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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

核家族

2014-09-09 | 

息子がいきなり、突然、帰ってきた。

はるか遠方地に赴任している息子。
いつも彼は、何の前触れもなく帰ってくる。
連絡があるのは、当日、家に着く少し前の時間。

義母に、9月帰省のことはちょこっと触れていたようだった。
義母からは、それとなく聞いていたが、本当に、予告通り、9月に帰ってきた。

一番、喜んだのは、夫だろう。

庭に部分的に敷き詰めてある、テラコッタに付着した汚れが気になる息子。
以前には、デッキブラシでゴシゴシ掃除してくれた。
(その日のことは、蝶ブログでも綴った記憶がある)

デッキブラシでは取れないので、夫が最近、水圧洗浄機を購入した。
で、除去してくれる場面では、微笑ましい、親子・共同作業となった。
深く会話するわけでもないが、黙黙と作業する姿を見ると、こころが和む。

別に会話は要らないようだ。
元気な顔を見せてくれるだけでいい。


「しかしまあ、うちは、汚い」と息子。
不用品をぽいぽいとゴミ袋に放り込んだりしつつ、お風呂掃除に精を出す。
(あとで、ゴミ袋から何個か回収)
一人でスーパーに買い物に出かけ、食材を買い、夜は、お手製の海鮮ギョーザを作ってくれた。
長女一家も来て、手作りギョーザに娘婿も参戦。彼は、肉ギョーザ。
喜々と夫は、取って置きのシャンパンを開ける。


久しぶりに次女も家に居て、初日は、元メンバーだけでの全員集合、懐かしい顔ぶれで一家団欒。
今も、わたしの子供たちであることには違いないが、それぞれが自立し、元メンバーという思い。
孫が水疱瘡で保育所に登園できないため、自宅でしばらく病児保育を余儀なくされる疲れも、吹き飛ぶ。

これって、ひょっとして、幸せの縮図?なんて、思ったりした。

家族は、日ごろは離れ離れでもいい。
なにかの折に、皆が集まって、話題は、各自、好き放題、言っているだけで、応酬なんかなくてもいい。
会話の結論や、落としどころなんか、なくてもいい。

二日目には、家族の元のメンバーに、二人も新顔が加わり、
今まで自分の歩いてきた道に、オマケがついたような気がした。
しかも黄金の宝物のようなオマケ。
なんだか、ほんわり、しみじみ、不思議な、まったり感を味わった。

そのうち、また、数人増えていくことだろう。
そして、やがて、減っていくことだろう。
その、ゆるやかな繰り返し。
ゆるやかな時間の流れ。


巣立っていった家族メンバー達が、たま~に親元に集まるのも、悪くない。

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残り時間

2014-06-26 | 

昨日は、出先への移動時間中に、ブログ記事を書いた。
ガラケーの電池がレベル4になってしまいつつ、一生懸命、熱を入れて入力した。
あまりにも自分の胸の内をさらしすぎたせいで、アップしようか悩んだ。

アップしないんだったら、と、ついでに自問自答して、自分にあれこれ問い正してみた。
それは、わたしの実家に行く道中のことだった。

2つの場所で、2つの用事を済ませて、帰路、電車の中でブログ記事を仕上げた。
行きに書いたものと、感想は少し違っていて、爽快感、すっきり感、自分でのもやもや感、解消、
結論の方向性は、こっちだなあ・・・と感じた。
そして、思った。
ああ、アップしなくてよかった。

自分の胸の内をさらして、なにが嬉しい?
恥である。
ひとつ、恥の流出を未然に防げた。


帰りの電車で、ついでに、友人の実家に遊びに誘われていた件、
自分の実家の用事で、行けなくなったので、お断りの返事をした。
理由は、明確には書かず
「6月中に済ませなければいけない用事が発生したので、残念ですが行けなくなりました」
とメールに書いた。

そのお断り内容は、嘘でもなんでもなく、真実、事実である。
ただ、はっきり具体的には明言しなかっただけだ。

今のわたしには、人の実家に遊びに行く余裕がない。
ほかにすべきことが、けっこうある。
優雅に遊んでいられない。

すると、返信メールには、
「○○ちゃんは仕事、△△ちゃんは用事。□□ちゃんは会ったばかりだから、この会、今回は、お流れにするわ」
と書かれていた。
無理して合わせて行かなくてよかった、と、本気で思った。
皆も、それぞれに忙しいのだ。

優先順序をつけると、学生時代の友人と、お茶してランチ、などという時間の使い方は、
今のわたしには、(申し訳ないけれど)最下位である。
しかしながら、わたしの実家へのお誘い申し出の時には、
よくぞ、皆集まってくれたものだ。(たいして親しくもないのに)

たまたま時期が良かったのだろう。

・・・

ちなみに、昨日、とある人たちとの会でのお話。
出生率について話していた。

いまどきの出生率、あれは、未婚の人は分母の数には入っていないのでは?
実際は、もっと出生率は低いに違いない。
と、未婚の税理士先生の意見。
それを受け、「未婚の人々はかなり多い」、と、某女史。
結婚できない、しない、したくない・・・と、いろいろ。

そこで、某女史が、つい先日、見た光景を話した。

阪急デパート・梅田店でエレベーターに一気に一緒になった、ヤング・ハイソ・ママ軍団。
お金持ち風・子連れママが4人一堂に集まり、すごいオーラで、その全員の服装、身なりの高級なこと。

あんな専業主婦を扶養できる夫は、普通のサラリーマンでは絶対に無理。
奥さんか、だんなさんの親が金持ちとか、そういう付加条件がついていないと、若い夫だけの稼ぎでは不可能だ、と、某女史の感想。

ママたちのアタマの先から、足の先まで、赤ん坊の服装、持ち物、ベビーカー、すべてが超高級。
お車で、都会のど真ん中のデパートにお越しになっておられる、これは、金持ちに他ならないと。

「家ではいったい、どんな格好なんでしょうね?」と、わたし。
「同じようなかんじでしょう」と、独身税理士。
「いっしょに家にいたら、息がつまるでしょうね」と、わたし。

これって、ハイソな方々に対する、興味、疑問、苦手感を通り越して、われわれの毛嫌い?

わたしは、たいして、毛嫌いしているというかんじではなく、
よくそんな息苦しい格好をして、都会のデパートくんだりまで、ベビーを連れて出てくるなあ・・・
しかも、複数で・・・
と、そっちのご苦労様ぶりに、驚いた。
あんなに疲れる、ストレスのたまることが、彼女たちのストレス発散なのだろう。
わたしとは、逆ベクトル方向だ。

わたしは、そもそもストッキングが大嫌い。
夏にストッキングを履くだけでも、ぞっとするのに、それにまた輪をかけたような拷問に近いハイヒールを履いて、
しかも、地球上のどこの何よりも、ストレスの塊である、赤ん坊を連れて、
あんな人ごみいっぱいのデパートへ・・・!!

