goo blog サービス終了のお知らせ 

蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お鮨、好きだったはずなんだけど。

2011-01-24 | 

昨日は、夫側の親戚の法事が(地方で)あり、夫が出席した。
夫は、山のように、それこそほんとうに、山のように、色々いただいて帰って来た。

お昼のお膳のうち、カニをはじめ、手をつけなかった品々、
そして、それとは別に、ぎっしり、ずっしりのお鮨折詰、
10個も入っている、おおきな、あんこたっぷりのお饅頭、
お供え品のおすそわけの数々(和菓子、お蕎麦、バナナ、りんご、オレンジ、・・・多い、重い・・・)
梅干し1箱、さらに商品券。

それに加えて、
赤ちゃん1.5人分はありそうな重い大きい白菜を3つ、まるまる太ったキャベツは、なんと5つ、
大根(中サイズ)5本。

なんで、こんなにたくさん・・・

キムチでも漬けないと、消費しきれない。(漬け方、わからん・・・)
毎日、毎食、ロールキャベツ攻めにしても、お好み焼き攻めにしても、
ちょっとやそっとじゃ、食べきれない。

日持ちするように新聞紙でくるみながら、アタマのなかで、ぐるぐるハッパが宙を浮く。
食べ助けしていただくため、ヨイショヨイショと配り歩く先の人の顔が次々、浮かぶ。
あーー、めんどくさい。

玄関に放置してあるが、ものすごくスペースをぶんどっている。

今回は、夫が車で行くということを聞き、
法事が開かれた家の、若いお嫁さんの実家からも、わざわざ野菜を持ってきてもらったらしい。
ご苦労様です。そんなにまでしていただいて、たいへん、申し訳ないです。
多くの人の手がかかっている。
感謝しなければ。

ホシイものを、ホシイ分量、ホシイときに、ホシイ

ちなみに、わたしはいつも、キャベツは、半個、大根も半分、買うことが多い。
1個や1本、まるまる買うこともあるが、重いし、たいがいは半分。

そして、下娘Rは、和菓子はいっさい口にしない。
夫も、ほとんど食べない。
つまり、わたしひとりで10個まるまる食べることになる。
とりあえず、5個冷凍したが、冷凍庫には、いつのかわからない、和菓子が、ごろごろ。

そこへもってきて、昨夜は、夫の仕事関連の人のお父さんのお葬式があった。
仕事上、夫は役をしなければいけないそうで、たんなる出席者というわけにはいかなかったようだ。
法事に続き、喪服、大活躍。

が、そこでまた、お弁当を持ち帰って来た。
上記の食べ物の山に加えて、おおきな立派なお弁当。

わたしたちは、娘Rとすでに食事を終えていたので、
このお弁当、お鮨、カニは、夫ひとりの胃袋に納まることになる。

「このごろ小食になった」という夫。
とても食べきることなど、できやしません。
わたしもお手伝いしたが、途中でギブアップ。
あの、膨大な量に圧倒され、それで食欲が半減。

初めての、経験

お鮨が、また、今まで食べたことがないようなお味。
ごはん(シャリ)が、べちゃべちゃ。
どのお鮨も、みなそう。
わざと、ああいう調理法で作られているのだろうか。
べちゃべちゃのほうが、おかゆ一歩手前みたいで、あまり噛まなくていいとかで、好まれているのだろうか。

わたしは、食にはこだわりはないほうで、なんでも食べるほう。
しかし、あのお鮨には、まいった。

世界には、飢えて亡くなるひともいるというのに、こんなことを言っては、罰があたる。

けれど、「ホシイものを、ホシイ分量、ホシイときに、ホシイ」、なんて、
これは、ゼイタク者の望むことなのだろうか。


去年、夫の家で法事があったとき、
遠方から来られる人のことを考えて、
義母は、小さくて軽い、かたちばかりの高品質なお菓子に加え、「茶菓料」としてお金を封入した。
それは、食べたくもないモノをぎゅーぎゅーに押し込まれるよりも、
すっきりしていて、洗練されていると、わたしは感じた。
ごろごろ重い、食べるのにも困るような、やたら多くの食品を持って帰ってもらうのは、大変だろうという配慮だ。
(粗供養として、べつに、商品券を用意)


仏事って、たいへんですね。

故人たちを供養するために、お供え物をいっぱい供えるようだが、
生身の人間が、それをお下がりとして、いただくのが、この飽食の時代には、時代に合わない。
かといって、捨てるわけにはいかないし。

ろうそくだって、一晩中つけっぱなしにできるものも、できているし、(電燈のようなもの?)
宗教行事も、時代と共に、工夫が必要だ。

なんだか、仰々しい仏事は、仰々しければ仰々しいほど、前近代的であるように感じる。
あえて、逆を行くのが、ポスト・モダン?
敬虔な真摯な、純粋な信仰心で、執り行われている(と思いたい)が、形式だけにこだわっていることもあるだろう。

祀りごとは、お家を継承する義務の一環、みたいなかんじで、宗教心なんかない場合も多いだろう。
宗教心がないとすると、なんのために祀るのだろう?

