなんですかあ」と、聞くのみ。

信仰、宗教、気学、四柱推命。
占いというふうにしか、わたしには映らなかった。
いまなら、風水みたいなもの?
この分野では、当時から、生活をも左右されるほど、わたしはかなり苦労した。

あとは、嫁姑といえば、これ。
ふたりをつなぐ、強力なライン。
親戚、イエ、実家、近所、その他、血筋がらみのこと。
これは、ふたりの共通点でもあるので、延々と続いた。
お互い、同じイエに嫁いだ身、外から入って、血をつなぐ役割にあった。
姑は、嫁であるわたしの一代先輩ではあるが、当時は姑にも、まだ姑がいたので、
中間管理職ではあるものの、お役目ポジションとしては、同じ。
(姑が嫁いだ当時は、姑の姑の姑がまだ健在だった。これも、わたしと同じ。)

軍国色たっぷりの時代に育った、戦前教育を受けた義母と、
高度成長期に育ったわたしとでは、
教育内容も、家庭環境も違うので、教育や家庭から受ける価値観や感覚は、まったく違うのだが、
ケンカになるということはなく、いつも義母は、こう言った。

「おばあちゃん(姑の姑)は、えらかったなあ。
わたし(姑)みたいな、わけのわからん青い嫁を、怒りもせずに、大事に育ててくれた。
いまになって、感謝するわ。」

口だけ、めいっぱいの青いわたしを見て、当時の自分と重なり、姑は、
姑の姑に感謝し、こんどは、育てる順番が回ってきたと感じたことだろう。


いつも思う。
義母は、北風政策ではなく、太陽政策だと。
でも、その春うららの楽園で育った息子は、マザコン夫になってしまったわけなので、
やはり、太陽だけではよくない。

ほんと、教育は、大事だ。

わたしも、のほほん、はるかぜさん、で、今日まで来てしまった。
春のまま、一生を終えられるひとなど、いない。

しかし、この、のほほん性格、変えられるのか?

まあ、とりあえず、明日から、頑張ろう。

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と、いつも、問題を先送り。


トップ画像は、結婚式の日、うちで撮った写真です。
なわけないですが、こんな写真ばっかり眺めて、ぼーーーっとしてます。

冬には冬の、春には春の、風が吹く、
てことで、今日はとりあえず、のんびりと。