いくら大金を積まれても、わたしは、ご免こうむりたい。
あれが、ハイソの証であるとしたら、わたしは、ぜったいにハイソには一日足りとも息苦しくて、身を置けない。
一目散に逃げるだろう。

義姉の大好きな趣味の世界も、あの匂い、あの香り。
わたしは、あの手の世界が、大の大の大の大の苦手である。
窮屈で窒息しそうだ。
「おハイソ」というものは、肌に直接サランラップを巻いているかのごとく、
わたしから、ふつうに皮膚呼吸する機能を奪う。


おそらく、これは、父の影響だろう。
今頃になって、へんなところで、父親の偏狭な嗜好、趣味を受け継いでいることを自覚して、ある意味、ぞっとした。
父は下品や野卑、無教養も嫌っていたが、ザアマスの世界も大嫌いだった。

ひっそりと自分の好きなことを追求する、誰に見せびらかすでもない、自分だけの世界に浸るのが好きだった。
その趣味のためには、寝食を削って、かなりの労力、時間、お金をかけていた。
おっほっほっほ~と、高らかな笑い声のするようなザアマス夫人の居ない、
静かな世界が好きだった。
自分は、身を粉にして、一生懸命、働き、趣味にも体を使って、
(もっと面白おかしく享楽的にも楽しめる身なのに、傍らから見るとご苦労さんとも見える)熱情を注いでいた。

なんか、父とわたし、似てるかも?
と、ふと思った。
ついでに、母にも、わたしとは表現や行動の仕方、性格はまったく違うけれど、
これまた、芯の部分の流れている何かで、なんか似ているところがある。
まあ、親子ですからね。

これを「受け継ぐ」と、もし言うなら、血を受け継ぐのではなく
(血も受け継いでいるけれど今後にはあまり直に、発展性がない)
理念というか、信念というか、文化というか、マインド、魂というか、
大事にしていたこころと、大事にしていたもの、それらを大事に守っていきたい、
ただし、自分ができる範囲で。

しかも、健康体と気力と、お金が続けばの話だが。
守りきれなくなったら、そこでオシマイだろうけれど。
その3つの条件がすべて揃う時期は、人生の時期で限られている短い時間だと思う。

とかなんとか、夫の実家にもそれに近い義務が山のようにある。
自分はほったらかして、息子に守らせようなんて、そんな甘いことではバトンタッチできないだろう。
親の姿を見てこそ(今回のわたしの両親とわたしのように)、
その大事に育て愛着あるものを自分の代でも守っていきたいと感じるのである。

ということは、う~ん・・・
夫の家、あまり愛着はないけれど、最低限度、維持できるだけのシステムを構築しておこう。
いまどきの子供は、晩婚なので、あるいは、結婚しないので、
息子の嫁に伝えるべきこと、あれこれを、伝えたくても、嫁がいない。
そして、わたし自身が、あんまりよく知らない。
アタマの中にあるものも、いつまで正確に覚えられているか、自信がない。

こうやって、受け継がれていくべき事柄、無形の文化が、消滅していくのだろう。

不特定多数のアカの他人に向けたブログをお遊びでやっている暇があれば、
もっと実のある、実際に求められている、役に立つ、有効なことを後世の子孫のために、
わかる形で具体的に残すべきだろう。

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価値観

2014-06-24 | 

めんどくさそうな作業(製本)を先送りにし、でも、視野に入れ、・・・
にもかかわらず、ブログを更新する。

ある近しいリアル人の方のブログを延々とさかのぼって読んだ。
もう、そのブログは更新されないのだが、閉鎖もされない。
ブログを開設されて8年ぐらいになるのだろうか?

その中に、わたしが3年前、お送りした写メールがアップされているのを偶然、発見した。
その扱いには、悪い印象は受けなかった。
ブログ記事量があまりにも膨大すぎて、なかなか目を通すことができなかったブログだが、
時間がある時に、少しずつ読んでいる。

ほんの稀に、わたしの関わったこともアップされている。
あ、これ、わたしだ~。
なんだか、不思議な気持ちだ。

・・・

学生時代の友人から、「実家に遊びに来ない?」と、複数の友人宛に一斉メールが入った。
「○○ちゃんは遠いから、このお誘いメールを送ってません」
「△△ちゃんは、その日、仕事で無理だそうです」
とも追記されていた。

わたしは、時間が取れたら参加する気、満々である。
わたしの実家にも、何年か前に、彼女たちを招待し、遊びに来てもらった。
実家が元気な状態で存在するうちに、一度、呼びたかった。
彼女たちの記憶にも留めてほしかった。
なので、今度は、彼女が呼びたがっている、ということは、なんらかの心境の変化かも知れない。

今は、お一人で住んでおられるお父さんが、もし他界されたら、あのご実家は消滅するのかも知れない。
その前にぜひ、知っておいてほしい、と思われたのではないだろうか。
彼女のルーツ、生きてきた証の一部のようなものを。

家は、どんどん消えていく。
継ぐ人のいないお墓も、どうなるのだろう。
彼女は、お子さんのうちの誰かに家を継いでほしいのかも知れない。
彼女は、二人姉妹の長女、子供さんは、全員娘さん。女系家族だ。

よほどの財産でも残さない限り、跡を継いでほしい、と頼みにくいとわたしは感じる。
お金があっても、継いでくれるとは限らない。
強い信念もって、マインドを引き継がせることに成功しているのなら、どうにか願いは叶えられるかも知れないが。

わたしは、もはや、自分の中では、家を継ぐという意識が薄れている。
義務放棄は決してしないが、
さらっと、薄味で、簡素に簡単に、引き継げるものであればまあ考えられなくもないが、
重すぎるものを押し付けるのは、押し付ける側はいいが、押し付けられる側になると、重圧である。
時代も変わり、価値観も多様化、ライフワークも様々になり、住居も好きに選べる。
住みもしていない土地に愛着が育つだろうか。
昔ほど、イエ意識も、家に対する愛着も信念もないように思う。

ハード面、ソフト面、両方、バトンタッチは、なかなか上手く理想的には行きにくい。

自分の今後は、見通しがつくが、その他の皆はどうなるのか?
次男や三男、四男・・・、未婚の人々の墓は?
人の心配している暇があれば、自分のことをもっとちゃんとしなさい、という声が聞こえてきそうだ。

散骨だって葬送セレモニーだって、なんだって、自分でデザインする時代。
いろんな生き方がある。

その中で、跡を継いでほしい、と願うのには、
相当の自分なりの理由、自分に対する説得力や信念が必要だ。

 

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2014-06-04 | 
ここ1週間、製紙A4サイズの日記帳が、真っ白だ。
1週間も空いたら、何をしたか、忘れてしまう。

昨日は、兄の運転する車に乗せてもらった。
ほんとうは、自分が運転するつもりだったが、なにしろ30年以上前のマニュアル車。
しかも、軽トラック。
わたしは、マニュアル車で自動車免許を取り、若い頃は、その軽トラックも運転していたことがあったが
さすがに、すごいブランクの後、それもマニュアル車では、試運転してみたものの、こりゃあかん、となった。

母が、「とりあえず練習してみたら?」というので、駐車場で出し入れしてみようとしたが、
ぎっくんがったん、ギ、ギー、ガガガー。
アクセルを踏みながらクラッチ??ありえない~。
バックすると、ピッピッピーと、すごい音で、自分がびっくり。
バックと前進を入れ間違えてアクセルを踏むと、キーと金属音。
何度も何度もエンスト。
寿命が縮まることは、ごめんだ、とばかりに、軽トラックを自分で運転するのは、すんなりあきらめた。

さて、では目的のところに何で行こうか?
バス、タクシーの2種類が考えられる。
バスは1時間に一本。しかも、40分以上かかって、運賃700円。
時間がかかる上に、高い。
タクシーは、4000円以上かかるのではないだろうか?