理屈じゃないんだ、祀るべきなんだ、宗教心じゃないんだ、
絶対にやらなけらばいけない義務なんだ、こころは関係ないけれど、行事なんだ、
ここで、切ってしまってはいけない、避けては通れない、続けなければいけないんだ、
あれこれ、つべこべ言わずに、よけいなことは考えないで、なにがなんでもやらなければいけない、
やらなければ、後ろ指さされて、非難ごうごう、それなら、やったほうが、ましなんだ、
なんて、なかば強制されて、強迫観念に駆られて、今日まで来ているのかな。

いや、人生の選択肢があったか、なかったは別として、自分の与えられた使命として、
当たり前のこととして、案外、なんの疑問も苦痛も抱かずに、(あるいは、悩んだ挙句)
めんめんと受け継がれてきたのかも知れない。

それぞれの地域に、それぞれの感覚

今朝も、昨日のべちゃべちゃのお鮨を食べた。
シャリが、べちゃべちゃだけではなく、芯があるようにも思う。

この仕出し屋さん、店の大将(あるじ)が高齢で、
舌感覚やサジ加減がマヒし、閉店、間近なのかも知れない。
でなければ、こんなものを商品として出すわけがない。
人の動きのある処と、人の出入りのない処では、事情が違うのかも知れないが。

お鮨だけに言えることではない。
暮らし、ライフスタイル、感覚、価値観が違う、それぞれの地域での常識は、
それぞれに正当性をもって、まかり通っている。

人気ブログランキングへにほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
 

お金があふれかえっているのなら、いざ知らず、
一生懸命、頑張って貯めて、仏事に使う・・・
その気持ちは、ご先祖様に伝わっていることでしょう・・・
頑張っているひとを横から冒涜するようなことは、許されませんね。
文句言ってたら、ほんと、罰があたります。

が、それは、それ、これは、これ。

 


ぐちぐちぐち

2011-01-21 | 

iPadがインターネットにつながったことに対する、昨夜の夫の反応は、
「無反応」という反応だった。

いま、われわれは、熟年危機にあるので、
どんなことでも、マイナスの針のほうが敏感に振れる傾向がある。

昨夜も、これみよがしに、ため息を何度も何度もつかれ、むちゃむちゃに、意味なく腹が立った。
部屋が寒いと感じるときに、エアコンをつけたい気持ちを表す夫の言葉
「寒い寒い」の連発と同じだ。
自分でエアコンをつけたら済むことなのに。
わたしが、なにかリアクションを起こすまで言い続ける。

昨夜は、ここのところの一連の学習の結果、夫は自分でエアコンをつけていた。
だが、今度は、ため息。
わたしがなにか言うまで、ため息かい?!

その、行為、なぜか、理屈抜きでわたしの神経を逆撫でする。

言いたいことがあれば、相手にわかるように説明すればいいではないか。
赤ん坊ではあるまいし、
泣く、笑う、怒る、そういった自分の感情を見せるだけで、自分の思いを察し、願望を満たしてほしい、
・・・そういうことだろう。

なんらかのサインを出している幼い子供に、親が、示すような、理解力を示してほしいのだろう。
なにも自分で説明しなくても、くみ取って、先々に要望を満たしてほしいってことだろう。
あなたのおかあさまは、生まれた時からずっと今日まで、あなたにそうしてきたのでしょうけれど。

わたしゃ、あんたの、母親じゃない。
言いたい事や要求があれば、相手に説明し、相手が納得しなければ、説得する努力をすべき。

怒る、威嚇する、すねる、ため息をつく・・・そんな行動で示すのではなく。


わたしはTVはニュースも見たいのに、夫は自分の好きなチャンネルを当然のように独占。
リビングに、エアコン、床暖房と、上からと下から、同時に両方ぬくぬく暖めて、夫は酔って寝ている。
また朝まで、TV、暖房つけっぱなしで?
いつものことだが、わたしはとてつもなくイラついて、一秒もそこに居続けたくなくて、新聞を持って、2階に上がった。

ああ、夫婦別室の救い。
これが、この別室がなければ・・・おお、こわい。
いろんな悲劇が想像できる。
世の中には、避けられたかも知れない事件が、多く発生している。
でも、じつのところ、わたしは別室に助けられ
たんに、立ち向かわなければいけない問題点を、後回しにしているだけだ。


一夜明け、冷静に振り返る。
わたしの反省点。
キレて避けるだけでは、夫とたいして変わらない。
夫に、どこがイヤなのか、夫がわかるように説明し、改善してほしければ根気よく、説得すべき。
つまり、二人とも、意地の張り合い。
未熟さにおいては、同レベルということだ。
両者、一歩も引かない、というところが、われわれの最大のダメなところ。


話は変わるが、
「親戚宅で行われる法事、スローさんも一緒に来ないかと、その親戚から電話があった」と、義母から連絡があった。
その親戚に、返事をしなくてはいけないので、義母は、わたしの答えを急いでいた。

前にお知らせを受け、夫だけが出席することになっている。
その法事を明後日に控え、突然、わたしも出席しないか?とのお誘いだ。

出席者は、ほとんどが男性。
男性陣には、豪華なお膳の数々を用意しているが、女性たちは、台所裏で、お弁当を取ろうと思っているので
わたしにも、そのお弁当をいっしょに、だそうな。
夫が遠路、車で来るとしたら、お酒を飲んでも、帰りはわたしが運転すればいい、とご親切なアドバイス。

そんな思いついたように直前のお誘いでは、わたしもスケジュールとして、予定が詰まっている。
わたしも飲むのに、なんでわたしが一方的に運転手?
一生に1回か2回しか行かない家にお招きいただきて、
そんなはるばる遠方に、わざわざ貴重な日曜日を費やしてまで行って、
夫は、豪華お膳で、なんでわたしが、台所裏で、お弁当?

台所裏なら、コマネズミのように
お茶出しサービスとか、させられそう。

なんで、ひとさまの家でまで、よそのひとさまを接待せにゃいかん?

とにもかくにも、わたしは、3か月以上前から入っている予定があり、
それに向け、準備もしていたし、わたしが抜けると大勢の人々に迷惑をかけるので、
せっかくのご親切なお誘い、大変申し訳ないが、丁重にお断りさせていただいた。

 

人気ブログランキングへにほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
 

予定が入ってなければ、参加しただろうか?
ぜひ、行って欲しいと懇願されたら、参加しただろうか? 