わたしの滞在持ち時間は3時間しかなかったので、バスになど乗っていらたら、バス停で待って、行って帰るだけでオシマイ。
タクシーで往復・・・高い・・・そんなお金、一人でとても出せない・・・。
行きだけタクシー、帰りはバス。この折衷案にしようかと、母と姉とで話していた。
(行くのは、わたし一人。3人行くなら、タクシーもありだが)

あるいは、行きにタクシーに母と乗って、
帰りには早く帰らないといけないわたしだけ、バスに乗って帰るとすると、
母を現地に一人残したまま帰ることになる。
母は後に一人でバスに乗って帰るというのも、それも不安。


そもそも、わたしが、18歳の頃、車の免許を取得したのは、この僻地事情である。
車がないと、とても移動しにくいところに、父方の実家がある。
この実家には、祖母(父の母)は88歳まで一人で暮らしていた。
祖母は88歳まで頑張ることを目標にしていたが、さすがに88歳になると、自炊するのがしんどくなってきた。
当然、両親は、週に何度も顔を出していた。
わたしは、小学校3年生頃まで、そこから通学していた。
引越し後も、毎週、ピアノの練習に帰っていたが、週に一度の練習では、とうてい、ピアノは進歩なし。
もともと嫌だったのが、ますます、嫌になっていた。
練習できないのが、これ幸いと、小学校卒業と同時にピアノも卒業した。

と、それは蛇足。
その不便な実家に行くためには、最寄の駅まではすんなりなのだが、
そこから足(なんらかの交通手段)が必要なのである。

というわけで、軽トラックを自力で運転して、そこに行こうと目論んでいたが、やめた。
母は、高齢のため、(我々に)車を取り上げられてしまったので、足がない。
車があると乗るだろうから、車も引きとってもらった。
で、残るのは、義姉のマニュアルの車と、軽トラックのみ、
義姉のマニュアル車は、とても乗れないので、軽トラックに目をつけたのだが・・・
あまりにも怖すぎてやめたというわけだ。
あんなマニュアル軽トラで運転などしては、事故必至。自分の一生のほうが、ずっと大事だ。

そこで、兄が、申し出てくれた。
「送って行ったろか?」
この発言には意外だったが、喜んで乗せてもらった。
軽トラックは二人乗り。後ろは荷台。
がったんごっとん、軽トラックに揺られながら2人でのろのろ行った。
兄と2人でドライブなんて、生まれて初めての出来事だ。

わたしの用事は、目チェックだけなので、すぐに済む。
ついでに、目に付いたところをちょこちょこっと作業。
兄が待ってくれているので、ちゃちゃちゃっと済ませて、また軽トラックで帰った。
帰りに、ぼそぼそっと兄と話した。
いつも、顔は見ても話すことはあまりないので、すごく久しぶり。
ここ30年間の話を10分ぐらいの間に、凝縮して話した。

・・・

家というものは、たんなる箱ではない。
そこに人が住み、暮らしてこそ、家の役割を果たす。
別荘のように、ちょこちょこっと訪れる家もあるだろう。
が、そこには地域の人々との濃い地縁はない。
別荘の場合、地元の人たちも、別荘の人のことを、
本拠地である他の地に家があって、気まぐれで訪れる別世界の他人、という捉え方になるだろう。

地域の役割を果たさない住民は、地域の人に嫌われる。
のけ者、よそ者扱いになる。
その地域の土地に敷地があり、家が建っている限り、自分の家だけ独立して存在するわけにはいかない。
自治会活動にも参加義務がある。
そこが、ややこしいところ。

だが、べつに、いざこざがあるわけではない。
しら~っとした、白々しい距離感があるだけだ。
(ある人が、著書で、地方が衰退する理由は、この地元の人々の濃すぎる関係にある、と述べていた)

父方の実家も、いずれ、現在のような頻度で行かなくなれば、それは家ではなく、空家になり、
さらに、廃屋へと進む。
維持したり、メンテナンスを行わなくなると、家は大事な機能を失う。
地方に行くと、そんな家は、ごろごろしている。
住み手が、いなくなった家。

・・・

愛着のある家で、風土習慣も刷り込まれているなら、家の文化も継承されるだろう。
そこには、住んだこともなければ、ほんの数回しか行ったことのない人々(子供や孫たち)になると、
愛着や愛情は育たず、自分の生活で精一杯で、とてもそれどころではないだろう。

今、家はもちろん、お墓も変わってきつつある。
イエの概念が薄れている現在では、お墓や先祖祀りなど、「はあ?」と、ぴんと来ないだろう。
都会に住んで、田舎の実家の継承に関しては、家は売るなりなんなり、どうにかするにしても、
仏壇や墓は、どうするのだろう?
義務に見合うお金を残していれば、最低限度のことは、こなすかも知れないが。
よほど情操教育をうまくしないと、マインドまで上手に継承していくのは、
かなりの情熱を要し、複雑でデリケートなことだと思う。

自分自身を振り返ってもそうだ。
家は好きだが、宗教は嫌い。これは、あきらかにおかしい。
これでは、家は、単なる別荘、箱だけということになる。
この矛盾を抱えたままでは、子供たちに、ちゃんとぴしっと筋を通して教育できない。
まずは、自分の教育からスタートしないと。

子供たちも、そんな宗教のことなど、まだ若いので、先の先の先の先のこと。
わたしも若い頃、そうだったように。
宗教は、あの世が目の前に迫ってきた人が、自分が入る家(あの世の)を整備するため、より熱心に力を入れるのではないだろうか。
というか、幼少期や、就職や結婚、子育て、定年・・・などなど、
ステージが進むと、次のステージは、あの世しかない。

ぴんぴんころりをモットーにして、その楽天志向以外にまったく手を打っていない人や、しがらみのない人は、
そんな、あの世の整備までする必要がないので、ある意味、うらやましい。

と、宗教行事をやらなくていい人をうらやましがっている自分が、
子供たちに、宗教行事を押し付けてこの世を去ろうとしている。(まだ、ちょっと早いが)
この矛盾を解決するまで待っていたら、ぐちゃぐちゃのまま、混沌としたまま、乱したまま放置することになる。
なので、とりあえずは、納得しないまま、同時進行。
矛盾を抱えたまま、進んでいかなければ、糸がからんで、二度と解けないまま切れてしまう。

同時進行が、テーマ。

新しい価値観を生み出す前は、前の価値観を引きづったまま、とりあえずは進む。
すべてを壊して一からというのは、その壊れた時期が、大変すぎるので。
目途(めど)も立ってない間は、柱を残して、リノベというかんじか。
強力なインプラントだって、芯が要るんだし。

古いものに手を加えて改修、改善し、次に繋げたい。

廃墟になった後に、一からモノを作るのも一つの手ではあるが。
廃墟に至る歴史は、たいがい悲惨なことが多い。
できれば、平和で平穏な路線で、歴史を残したいと考えるが、机上の空論なんだろうなあ。


と、あれこれ、脱線に脱線を重ね、
自分もそろそろ年貢の納め時なのかと、戦々恐々とする今日この頃。
しかしながら、書くのは相変わらず、大げさ。
実際のところは、それほどでもないので、
お読みになったリアル人の皆様、あまりご心配なさらないようお願い申し上げます。
リアルにご存じない皆様は、またスローの脳内遊びということで、
お付き合い、いつもありがとうございます、と陳謝のこころです。


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ちなみに、蝶ブログ、あれこれ他のブログに無断転載されているようです。
だめですよ~。無断は。
著作権は、スローにあります。






家族

2013-12-20 | 
核家族が一般化してきた。
嫁・姑の陰湿なイジメ、確執なども、別居することによって、マシに。
お互い、距離を置いて生活する。
気に入らないことは、見て見ぬふり。
なにかあると、合流する。
いくつもの核家族が集まった、ゆるやかな大家族が理想だと思う。

4世代交流。
4世代で同居している家族も何家族か知っている。
なかでも、絶妙な設計により、玄関だけは同じだが、あとは、どの世代も顔を合わせない、
工夫された住空間を保っている大家族もいる。
都会に近い地域においては、珍しい。

おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさん、長男、長男の嫁、孫、次男。
4世代8人家族だった。
はじめてお邪魔したときは、その知恵、設計力に唸った。
普通の一戸建てに、3つの水回り(台所・浴室洗面・トイレ)が、個別に備わっていた。
2階建てだが、階段は2つ。
両親エリアに属する次男の部屋は、両親エリアからしか上れない階段で空間を上下に分け、
うまい具合にプライバシーが守られていた。
1階は、両親エリアと祖父母エリアに分けられ、
2階は、若夫婦家族エリアと、両親エリアの一階から階段で続く、次男の部屋。
マジックショーのごとく。

単純に1階と2階を老夫婦家族、若夫婦家族に分けておられるケースもある。
老夫婦の1階には、介護の必要がある、おばあちゃんの部屋がリビングに隣接して設けられていた。
これまた4世代同居。
お互いに気配だけを感じる。
用事のあるときは、電話かなにかで連絡する。
電気ガス光熱費は、別々。
つかず離れず。

(※現実的には、経済的事情や仕事の都合などで、そんな良い立地や、家の広さを確保できない家族が多いだろう)


通い婚ならぬ、通い実家(夫の実家、あるいは、妻の実家)、というのもある。
核家族夫婦が子供を連れて実家に通う、またまた核家族の親、子供、全員で孫を連れて、実家の実家に通う。
実家の実家には、おじいさん、おばあさんがいる。
4世代である。

(※これまた、現実的には、各世代のそれぞれの住まい、世帯を独立して維持できるかどうかという、人的、経済的問題もあるが)

だが、忙しい子供夫婦が、そう度々、実家に通うというケースは稀だ。
よほどの求心力がないと実現できない。
この求心力は、何か? 誰か?
長老となる人か。
札束だけをひらひらさせて、帰ってきたら、あれをあげる、これを食べさせる、それを買ってあげる、なにをしてあげる、
などという現ナマ作戦もあることだろう。
が、ご機嫌をとったり、とられたり、それだけでは、見え見え、ギスギス、どろどろ、逆効果の場合もある。
こころの求心力が必要だ。

(しかし、今のご時世、経済的、物質的援助ゼロ、労力援助ゼロで、求心力を発揮するには、相当の確固たる揺ぎない絶対的なものが必要だが、
新興宗教とか、マインド・コントロールとか、そういうのは、わたしは興味がない)

・・・

なぜ、わたしが、4世代にこだわるかというと・・・

赤ん坊が生まれる。
お年寄りがこの世を去る。
赤ん坊が少しずつ成長する。
お年寄りが少しずつ衰える。
こういう過程を自然に知るということは、とても大事だと感じるからだ。
病院で生まれて、病院で死ぬ。
生も死も、プロに任せっきり。
生々しさに、触れずに生きていると、人間として、なにかが欠如しているような気がする。

赤ん坊がひとつひとつ、なにかが出来るように、老人は、ひとつずつなにかが出来なくなる。
その過程を同時進行で見続けるというのは、とても生死の意味を見つめる、重大な経験だと思う。
老人のボケや粗相を叱ったり、嘆いたり、邪険にしたり、いらいらするのは、経験のない若い人なら仕方がない。
自分には考えられないようなことが起きると、理解不能になる。怒りもこみ上げる。
しかし、サルがだんだん4足歩行から2足歩行になるように、
人間も、徐々に成長し、徐々に衰退し、ついには死を迎える。

こういうことを日常の一部として経験できることは、大きな幸せである。
人間は生まれて、そして、死ぬ。
喜びも悲しみもセットである。

赤ん坊を世話している、若い母親が、傍らで、自分を世話してくれていた祖母が、どんどんダメになっていく。
孫の世話をしている熟年の人が、一方で、高齢の母親の世話をする。
日の出を見る勢いの新しいエネルギーを受けつつ、
と、同時に平行して、かつての日の出を終結させようというエネルギーの収まりどころのお手伝いをする。
この構図は、3世代では経験できない。やはり4世代必要だ。


もっと若い、ひいばちゃんも、いる。
ひいばあちゃんが、あの世に行きかけるころ、ひ孫はもう高校生以上、もしくは成人になっている。
子供と孫が、ひいばあちゃんの最後あたりの「人生レース」にお付き合いすることになる。
子供は、老年、孫は中年、ひ孫は青年。
5世代にわたることもある。

新しい命の輝きがあってこそ、老人は安らかな生活を送ることができる。
自然に枯れて、自然に土に還ることができる。
何事にも執着し、邁進することはよいことであるが、限度を逸して、闇雲にしがみつくのは老醜だと感じる。

生きることに対しても、とは言わない。
生きる気力をなくすと、なんにもならない。
「生きること」にしがみつくのと、「生きる気力がある」のとは、違うと思う。
単なる言葉遊びで、表現方法だけが微妙に違うだけだと、感じるかも知れないが、
・・・
・・・どう説明していいか、よく、わからないのだが。

・・・

多世代家族をつなぐ求心力が何か、である。
若い世代は、自分たちのことで精一杯。
年寄り世代に首を突っ込みたくないだろう。
中心となる人物がいる、生きている、ということ。
では、その人が亡くなると?
また、新たな求心力となる人物が受け継ぎ現れることだろう。
現れない場合もある。
それは、それで、おしまい、ストップ。
強制力を持たない制度は、もろい。
続けるには、かなりの信念とエネルギーが必要である。

家父長制度のように、意識、概念、制度が社会全体で無理やりなら、
不満や悲劇も多いが、それなりに続いていく。
それがなくなった今、それに変わるものは、あるのか?
おそらくないのでは?