妻は夫の従属品のように捉えられているから、当然、無償で動くもの
そういうメッセージを読みとりました。

ビジネスの世界でも、人はタダでは動かない。
理念で動く、ボランティアもあるだろうけれど。

人を動かすには、それなりの配慮というものが、いります。
しかしまあ、常識というものは、ひとそれぞれ、違うんですねえ。
その常識が一族全員、地域全体だとしたら・・・ふう・・・どうしますかねえ。

 


寂しいけれど、遠くから応援してます

2011-01-18 | 

昨夜、遠方に暮らす息子が、ひょこんと帰って来た。
公的手続きのため、上阪したついでに、顔を見せたようだ。

「今日、家に、だれか、いる?」

彼のメールは、いつも、これ。

子供たちが小さいころから、わたしがいつも家にいない事が多いので、
とりあえず、こう確かめる。

「いるよ~」と、返信しつつ、猛スピードで家路に着く。
彼より先に、家に入っていないと、味気ないし。

タッチの差程度で、わたしが先に帰宅。
ばばばと猛スピードで着替え、洗顔し、さあ、と思った頃に、息子の顔。

「久しぶり~」
といっても、ほんの2週間前、お正月に、夫の実家と、わたしの実家で、会ったなあ。

食事はまだということなので、適当にそこらへんのものを使って調理し、食卓に並べる。

飲む、飲む、飲む。
彼は、ビール、ウイスキー、ワインと、チャンポンしていたようなので、
へろへろになってダウンしてしまった。
わたしは、焼酎、ワイン。
飲んでも、後片付けやら翌朝の準備やら、まだまだ、けっこう、働けるようだ。

しゃべる、しゃべる、しゃべる。

酔いもまわるが、舌もまわる。
わたしはともかく、息子は寡黙で、胸の内を明かしてしゃべり倒すほうではないのだが、
炸裂・本音トーク大会となった。
すべて本音。べらべらべら。
日頃言えないことを、べらべらべら。

お酒のパワーってすごい。ハイテンションもいいところ。
しかし、なにをしゃべったのか、ほとんど覚えていないのが、ツライです。
わたし、たんなる酔っ払いか?


「あのさー、おとうさんの言うことをまともに受けなくてもいいと思うよー。
別に跡取りとして、がんじがらめになって、無理して帰ってこなくてもいいよ」
って言ったような気がする。
自分の人生の終わり頃、死ぬ頃までに、80歳ぐらいまでに帰ってきたら、それでいいから、と。

「じつはわたしも、移住・永久・女中奉公から逃げようと、ひそかに準備中なんよ。
でも、準備だけで、実行はどうなるのか、わからんけどねぇ」
なんて、母親のくせに、ろくでもないことを打ち明けたりもする。

夫は、たまたま不在だったが、
一日でも早く、帰ってきて欲しがっている夫がもし聞いたら、
かんかんになってアタマから火を吹いて怒るようなことばかり、しゃべったような気がする。


深夜12時ごろ、
上娘から、「ハワイ2泊4日の弾丸ツアーから無事帰国」のお知らせメールが入った。
「お帰り~。おにいちゃん、帰ってきてるよ~。飲み過ぎて、おえおえ、いってる」
と、ついでにひと言、添えると

「仕事で疲れているところに、お酒を勧めると、酔いがまわるから、ほどほどにしなさい」、
とお叱りを受けた。
しゅーん・・・


ありえないほどの薄着の息子を見て、
「そんな恰好していたら、かわいそうな人だと思われて、
NPO法人かなにかで活動している人から、
炊き出しのお知らせや、住まいの提供やら、街で声かけられるんと、ちゃう?」
と、寒がりなわたしの老婆心。

「本当に困っている人は、こんなに薄着はしないで、ちゃんと何枚も服を重ね着している。
ズボンも、もっこもこに重ねてはいてる。
だから、間違えられない」
なんだそうだ。

あいかわらず、ユニークなお方。


遠くに赴任することが決定している息子。
ここ当分何年かは、会えない。
会えるとすると、法事ぐらいだ。

次の法事は、いつだっけ?
まだまだ何年も先のような気がする。
こんなときだけ、法事がはやく回ってくればいいのに・・・なんて思ったりする。
宗教心、ゼロ。じつに、いい加減だ。

お嫁さんを連れて帰ってくる、なんてことはまったく期待していないので、(ありえないことは、期待しない)
せめて、健康には注意して、新しい土地で頑張ってほしい。

「ほんなら、な」
最後に玄関先で、息子は手を振った。

「じゃあ、ね」
わたしは、寂しいけれど照れ笑いしながら見送った。
でも、息子、けっこう、爽やかな顔して、久しぶりの、自分が育った街をゆっくり見渡しながら、
ゆるやかな日差しのなかを歩いて行った。
澄み切った冬の午後、彼が見えなくなるまで、わたしはじっと後ろ姿を追い続けた。

 

人気ブログランキングへにほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ

トップ 画像は、息子と二人で空けたイタリアの赤ワイン。
クセのない、飲みやすいお味。

夫のワイン・クーラーから、黙っていただいちゃったものですが、バレるかなぁ・・・
わたしもそうですが、息子が、大、大好きな夫こそ
、息子と飲みたかっただろうなあ・・・
息子だけでなく、子供たち全員、ひとりひとりが、このうえなく大好きな、まだまだ未熟な、われわれです。

息子、あの爽やかそうな顔なら大丈夫。
新しい門出。一歩ずつ、ゆっくり・・・歩んでほしい。


バトル転じて、ボトル

2011-01-17 | 

夫在宅・メランコリック・ブルー

昨日は、1年に1度あるかないか、の休日・夫、在宅デー。
いつもは、ゴルフなのだが、ぽこんと一日、たまたまゴルフ予定が入らなかったようだ。

そういうことは、直前に言って欲しい。
なぜなら、前々からわかっていると、
メランコリック・ブルーの時間が長くなり、その間に、限りなく漆黒ブラックに近くなる。


夫は、iPadを入手してきたらしく、さっそく、取りかかっていた。
無線ルーターが必要なようで、午前中に近くの家電店に買いに出かけた。

コンピューターを前に、四苦八苦。なかなかうまく、つながらないようだ。
お客様サポートセンターに電話してみようとしたが、日曜日はやっていなかった。
平日、仕事をしている人にとって、日曜日ぐらいしか取りかかれないのに、それでは片手落ち。
でも、祝日は、OKのようだが、夫は、祝日は必ずゴルフだし、どっちもどっち?