地方の家は、跡継ぎがなくなっていることだろう。
(根無し草の人々が寄り集まっている都会は、もともと価値観が違うので、ここでは言及しない)
しかし、頑張っている人々もいる。

・・・

価値観は、ひとそれぞれ、家族の中でも一致しないことが多い。
こころの中身をどう表現し、実行するか、それも、ひとそれぞれである。
家族の中で、メンバーそれぞれが、バラバラというのはいいと思わないが、
各、各々の家族には、各々の家族としての考えがあるだろう。
各家族の考え、思惑、ポリシーに従って、行動するのがよろしいかと思う。
ポリシーが無いというポリシーも、よろしいかと思う。
毎日が楽しければそれでよし、何事もなければよし、というのも、ある意味、正解のひとつである。
何が正しいとか、間違っているとかはない。

めんどくさいことは、お断り。それも、あり。

なんでもあり、なのである。

あえて、困難な道を選ぶ自由もある。



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無用の長物

2013-12-16 | 
寒い日が続く。
これから、ますます寒くなっていくようだ。

と、ブログを書くにも、寒いせいか、熱チャージができない。
とりあえず、お腹に熱いものを入れて(あ、春雨カップスープです)、さて、無理やりウォーミングアップ。

ここのところ、ブログ村エッセー、ちょっと順序が入れ替わっている。
わたしは、不思議なことに、ブロガーの皆さんを応援している。

ちなみに、
今日のブログ記事内容は、自分のためだけに書いた、自分自身の考えをまとめるためのものなので、
ここで、Uターンしてください。
駆け引き無く、本心です。

・・・

それはそうと・・・

急激に寒くなったので、水道管が凍って破裂してはいけないから、即、対応を!と実家の母からの依頼、要請あり。
県をまたいで、高速道路を乗り継いで、そこそこの時間がかかる、
実家まで車でえんやこら、えっさっさーと駆けつける。
運転は、娘婿。
孫、娘、ついでに夫も乗って、母の入院先へのお見舞いも兼ねて、遠路はるばる大移動。
実家の屋外に設置してある水道栓に、所定の袋をかぶせて、ひとつひとつ丁寧に紐で縛っていく。

所定の袋には、それぞれ個々に、「どこどこの○○の横の、なになにの水道栓」と
太く大きくマジックインクで書かれた封筒が紐で、くくられている。
所定の各々の袋は、これまた、各々の所定の場所に保存されている。
宝探しゲームのように、その書かれた指示どおりの場所に行って、所定の水道栓にそれらの袋をかぶせて固定する。
その間、病室から、母からの指令の電話がじゃんじゃん入る。
補足説明が、細かく続く。
まるで、徳田虎雄氏のごとく。

人口わずか、田舎なので、なにしろ、だだっ広い。
ちょっと水道管をどうのこうの、という作業でも、近所に住んでいれば、ちょちょいのちょい、だが、
遠くからは、この度は、お見舞いのついでであったから、どうってことはなかったものの、今後が大変だ。
毎年、母がやっていることで、任せっぱなしだったが、
予期せぬ入院というアクシデントがあると、対応できないことが出てくる。
母は高齢につき、これから、いろんなことが十分予測できるので、
寒くなる前に、やっておかなければいけない。


娘、曰く。
「行くだけで1日仕事やね」

ま、そういうこと。

わたしは、なぜか、この手間のかかる無用の長物である「実家」が好きなのだ。
手間だけでなく、お金もかかる。
おそらく、わたしひとりの力では、とうてい維持できないだろう。

この実家は、人里離れていて、交通の便は、非常に悪く、資産価値もなく、家屋は古く修理維持費がかかり、
いいところは、まるでない。
今は、母がどうにか手間隙かけて維持しているが、入院したり、体が動かなくなったりすると、
どうしようもない。
母は最近「高齢で危ないから運転禁止」と我々に言われて、いやいやながら免許を返上したので、
それまでは自ら車を運転して行っていたが、この家に行く手段を絶たれ、不便極まりない。

誰の得にもならない、誰も喜ばない、なんのプラスにもならない、労力とお金ばかりかかる、
こんな実家に、なぜ、わたしは、愛情を注ぐのか?
しかも、遠方に住むわたしは、すぐに飛んで行って、スピーディな対応や処置ができるわけでもないのに。
自分で運転して、高速道路をぴゅっとぶっ飛ばして行くのならまだしも、
いまだに高速道路の乗り換えがわかっていない、
誰かに運転してもらって、行っている、自分自身がお荷物のような人間である。
(一応は、運転できるんだけど、・・・運転、その他が、ひどい・・・)


いずれ、わたしの希望通りにはいかなくなる日が来るだろう。
いくら愛着があっても、現実的にできることと、できないことがある。
少しずつ、荒れ果て朽ち果てて、草ぼうぼう、廃屋になっていくのを見守るしかないのか。

わたしが出来る間は、出来る範囲内で、維持に協力したいと思っている。
そのためには、若い世代の力も借りたいが、
彼らにとって、なんの価値もないものを、無理やり片棒を担がせるのも、忍びない。

が、わたしは、モノの継承は、文化の継承でもあると思っている。


不必要なモノばかりに囲まれて自分の家に暮らしているわたしを見て、子供たちは、批判的であるが、
それはあくまでの、わたしの今の生活。デイリー・ライフ。
自分自身も、誉めたものではないと自覚しているし、できるものなら断捨離したいし、
今、好き勝手している私の家を、べつに継承する必要などまるでなく、
むしろ、反面教師としてのタタキ台でもなんでもいい。

しかし、実家は別である。
これと同じパターンが、夫の実家にも言える。

こんなに複数の、手間隙のかかる、大きな無用の長物を抱えて、どうするの?
夫の実家は、息子に託す。
(息子は、あと50年したら帰ってくるそうな。気の長い話だ。
わたしは天国か、地獄、草葉の陰から、見守っていることだろう)
バトンタッチのバトンが、うまく手渡らなくて、手から零れ落ちたときに、家は消滅することだろう。


父や母が、なによりも愛して、大事にしていた、イエ。
そして、義父や義母、その先代たち、親戚たちの、命ともいえる?イエ。
「時代錯誤」とわたしは全面的に否定的だったが、いま、この年齢になって、少し見直しの時期に入っている。
イエ制度そのものは、核家族になり、時代の流れに抗うことはできない。
戦後、民法も改定され、いまや婚外子も財産権が認められる時代。
明らかに時代と逆行した、意識の芽生えである。
が、違う形で、生きてきた証しのようなものを継承できればいいなあと、考える。

それが、ハードとしての「家」だとしたら、反論も大きいだろう。
まったく意味がない、と。
「家」は、生きた証しがいくつかあるうちの、ひとつの大きな柱となるツールである。
家を映像や画像にデータ化して、心に保存するという方法もある。
家は、究極の断捨離・対象物かも知れない。

家も、保存できればいい。
しかし、なにも手をつくさなければ、人の棲まない家は傷んでくる。
稀有な歴史的建造物でもない限り、永久保存はありえない。
わたしが、いくら望んでも、できないものは、できない。
そういうことだ。

泣く泣く断捨離の、その日が来るまで、
思い残すことなく、悔いなく、一生懸命、無用の長物に関わっていきたいと思う。




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核家族の行方

2013-08-29 | 

昨日は、総務課のお仕事を済ませた。
総務課につき、濃い親戚ではないので、ほんのちよこっとのお仕事。
が、行き帰りに要する時間は、たっぷり。
総務課なんて、そんなものだ。

でも、知った顔に会い、いろんな話を聞かせてもらい、あることを感じた。
わたしの直属の上司である総務課長、いや、総務部長がわたしに職務命令を出すのだが、
このお仕事内容、解せないなあ・・・と、思っていたが、イヤなことばかりではない。
葬儀は、人間の生死の区切りのセレモニーだ。
ドラマが、必ずある。

親戚と顔を合わせ、人の生死は、大きな流れの中の一部分、一区間だと感じた。
家に帰ってきて、前にわたしが義母から聞き書きした「親戚関連図」をじーーっと見て研究。
ふむふむ、あの人は、こーで、この人は、あーで。あーなって、こーなって、そーなって。
その親が、こーで、兄弟があーで、あそこに嫁に行って、あっちから婿に来て・・・。
こんなに、ひとつの限定された関わりがあり、めんめんと続いているのであれば・・・。
親戚って、結束が固くなってもわかるような気がするなあ・・・と、つくづく思った。