その間も、DVDを何枚もコピーしたり、パソコンは夫が完全占領。

わたしも、夫の目の前で、夫の悪口たらたらのブログを綴るわけにもいかないので、
パソコンは、あきらめた。

TVの大洪水

いつも夫がいない時は、TVはつけていないのだが、昨日は早朝からTVの洪水。
いっときもTVがついていない時がない。
じゃじゃ漏れ、じゃぶじゃぶ、垂れ流しTV。 All TV hour.

そのなかで、やしきたかじんが、2つの番組に続けて出ていた。
討論番組「たかじんのそこまで言って委員会」と、「たかじんNOマネー」

「たかじんのそこまで言って委員会」で、辛坊治郎氏が、おもしろいことを紹介していた。
世の中にはアタマがいい人がいて、インターネットでいろんな発言が飛び交っている。

伊達直人と、菅直人の違い

伊達直人は、こどもたちにランドセルを背負わせる。
菅直人は、こどもたちに借金を背負わせる。

伊達直人は、必要なところに、必要なものを置く。
菅直人は、現金をばらまく。

ふーーむ・・・たしかに、おもしろい。


次の、「たかじんNOマネー」では、またもや、たかじん、同じ顔。

ゲスト出演の孫正義氏は、在日韓国人3世で、幼いころは苦労されたようだが、なかなかの人物。
聞けば聞くほど素晴らしい理念が、あちこち、ダイアモンドのように散りばめてあった。

企業のイメージ・アップには、もってこいの番組、効果絶大だと思いきや
スポンサーは、SoftBankだった。
なんや~。そのままやん。
まあ、いいですけれど。

脳ミソの性能、機能に、個人差あり

孫氏と、お会いしたことがあるという人(社長さん)を2人知っている。
一人は、わたしの小・中学校の元同窓生F君で、彼のアメリカでの留学時代に学友がらみで。
もう一人は、わたしが仕事関連で担当していたH社長で、社長として、なにかの会でちらりと会ったのだろう。

この上記の二人を対比してみると、まったく正反対。

同じ社長といっても、脳ミソの性能が、とびきり上級か、そうでないか、に、はっきり分かれる。

ただただ、がむしゃらに働く、それはそれで、とても立派だが、それだけでは、そこまで。
アタマを使わなければ。
悪知恵のほうに、使っては、もちろんよくない。
だが、このアタマ、使いたくても、生まれつきのメカニズム機能の問題があって、
凡人と天才、秀才の差は、埋めがたいものがある。

ひとそれぞれ、適材適所、です。
ナンバー2が、ぴったりの人もいる。
「その他大勢が、楽」という人もいる。

目指すものはなにか、それがはっきりすると、
達成するための方法は、目標とする人の辿った道を研究する、
そこからスタートすることでもいいのでは。

孫氏は、人の後からではなく、人がやっていないことをやっているが、
最初からそうではなかったはず。

俗人には、お金は回ってこない

やしきたかじんの絡み方が、俗人っぽくて、いい組み合わせだった。
たかじんが、孫氏の言葉を聞いて、こう締めくくっていた。

「カネというものは、追い求めるところには、集まらず、追い求めないところに、集まるものなんですなぁ。」

たしかに、たしかに。


きんぴらレンコンを作りながら、
まだその続きには、「ザ・ハウスルール3」で、デビ夫人や、大橋巨泉の豪邸をまじまじ、しっかり堪能。

と、まあ、在宅ブルーは、
ブルーが好転して、次から次へと、おもしろテレビをしっかり観る1日になった。

またまた

ノリすぎなのかどうかは、知らないが、鍋をつつきながら、二人でシャンパン1本、赤ワイン1本を空けた。
夫は、飲んだ後の、いつもの、酔いざめ「寒い、寒い」が始まったので、
とたんにブルーが甦りそうになり、
とっとと見捨てて、急いでわたしは2階に上がった。

人気ブログランキングへにほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ

トップ画像は、その空のボトルたち。
昨夜は、バトルではなく、ボトルで、よかった、よかった。

 

 

 


霧が晴れた、その後は?

2011-01-12 | 

自由、いま、むかし。

昔は、人生の選択肢は、ほとんどなかった。

職業の自由、居住地の自由、結婚の自由、・・・あれこれ、お上や、家父長に決められ、
個人の自由はなかった。

ひとに人生を強制され生きる。
ある意味、従うだけで、責任を取らなくていい。

しかたない。
道がない。他に方法がない。

 
時代が変わり、価値観が変わると、がらりと変わる。

今は、自由。
選択の自由。人生の自由。
頑張るのも自由。堕ちるのも自由。
頂上を目指すのも自由。こぼれ落ちるのも自由。

頂上を目指さないのも自由。
自由にならないのも自由。
選択する自由。
選択しないという選択もある。

死ぬ自由まで、自由は、果てしなく拡がる。


終身雇用制度は、崩壊し、働き方も自由に。
会社と一心同体の忠誠心は何処へ。
会社側も、個人を束縛しないかわりに、家族的結束・温情もない。

離婚率は上昇、
結婚は、拘束力を失い、人生の大きな枠組みから解放される。


イエという幻に捧げる一生

姑のような、一生をイエに尽くし、人生のほとんどは、イエのためにあるような
そんな結婚生活は、もはや家制度が幻影となっている現代では、姑の目にだけ映る幻(まぼろし)。
姑は、幻のなかで、イキイキ生きている。

時代の足跡ということで切ってしまえるなら、コトはカンタンなのだが、
ただ、ややこしいことに、姑の息子である、わたしの夫に、マインドをごっそり注入してしまっている。

「僕は、古風な考えの人間です」

初めて夫と対面したときに、いのいちばんに、夫は自分のことを端的に自己紹介した。
その時の言葉が重大だったことに気づかず、いとも軽く扱ってしまっていたわたし。
いつも、詰めが甘い。

他の結婚相手・候補者にも、旧いタイプの方々も、けっこういた。
どの旧式人間と結婚していたとしても、今のわたしとおなじ葛藤は生まれていたことだろう。


イエに縛られない、新しいカタチのイエ

イエ制度の良い面だけを残し、あとは、時代に対応した形式に変えるべき。
いくら強制的に、無理やり頭を押さえつけて継承させようとしても、無理。

無理やりでは、その場限りで、次の代や、その次の代に、バトンタッチできなくなると思う。
アタマのいい中継ぎ役なら、うまく切り抜け、次の代にバトンを渡せるのだろうけれど。

われわれは、夫婦での協力ハーモニーは、いたって不協和音を奏でているのだが、かといって、
今まで受け継いできたものを、わたしが、つぶしてしまうわけにはいかない。
ま、いろいろ考えて、篩(ふるい)にかけ、はしょって、
バトンを渡される側にとっての負担を最小限にして、伝えようと思う。

負担の重さが苦痛という点では、
役についてない平(ひら)会員ならいいが、
強制的に、班長や、会長の役目が回ってくる自治会の会員みたいなもの。
課せられるお役目が重すぎて、お年寄りたちは、次々に自治会を脱退。
手を差し伸べてあげるべき、高齢者たちこそ、自治会に留まってほしいのに。

義務の負担が重いと、受け手側は逃げるってことです。


次世代への継承のために、夫の実家には、訪れることはあっても、
空気の逆流する、かの地に、わたしは異邦人になって住みつく気はない。
夫がそれが不服なら、発展的・永久別居というコースもある。
選択権は、それぞれにある。

お互い、ハッピー別居がいちばんだと思うのだけれど。
なぜか、夫は、わたしにあの惑星に、「永遠の女中」として永住しろと言う。
ふたりの意見は、まっぷたつ。


赤、勝て! 白、勝て!  伯仲のバトル

綱引きの綱は、姑がトップの座に君臨する今は、微妙な均衡を保っている。
トップ引退の時期や、状況によって、右に行ったり、左に行ったり。
真ん中の旗は、どっちに向けて、倒れるか。
赤、勝て、白、勝て。わー、わー。

現在、義母が真ん中にいて、身を張って、旗を振って応援してくれているから、もっているようなもの。
義母が力を発揮しなくなると、綱は、ぶっちーーんと切れてしまうかも。
そういう意味では、一日でも長く、元気でいてほしい。
それは、義母もそう思っているが、家族全員が願うところでもある。

ただ、問題を先送りしているだけという気もするけれど。
義母が元気を失うまでに、じっくり対策を練るなり、考えを固めておく必要がある。
できれば、夫の定年まで、ぜひ元気でいてほしい。(定年、あるの?)

その頃は、息子と徐々にバトンタッチ。
息子が、まだ独身なら? (おおいに、ありえる) 
夫婦共稼ぎで、子供が、小さくて、手がかかるとしたら?
そんなことまで考えると、自分自身の計画が立てられないから、その時は、その時の絵を描こう。


霧、晴れそうな予感。
でも、それまでには、暗雲たちこめ、一時、どしゃぶり、のち、嵐。

 

 人気ブログランキングへにほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ


霧が晴れたあと、まわりを見渡してみると・・・・

あちこち、びしょびしょ、屋根は飛んでるわ、車はひっくり返ってるわ・・・

修復作業に、残りの人生すべてが、かかるかも。


桃太郎生活、いま、むかし。

2011-01-10 | 

こんな時代も、あったのね

夫の母(=姑さん)。

素晴らしいひとです。

これは、お世辞でもなんでもなく、戦中派に見られる、頑張り屋さんの典型。
昭和ひとケタ生まれ、わたしの母も、同じ世代。
ありえないほど、健気に気丈に働く。

青春時代をどっぷり戦争色に塗りつぶされ、女学生時代は、けたたましく鳴るサイレンに怯えながら、
空から降り落とされる爆弾の恐怖と闘った。
勉強をする時間もろくすっぽなく、学徒動員で、地方の軍関係の工場で働かされた。

命からがら地方から逃げ帰り、
やっと終戦を迎えたと思いきや、まわりは戦争の爪痕も癒えない焼け野原や、家の惨状。
多くの家は、家族や親戚の何人かを、戦死という哀しいかたちで失う。
そんな状態では、原状復帰が最優先で、
嫁入り前の女性は、専門分野のスキルを身に付けたいという発想など、到底、湧きあがらなかったことだろう。
当時の価値観では、
女子大は、経済的自立のためではなく、結婚のための付加価値プラスアルファ・お飾りみたいなものだった。

国防一色の思春期は、楽しい思い出もなく、学業に力を注ぐ状況もなく、
戦後間もなく、卒業後、お見合い結婚。

嫁いだ家は、時代を逆戻りしたかのような、ほんとうに戦争を挟んでいるの?と疑いたくなるような
タイムカプセルから抜け出てきたかのごとき、時計の針が逆行した、
家父長制がバリバリに活きた、男尊女卑の、前・近代的生活を平然と送る、
超アナクロ、時代錯誤な家風。


川でお洗濯なんて、あらステキ!?