誰一人として道を踏み外すことなく。
特別、華々しい花火はいらない。
(花火は、冠婚葬祭だけ。今では、そのうちの、2~3つぐらい)
案外、目立たない地味なことだけれど、普通に生活し続けることって、カンタンなようで、カンタンでない。
意味がないなようで、意味がある。

で、それで、なにかイイことがあるかは、別として。
単なる「『絆』の確認作業」のような気にもなったが。
その絆も、お年寄りたちが強く思っているかも知れないが、
わたしのような中途半端な中堅・総務部員では、まだまだゆらゆら、固まりきっていない。
ましてや、若い世代になると、どうだろう?
ゆらゆらのまま、ゆらゆらを伝えて、次世代には、また次世代的発想で、やってもらうのだろうか。

しかし、地元、地域から一歩も出たことのない人々は、親や、じいさま、ばあさま、親戚から言われ続けたりして、
若くても、魂のどこかに、ででんと「なにか」が、位置し育っているように思う。
地域から出ていても、遠隔操作されているかのごとく、「なにか」は作用しているように思う。
それを取り入れ続けるのか、断ち切るのか、適当に間引きながら、とりあえず続けるのか、
おのおの家の考え方だろう。

べつに、選挙に出るわけじゃなし、仮に選挙に出たとしても、たいしたバックアップ力もないし、
組織票や地元票も、たいしてつながるわけじゃなし。
そんな、目に見える、はっきりわかるご利益(ごりやく)的なものではなく、
こころのつながりなのだろう。
時代の波で、切り離された「核家族」とは、逆方向のものだろうか。

親戚づきあいが遠のく家族は、ますます核家族化し、家族の中でも分裂、個体化して散ってゆく。
(あるいは、個人主義の徹底、浸透)
従来の親戚づきあいは、お年寄りが亡くなっていき、形式を重んじた慣習は減り、
新しいゆるやかな血縁や親戚との絆が生まれることだろう。

いずれにしても、日ごろは別生活、「葬」でだけ、結束集会。

※補足説明をすると、
冠婚葬祭のうち、「冠」は、とっくになくなり、
「婚」も最近は仲人さんも立てない、遠い親戚はあまり呼ばない、個人の「活動」を軸にしたものを多く見る。
「祭」は、ちょっと衰退??(よく知らない)
「葬」だけは、根強く残ってはいるものの、家族葬など、個人の価値観により、かたちは柔軟になっている。


総務のお仕事、仕事内容を再チェックし、見直しを図り、
時代の流れに応じて対応していきたいものである。
総務部がある経営母体、会社そのものの事業内容も、見直しが必要かも。

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手抜きのための戦略

2013-05-23 | 

4日前、法事を行った。
当然ながら、わたしは主催者サイドであるので、婚家でのことである。
(実家で法事があるなら、わたしは主催をすることは決してないため、常に招かれる側になる)
義父と、義祖母の法要。
呼んだのは、ごくごく身内の親戚のみ。

最初、義叔父(夫の父の弟)の奥さんが、出席を断ってきた。
それを、義母が、「今回偲ぶ人のうちの一人である、おばあちゃん(=義祖母)に、
嫁として、いちばん、かわいがられたあなたが出席しなかったら、おばあちゃんがかわいそうだ」、と、説得した。
義叔父の奥さんは、「主人が出席するし、なにもお手伝いもしないわたしまで、出席するのも悪いと思って・・・」
と理由をおっしゃっていたが、義母の要請に応えるかたちで、出席となった。

この理由、わたしは、そのまま言葉どおりには受け取っていないけれど、理由なんかどうでもいいのだ。
要は出席したくないという意向だ。
1年も前から言われていたら、よっぽどの具体的な動かない事情でもあげない限り、断る理由を探すのは難しいだろう。
でも、よくよく深く考えると、お客さんでなければ、出席したくないということか。
かつての記憶をうんとさかのぼると、
このお方、仏事行事では、主催者側の末席で、兄嫁2人の下で、争うように気働きしておられたが、今では堂々たるもの。
仕えなければいけないものが吹っ切れて、じつに、けっこうなことだ。

他の出席は、義父の娘夫婦(=義祖母の孫夫婦でもある。わたしから見ると、小姑夫婦)、
あとは、義父の孫(=義祖母のひ孫)二人。ついでに、夜叉孫も一人追加。
(これ、わたしの娘たちと孫。息子は仕事のため、先週、代りに帰省した。同日、娘婿も。)

開催1時間前にはすでに集まり、お坊さんを待つ。
(わたしは、別に一日、準備日をもうけ、当日は当然ながら、もっと早くからスタンバイ)
お坊さんが家の仏壇の前でお経を唱え、焼香、墓に出向き、そこでまた読経。
皆は、お墓にぞろぞろ着いていき、手を合わせ、その後、料理屋で食事。
食事スタートから2時間ぐらいで解散。そして、各々、家路に着く。

一言で言うと、楽。
このシンプルさは、出席メンバーによる。
うるさい親戚がいない。数がごくごく少数。義理の間柄の人は、いない。(配偶者以外は)
今回は、東京の親戚たちを呼ばなかったことが、非常に非常に非常に、楽だった。
これは、お互いに、だろう。
往復の交通費、労力、時間を使って、出席する側も、出席したくないだろう。
身柄は移動させず、御供えや粗供養などの相互間、郵送にとどまっていた。
(義母が、していた)

おそらく、東京陣を呼ばなかったのは、
そのうちの一人が、娘一家の海外赴任先に長期滞在していて不在だったこともあるのだろう。
もう一組も、配偶者が老いて弱っているので、「呼ばない行かない」、の提案に喜んで便乗したのだろう。
残念ながら、というカタチはとりながら、喜んで、欠席なのだろう。
おたがい、おおきく、喜ばしいことである。

こんなに円満に、法事を縮小できて、わたしは、とても嬉しく思っている。
同じ法要でも、一周忌などであれば、こんなに簡略化はできないだろうけれど、
その他、亡くなってうんと時間が経っている法要は、カンタンにしないと、あと、引き継ぐ気がしない。

歴史の浅い、造成されたばかりの人工的な地域(いわゆるニュータウン)であれば、
冠婚葬祭のルールなど、地域色は、各自に任せて、透明であろう。
逆に、古い歴史伝統地域は、長々と伝えられることがあり、
受け継ぐ者は、よほど賛同しない限り、鬱陶しくて限りなくブルーで渋々嫌々、無理やりか、逃げ出すか、であろう。


一旦、嫁に行って出て行った人間が、実家のことをあれこれ、うるさく言うケースがあるようだ。
婚家に関しては、それはまったくない。
おそらく、義母が、とてもこころを砕いて、親戚の隅々にまで完璧に心遣いしているのだろう。
それと、トラブルにならないよう、いろいろ、実質的な面で、割り振り、振り分けをしている。
結果的には、共存共栄になっている。