食事するときは、嫁は、下座の、畳一畳大のスペースの板間に座らされたそうだ。
女中を連れて、川へ洗濯に。
うわー、桃太郎の世界。

お金もまったく持たせてもらえない。買い物など、とんでもない。
公休の日に、家に帰れる女中さんが、羨ましかったと嘆く。

その頃、夫(義父)の妹は、婚約者とラブラブ中、嫁(義母)は、義妹の豪華な嫁入り支度をしり目に、
せっせと、義妹の未来のご主人サマのお給仕に勤しんだそうだ。


義母は、旧い門前町の商家の生まれ育ちで、モダンな家風。
義母の母親は、テニスを楽しみ、お茶人でもある父親は、毎朝、コーヒーとパンの朝食を好んでいたそうだ。
義母たち3姉妹は、謡いや日舞、お茶をたしなみ、華やかな子供時代を送っていたようだ。
教養や、たしなみのあるお嬢様だったというわけだ。
それが、一転して、桃太郎生活。

川上から、どんぶらこ、どんぶらこ、と、桃じゃなくて、洗濯機でも流れてきたらよかったのに、ね。

けっこうマインドが頑丈な(鈍感力あり。打たれ強い)わたしが、ひっくりかえってビックリするぐらいだから、
嫁に来たばかりの、いまや絶滅種・お嬢様育ちの義母の驚きたるや、想像するに易い。

食べ物も、生活のひとつひとつも、すべて違う。
魚も、自分に順番が回ってくる頃には、いったい、どこを食べるのだろう・・・と、まじまじと見たとか。

こんなはずじゃなかった・・・と、思ったかどうかは、別として、
まあ、むかしの皆さまは、辛抱強いので、病気になるまで頑張った。

結局、義母は、子供を産んだ後、身体をこわして入院してしまったのだけれど。
そのあたりのいきさつは、わたしにも、ある種、共通するものがある。
倒れるまで頑張ってしまうんですね。わたしも、そうだった。

自分を守る自動防御装置が作動するのが、ちょっと遅いってことだ。


で、平成の時代。

この話、書いていると、延々に続きそうだ。

昔の人の、しかも、他人の苦労話なんか、読んでいる人にはなんの関係もないかも知れない。
まあ、そう仰らずに・・・

時代は、昭和から平成へと年号を変え、時は流れた。


義母は、義父亡き今、好き放題し放題のはずなのに、あいかわらず、超真面目な勤勉生活を送っている。
自分の楽しみよりも、家族や人様に尽くすことが、生きる意義であるかのように、身を粉にして働く。

広い家なので、用事が多くて困る、自分の時間がないと、嘆く。

「だったら、家事や身の回りのことを一切してくれるサービス付きのシニア・マンションに、元気なうちに入って、
自分の時間をまるまる好きなように過ごせば、いかがですか?

そこからジムに通っている人や、趣味のお稽古や旅行に出かける人もいますよ」
と、わたしが提案すると、
「大勢の他人と一緒に生活するのはイヤ」と言う。

「自分の個室が確保されているから、イヤなら自分の部屋で自炊してもいいんだし、
同じ住まいの人に会いたくなければ、自室で過ごすか、外出すればいいんですよ」

そう言っても、ピンときていないようす。
いまの、広い家のなかで、家事や雑事に動きまわり、
来客に追われ対応する、忙しい生活が、お気に入りのようだ。

もう、80を超えているのだから、そんなに働かなくてもいいのだけれど、
昭和ひとケタの血が騒ぐのか、
ダラけた生活を嫌い、時間を惜しんで、精いっぱい身体を動かして働く。
このあたりは、わたしの実母とまったく同じ。

自分のためだけに、何でもモノに手が届く小さな一室で、梅干しとお茶漬けをすする生活なんてしたくないと言う。


が、理想を追求すると、キリがない

「自分の時間がない」という愚痴をクリアーすることと、
大きな家に暮らし、威厳を保ち、自立した、張りのある生活を送ることを、両立するには、かなり困難をきたす。
どんな素晴らしい人であっても、そんなにうまい具合、自分の理想通りの生活なんて、できるはずがない。

現役の大国の大統領が、「平日の9時から5時までだけ、働きたい」と言っているようなもの。

自分の要望を100%満たしてくれる、手足になってくれる、お気に入りの家事サポートの人に、
もっと痒いところに手が届くようにサポートしてもらいながら、
主(あるじ)の地位に留まりたい、ってことだろうけれど。

自分の力が尽きた時は、同時にトップの座から引きずり下ろされるのは、世の常。

義母が、好きなように頑張れるのも、健康な身体と、経済的な支えがあってこそ。
わたしたちは、感謝のかたちを取っているが、そして、実際に感謝しているが、
それは、なに不自由ないように経済的にバックアップしているから出来ること。

それでも、人間には、欲にはキリがなく、感謝の影に、「もっと、もっと」と、ちらりと不平の顔をのぞかせる。


欲は、生きる原動力

「若い人は、いいなぁ。羨ましいわ。
だって、まだまだこの先、長く生きられるから」

そう嘆く、義母。

いまの生活が、一日でも長く続くように願っているようだ。
それは、義母だけの願いではなく、家族全員の想いと合致する。

若い人にも自殺志望の鬱病が蔓延している今の世の中で、
義母には、生きる気力、やる気が、みなぎっている。


人気ブログランキング
ブログ村 自分らしさ 

やっぱり、わたしには、かないません。
わたしは、へなちょこ世代なんでしょうか。


いちご、いちえ。

2011-01-07 | 

いちご、いただきました。

ピカピカ、つやつや。
つぶつぶ、ひとつひとつが、わたしにフレッシュ・オーラをまきちらす。

ひとつ食べ、ふたつ食べ、・・・深夜に不気味にフルーツをほおばる、わたし。
見てたら、あまりにも美味しそうだったから。

ついでに、ケータイで写真を撮ったが、(夜中に、ますます不気味)、
あいかわらずケータイは、ピンボケしてます。

きちんとした写真を撮るつもりなら、ちゃんとしたカメラがいいのは、わかっているのだけれど、
デジカメで撮ると、あとの作業がメンドー。
ケータイなら、撮ってそのまま、gooのわたしのアドレスにメールすれば、それでOK。
この楽さ、手軽さ、カンタンさが、めんどくさがりのわたしには、たまらない。


ある方のブログで、色とりどりにデコレーションされた〆縄の写真がアップされていた。

感性豊かな美しい、創作〆縄。

夫の実家では、外蔵の二階にある、百年以上前から同じ場所にある和紙を使う。
どこにあるのか、しっかり場所を覚えておかないといけない、
時空を超えた、創作ならぬ、捜索〆縄。

切り方、折り方、大きさ、カタチに、伝えられてきたルールがある。

義父が生前、息子に直接、教えてくれていたので、わたしは知らない。(楽ちんだわ~)
このお正月は、息子は年末年始は仕事のため、顔を見せたのが1月2日だったので、
息子頼りの〆縄・迎春準備は出来なかったが、
そのかわりに、次女が指南書を見ながら、〆縄飾りをしてくれた。(楽ちんだわ~)

変わりない〆縄もあれば、トレンド〆縄もある。
基本と、応用。
伝統と、アレンジ。

どちらも、日本のお正月。

フランス・ブログを見ると、迎春は特別のものではなく、年のオワリの続きだそうな。
そういえば、年末年始に海外に行くと、クリスマスツリーは、お正月になっても飾ってあった。


年季奉公、異文化に触れる時空旅行のカルチャーショックが、まだまだ続いているわたし。
ここのところ、人様のブログを読むヒマも余裕もなく、あたまのなかで、あれこれ、書きたいことが、いっぱい。
また、徐々に綴っていきたいと思う。

 

人気ブログランキング
ブログ村 自分らしさ 

鬼婆は、深夜に、ひとり、いちごをぱくつき、口のまわりを真っ赤に染め、にやっとしてましたとさ。
見ぃ~たぁ~なぁ~。
おお、こわ。


無料で行ける時空旅行は、愉しいな?!

2011-01-05 | 

あけましておめでとうございます。
ちょっと遅い新年のご挨拶とともに、さて、年末年始、ご無沙汰していた、パソコンぱちぱち。
やっと、入力できるシアワセ。

年季奉公は、無事、明けて、いつもの日常生活に戻りました。


「トンネルを抜けると、田舎だった」

夫の実家と我が家との真ん中あたりに、トンネルがある。
そのトンネルを抜けると、川端康成の「雪国」の感覚。
別世界が拡がる。

行きは、「トンネルを抜けると、田舎だった」。

帰りは、「トンネルを抜けると、新しい街がきらり」。
我が家が、明るく光って見えた。

行きは、グラデーションのように、徐々に田舎色・寒色が強くなってくる。
帰りは、その逆。暖色系に移り変わる。


田舎。

田舎が悪いと言っているのではない。
「田舎に暮らそう」に見られるように、夢を与えるフレーズに使われることもある。
実際、田舎暮らしを夢見る人もいるし、田舎で頑張っている人もいる。
第二の人生を田舎で謳歌している人もいる。
(定年後、旦那さんだけ、田舎暮らしで、
「あなただけ、行ってらっしゃい」と奥さんはにっこり、街暮らし、というパターンも多いけれど)


わたしの、ここで使う「田舎」は、「人、考え、価値観の動きがない、閉ざされた地」をいう。

住んでいる地区以外のことには、いっさい興味を示さない、聞いても脳を素通り、
他の地の出来事は、どこぞの外国のことのようにとらえる、
閉そく感、アンチ疎通感で固められた住民のみが、日常生活をともにする、特定のエリア。


現地民の暮らし

1週間の滞在は、海外旅行のホームステイのようだった。
異文化に触れる、過去と現在をつなくツアー。
大変、おもしろく、興味深いものだった。

現地の酋長宅(=義母宅)に滞在し、いろんな経験談を聞き、
地域の原住民の暮らしを垣間見て(→ブラックすぎます?)
見るもの、聞くもの、すべてにカルチャーショックを改めて受けた。

なかなか感受性の強い、訪問・滞在者だ。(=わたしのこと)

時と、価値観が止まっていて、それはそれは、おもしろい。


酋長に、教えを受ける、滞在者。

●洗濯物は、南向けに干せ。
着物の襟が重なる部分が乾きにくいからだそうだ。
北向きを南向きにするには、ハンガーをクルっと回転するだけだが、必ず、前身ごろを南向きに。
(わたしは、キモノ、一生に数回しか着ないけれど)

●お釜の上に、包丁を置くな。
(これは、置く私が悪いが。アブナイもんね)

●熱湯は、直接に流し台(キッチン)に流すな。
(義母が見ていないところでは、ヘーキで流してます)

●お供えするものをまたぐな。
(またぐのを避けるため、無理な姿勢をして、足や腰を痛めたら、お供えしに行くこともできませんよ~)

●神仏関係の布巾は、普通の食器用とは別にする。
(メンドーなので、使い捨ての紙布巾にしてます)

●神様仏様が、いちばんお偉い。
(もし、わたしが、キリスト教徒や、イスラム教徒だったら、どうするつもりだろう?)

書いていると、時間がかかるので、ちょっと思いついたことだけ、とりあえす書いてみた。


鏡餅、小餅が、わんさか、わんさか

前は家でついていたが、いまは、和菓子屋さんに別注している、大量のお供えするお餅、
「もろぶた」という、何段もの薄く大きな木箱に入れる。

わざわざそのお餅を入れるためだけに、その「もろぶた」を外蔵の奥から取ってきて、用意する。
側面に書いてある名前を見ると、ひい・ひい・ひい・おじいさんの名前。
何年、使ってる?
まあ、100年だとしても、使用頻度は、正月だけなら100回、冠婚葬祭すべてに使ったとしても、2~300回ぐらい?

その「もろぶた」が、外蔵の二階に上がると、ずらずらずら~っと積み上げてある。
あれを全部、使いきるには、今後、何年世紀かかる?