わたしの順番が来て、気の回らない嫁になった・・・と、陰口をたたかれたところで、
わたしは、親戚づきあいは、極力、本当に芯の部分の人しかする気がないので、
(もう、共存共栄のあとは、自力で自立していただく)
枝葉の人々のお付き合いをしなくなったら、彼らの声を吸い上げる機会がないだろう。
第一、遠縁の親戚たちも、どんどん年をとっていくし、
先方も若い人、次の世代に親戚付き合いをバトンタッチしないだろうから、お互い縁が切れていく。
文句をいうお年寄りたちは、時の経過とともに、自然消滅するのを待つばかり。
次世代とは、もう付き合わないので、そこで、おしまい。


人も時間とともに、新陳代謝していく。
うるさい年寄りは、この世から去り、次世代は、過去の風習から、すくい上げた伝統なり習慣なりだけを踏襲していく。
やがて自分も、どんどん年をとり、自分より年寄りはあまりいなくなる。

同じ地域でも、昔流のやり方をまるまるそのまま踏襲している次世代がいれば、
それはそれで、やっていただくのは、立派なことだ。頭が下がる。
手抜きとなれば、不義理な家だ、そんな家は(精神的に)村八分だ、と、
近隣・同世代から、ブーイングということもあるだろうが、ブーイングを伝える手段、キーマンは、誰になるのだろう?
ごく近くに住んでいる次世代親戚か?
当家の本人だけが知らなくて、まわりからは、大いなる大批判を受けているかも知れない。
反対派の思惑を気にしていたら、改革はできない。
もともと、その地にべったり住むつもりがない、そういう割り切った捨て身の気持ちが、
ご当地の慣わしをそのまま受け継がない強気を生み出すのかも知れない。
地域で課せられる義務(寄付や自治会費、自治会での役割)には、負担するつもりであるが。

長年、代々、同じ地に住み続けるには、その地域がよほど好きなのか、他を知らないのか、よそに移る術がないのか、
先祖代々の土地があるから、職業柄そうなのか、はたまた、そんなことは、考えたこともないのか。
住み分ける意識のある人々と、そうでない人々と同じ価値観を持つこと自体が難しい。
いろいろ、知った上で、最後は故郷に帰ってくるという考えもある。
定年を迎えた旦那さんと、奥さんは、ここで分岐点を迎える。
二人の意見が一致すれば、同じ道を歩み、同じ地に住む。
一致しなければ、レールは、分かれる。
別れたくても経済事情や、介護事情で、こころは別々でも、いがみ合っていても、別れられない事情もある。
ときには、夫婦間で殺人に発展する、そんな悲劇さえ生み出すこともある。

仲むつまじく、同じ地に住んで、
そのまま同じ地かどうかは知らないが、同じ建物、同じ老人ホーム、同じ部屋なんてこともありえる。

・・・・・・・

それはそうと・・・

延々、大昔からの、時代をさかのぼった親戚、いくらなんでも、もう切ってもいいはず。
切ってもらう側も、嬉しいはず。
なにがよくて、そんなに延々とお付き合いしているのか、わたしには、まったくわからない。
せいぜい、叔父、叔母、彼らが弱って来れないときは、その子供(甥、姪)
シンプルなラインだけでいいと思う。
家系図をもとに関わりを図式にしないと、アタマが、いまだにこんがらがる、そんな複雑な親戚たち、って?
(義母から聞き取り、メモみたいなものを何度か書きなぐるのだが、それをすぐ紛失してしまう・・・
と同時に、アタマの中からも消えてしまう・・・)


わたしは、義母の代りに、遠い親戚の法事に顔を出すが、呼ばれる側は、くたくただ。
とは言うものの、遠い親戚とは、法事で会食でもしない限り、葬式で顔を合わす程度なので、
まあ、コミュニケーションをとるということは、悪いことばかりでもないような気も、しないではないが。
(もって、まわった言い方)(はやいハナシ、悪くないってこと)


わたしの手抜きサボりの性格は、生まれて死ぬまで続くことだろう。
いかに、手抜きを正当化するか、この作業ばかりに重きを置いている。

そんなことをする暇があれば、母の日にこころのこもったサービスでもしろ、と。
今日は、お昼から、義母の家に向かって、法事の後片付けをする。

ま、サボり人間は、ぼちぼち、ぼつぼつ、一歩ずつ。
急には働き者にはなれません。

 

 

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押し付けられたものを押し付けるのは、良いことなのか

2013-05-14 | 

赤ちゃん(孫)の話をブログに書くと、通りの人々は、がくんと興味が失せ、
さささーっと引き潮のように、訪れる人々の数が減る。
これは、ご無理ごもっともだ。

まず、若い人。
付き合っている相手もいないのに、
恋人との関係もうまくいっていないのに(うまくいっていても)、結婚もしていないのに、子供もいないのに、
なんで、赤ちゃんの話に興味ある?
ありえません。興味ある人の数・・・ゼロ人。

次。
結婚していてるけれど、子供がいない人。
そんな人々にとって、こんな鬱陶しい、カンに障る話はない。

その次。
結婚していて、子育て真っ最中の人。
言語がどうの、読解力がああの、そんな悠長なことをいっている余裕、皆無。
毎日、毎時間、毎分、毎秒が、戦争。

その次の次。
子育て終了、でも、まだ子供が独身の人。
子育てが終わって、やれやれ。子育て、うんざり。ぜんぜん、興味なし。

さらに、その次の次の次。
子供が結婚しているけれど、孫はいない人。
待ち遠しい反面、鬱陶しい話題。うるさい。
アンタんちなんか、どうでもいいわい、と、シラケ眼(まなこ)。

やっとこさ、次。
孫が最近出来た人。
ごく、わずか。
全体から見ると、絶対人数が、少なくて、少数派すぎて、話題を盛り上げるパワーに至らない。
そして、孫なんぞは、究極の身内だけの世界。他人にとっては、うるさいだけ。
しかも、孫が出来ても、蝶ブログ? は? なんのこと?
万が一、なにかのご縁で、ご存知であっても、蝶、嫌いという可能性は、おおいにあり。

そして、その次。
孫をかわいがったものの、いまでは、老人廃棄物扱いされ、あの日の、きらり、天使の微笑みはなんだったの?
と、苦々しく思い出を振り返りたくもない人。

そして、そのまたまた次。
孫なんか、とっくに終わり、自分がヨレヨレで、それどころではない人。
なに言ってんの? と、つめた~い視線。

ということは、ネット大海のなか、いろんなブログを読んでいる人が大勢いて、
ごくまれに、蝶ブログをお読みになる、天然記念物にほぼ等しいほどの、超レアな方々のうち、
ほんの、ほんの、ほんの、一握りの人しか、興味を引かない、眉のひとつも動かない話題である、ということだ。

それをわかっていて、
「わたし、ぽよぽよ赤ちゃんが、かわいくてぇぇぇ~」
なんて、書いてみても、本当に、自分の世界のみの話題を選んでいる。

で、それが、どうした・・・であるが。


それは、それとして・・・

いま、わたしは、日本の将来のことを考えている。
地方の活力が衰えること、
都市に人口や機能が集中すること、
そういうことに、ある種の憂いを感じている。

自分自身が、イエ制度の継承義務を、自分のこころの中で、否定し叫び続けてきたくせに、
いざ、自分がバトンタッチする際、バトンを受ける側になり、傍らにバトンを渡す側の人間がいると、
今度は、この若い人の顔をまじまじと見て、
この受け取ったバトン、どうしよう・・・とりあえず、わたしは保存しておくけれど・・・と、バトンの置き場に困っている。


最初、自分は何も考えずに、素直に言われるままに
バトンを受け取る順番に並べられて、ベルトコンベヤーに乗っていた。
だが、次第に、このベルトコンベヤー、自分が乗っているのはいいが、行き先は、これでいいのか?
そんな、考える力がついてきた。

なんなら、降りてもいいんだ、という選択肢があることも、知った。
ソフトランディングはありえない、飛び降り自殺的な降り方になるだろうけれど。
それぐらい強行に拒絶反応を示していたことを、
次のバトン走者に、バトンを渡すにおいて、
どうしたものか、と、煮え切らない思いが湧き上がってきた。

ハンカチ落としのように、ぽんっと、自分の後ろに置かれたハンカチを拾い、すごい勢いで走り、
誰かにハンカチを落として、自分は逃げていいのか。
自分は嫌がっているくせに、その嫌なことを、次世代に押し付けていいのか。

かといって、否定して、消滅させていいのか。
自分の住みやすいところに居続け、
いわゆる閉ざされてはいるものの、継承すべき場所は、捨て去ってもいいのか。
地元に住まないと、地域社会に溶け込むことはできず、しっくりいかない。
なので、よけい、住みたくない。
住みたくないけれど、住まなければ継承できない。

今は、自分が暮らす家と、あちらの継承場所と、半々というポジションを取っている。
いずれ、義母の力が及ばなくなったら、わたしが、代りに家を管理していかなければならない。
通いながら、管理はできるのか?
住み込みで管理?
嫌だ。

「管理しなければならない」、という気持ちと、「嫌だ、したくない」、という気持ちが葛藤する。
自分の実家なら、「管理したい」、という気持ちと、「実際には管理できない(地理的立地的、能力的、経済的に)」、
という気持ちが葛藤する。
嫁ぎ先→したくないが、しなければならない
実家→したいが、できない

このあたりに、奇妙な微妙な、へんな旧来のイエ意識が働いている。

将来、バトンを受け渡されそうな息子は、どこか遠くに逃げてしまった。
うまく、のらりくらりと、身をかわされた。

目の前のバトンを手渡されそうで、
ああ、やっかいなバトン、
とりあえず、今日のところはバトンは手渡されなかった。
そうやって、一日一日、延命的に、刹那的に、今日の無事をしのいでいる。

これは、はたして無事、安泰なのだろうか?

のらり、くらりは、時間の問題で、必ず決定的な、その時が来る。

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初、指揮官・体験。疲れました。

2013-03-11 | 

自分のブログ。
ぶっちゃけ、わたしは、静かなほうが好き。居心地がいい。
人の興味を引いても、その関心内容が2チャンネル的だというのは、自分の嗜好には合わない。


さて、そんな話は卒業の感あり、・・・で、話は、変わり・・・ます。

一連の我が家のお祭り騒ぎイベント、最も大きなものは、昨日、無事、終了したが、
まだまだ、続く。

結婚し、人が生まれるということは、ありとあらゆる方面に、大変、大きな経済効果をもたらす、と、しみじみ実感した。
経済だけではなく、精神的にも、行動的にも、活力が加わる。
ヒト、モノ、カネの流れが勢いづく。
まさに、国力の元、エネルギー源である。

そして・・・雑感です。
社会の最も小さなコミュニティーである、家族。
家族の形態は、時代によって、そのカタチを変えていくが、核家族というものは、シンプルで、まさに、核。
身動きが取りやすく、どすんどすんと重い巨体に比べると、それはそれは、楽。

家族のあり方は、家制度の崩壊とともに、大きく変わった。
家の付き合いというものが、すぽっとなくなると、自分たち単体だけの付き合いになる。
イベントも、そう。
単体といっても、最低限、自分の家族以外の人たちともお付き合いはする。
贅肉が、そぎ落とされた、厳選された、お付き合いとなる。

昔からの風習や、習慣、姻戚関係、義理の付き合い・・・どこまで取り入れるか、新しい核家族の胸ひとつ。
楽、自由、開放感!!
シンプルチョイスは、グッドチョイス、さらにベストチョイスに、なればいいが。

わたしが、いままで受けてきた、親世代の生活様式や、お付き合いとは、打って変わって、最小限度のエコ付き合い。
家の大きさ、規模も、ぐーーんと小さくなり、楽なのはいいが、軽い、小さい、抜粋手抜き、
吹けば跳ぶような一代限りの儚さ、泡沫感も。
時代の流れか。
地域の違いか。

それが気になる、気がかりなら、もっと、重厚にやればいいのだろうけれど、
こんなに楽でいいのか、と、気が抜けるぐらいだが、
旧き良き文化を踏襲しきれていない、仕事をちゃんと完全にしきっていないような、
自分の代で、バトンタッチを中断してしまっているような、自分への後ろめたい反省、責任みたいなものも、感じる。

わたしは、自分流、自分カラーでモノゴトを進めたのは、この度が初めてじゃないかと思う。
いつも、上の世代からの踏襲、コマとなって動くだけだった。
やっと、中間管理職となり、部下も動いてくれ、とても助かっているが、
やはり、評価の対象は、船の船頭である自分ということになる。
下っ端で、文句を言いながら、使い走りをしているほうが、楽かも知れない。

お客様に、お出しする料理ひとつにしても、
自分で作るわけではないが、オーダーするにも、多くのモノの中から選ばなければいけない。
厳選。
ジャンル、質、量、出すタイミング、・・・
へんに、バタバタしていても、ゲストは、落ち着けないと思うし、
かといって、わたしはサービス、接待しなれていないので、おたおた。
口下手のくせに、会話もしなければいけない、なんて、思ったり。
お土産の用意も、さてさて、どんなものがいいのやら、と悩んだが・・・。

結果的には、ごくごく普通だったように思う。
「たいしたことでもないじゃない。あんなことで悩んでたの?なあんだ、大げさな」
と、鼻で笑われるかも知れない。

この年になって、わたしにしてみれば、初めての、指揮官の役割。
今までは、すべて、部下として、パシリとしてとしか動いたことがなかったのだと、思い知った。
母や、義母が、家の大きな行事の際、ゲストを迎えるときに、汗を流しながら、ピリピリしていたことが、よくよくわかった。

わたしは、今回、実家を離れての初めてのことだったが(・・・遅い・・・。なにぶん、お年寄りが元気なもので・・・)、
核家族の家の規模があまりにも小さいので、これでいいのか?と肩透かしを食らうような、
いやいや、これでいいのだ、自分は、ミニマム・エコ流で、と思ったり、
時代の流れに乗る、というか、時代の流れを自分流、我が家流にアレンジするというか、
貴重な体験となった。

義母や母、義姉、姉たち、・・・いまさらながら、尊敬する。
前例があるということは、基準となり、方針決定の舵切りの助けになる。
よき先輩である。
彼らも、前例を見て、自分の代には自分流の判断を加えて、家の行事をこなしてきたことだろう。

娘たちは、義母・母の、両方の家の流儀を見聞きし、知った上で、
そして、核家族的なわたしのエコ流儀にも、手足となり参加し、いろんなことを学ぶことだろう。
いずれ、彼ら流の方針、スタイルで、推し進めていくことだろう。

重厚からエコへ、さらに、未来派へ。
時代とともに移り変わる、家族の風景。
家族は、カタチを変え、過去・現在・未来へと引き継がれてゆく。

 

 

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