まあ、エコや、時代考証の観点から、
古いものを大切に使い、時代をさかのぼった暮らしを検証するのは、悪いことではない。
わたしは、けっこう、楽しんでいる。

ありえないほど古い、新古品の反物やら、いろんなものが、もろぶたを片付けに行って、
その付近にあるのを発見したが・・・
それはそれとして・・・


問題は、モノではなく、アタマ・・・

モノだけなら、骨董趣味や懐古趣味や、伝統趣味や、それはそれで、いいのだけれど・・・

アタマのなかも、その時代のまま・・・というのは、いかがなるものか・・・

昭和ひとケタで、時代が止まっている。
昭和レトロといえば、懐かしいティストだが、それは、昭和30年代頃の家具や、デザイン。

昭和ひとケタは、どちらかというと、明治・大正の色。
モノだけならいざ知らず、それが、アタマのなか、だとすると・・・・
風習・因習・ならわしは、時代とともに少しずつ変わっていっているが、
わたしの住んでいる街から見ると、まさに外国のよう。

わたしは結婚した時から知っているし、同居していた時もあるので、今更、知らないわけではないが
義理の両親や、その前の代の人々のことだと、他人事のように思っていた。
むしろ、古いものが伝承されていることを誇らしく感じることさえあった。
(自分が実践するわけでもないので、それぐらい、他人事ととらえていた。)

が、子育ても終わり、わたしの、いまの年齢にさしかかって、まじまじと向き合うと、
そして、いよいよバトンが渡される直前のような気配が感じられると・・・


宇宙人 VS 地球人

いままで、人ごとの宇宙ワールドだったものが、自分のワールドとして、稼働しなければならないとなると
こりゃ、たいへん。
トランスレーター(翻訳者)が、必要だ。

わたしは、現地のことばも、わからない、外国人の気分。

モノは、さることながら、マインドの部分が、接点を見つけるのには、超・難儀。
近隣住民も、みな、わからない言語を話す、現地・宇宙人軍団。
最大の難関は、地球人づらしている、宇宙人の、夫。

現地に、ただひとり、わたしと同じタイプの人がいるようだが、現地では、完全に「変人」扱い。
夫側から離婚を申し立てられても、「イヤです」と断り、
自分スタイルを押し通し、居続けている30代後半のお嫁さんがいる。
わたしは、彼女と、将来の自分が、ぴったりオーバーラップした。
彼女も私とおなじ惑星☆出身か?


日本のお正月。
めでたし。
明けて、よし、終わって、よし。 

あー、やれやれ。

明けたはずのわたしの年季も、正月奉公が終わっただけで、まだまだ、この先エンドレス。
次のご奉公の、お彼岸まで、ゆっくり休養いたしましょう。

 

人気ブログランキング
ブログ村 自分らしさ 

 

トップ画像は、お餅をおすそわけしに行った先でいただいた、日比谷花壇のお花。
そのお宅の次男さんから、送ってこられたそうです。
(次男夫婦は、海外旅行。親元に、お花だけ贈って、それでおしまい。
あああ、次男は、いいな~~~)
なので、いただきものの、横流し品、こぶりちゃん、です。

あ、ちなみに、昭和レトロのレースの敷き物は、わたしの趣味ではありません。

 

 


お女中・年季奉公の巻

2010-12-29 | 

つぶやき力って、けっこう影響力があるようだ。
いま、エビゾウさんの後に、世間で沸いている例のW不倫騒動も、つぶやきが発端。

ブログにもそういう傾向がある。
公式ブログや有名人のブログでは、声明発表の場にもなるし。

無名人のブログも、関係者が見て、人間関係のモツレや、騒動のもとになったりすることもあるだろう。

わたしも、一応、誰に見られて構わないことをスタンスに書いている。
(ただし、夫だけは、だめ。絶対、逆鱗に触れる)

なので、リアル友の目もあるので、範囲や内容が、かなり制限を受ける。
逆に言えば、わたしのブログは、嘘八百の想像・創造・ねつ造デタラメではないってことだ。
多少の過大表現、デフォルメ、演出、偏った見方、自意識過剰は、あっても。

リアリティ―を伴うので、それがブログを面白くしているのか、つまらなくしているのか?
というより、どっちにしても、どっちみち、面白くないんだけれど。


世間とまるでつながらず、引きこもる人が大勢いる。
そのなかの一人、新聞にシリーズで掲載されていた、生活保護を受けて暮らす22歳の男性は、
1日、1回だけ、インスタント食品を口にし、必ずやっていることは、ブログの更新だけだそうだ。

ブログだけが、世間とつながる、たったひとつのライフライン。
つながりたい!!という悲壮な叫びがブログから聞こえてくるという。

心臓から血管を通して全身に血が送られるかのごとく、胎内の胎児に、母親から栄養が行くかのごとく、
ブログを生きる糧、栄養としている人も、いるんだ。
いろんな人が、いる。


さて、わたし。
本日から、海外旅行に行ってまいります。なので、しばらく更新はお休みです。
なら、いいのだけれど、
夫の実家に、お手伝いさんになって、こき使われに行ってきます。

日頃、お手伝いしていないので、一年分、まとめてのご奉仕となります。

日頃は、義母の家の生活・家事サポートをしてくれる女性が二人いるのだが、二人とも病気でダウン。
うちひとりは、完全リタイアで、辞めることになった。
ピンチヒッターが、この年末だけ来てくれるそうだが、来年からは、ひとりだけが残留。
新しい人を求人中だ。


お正月は、人の移動がある。
離れて暮らす家族が、各地から集まる。
また、そのまま家族が集合体になって、実家を訪れたり、
その実家には、また、きょうだい家族が集合してきたり、
いとこや、はとこや、ひとつの家族から核分裂して派生していった人々が集まる。

単身の人は、いつまでたっても、単身。
人が末広がりに広がり、めんめんと続くためには、
結婚して、子供を産み、新しい家族を持ってもらいたいものだ。

 

人気ブログランキング
ブログ村 自分らしさ 

でも、年季奉公人は、ツライです。
年季が明けた頃には、すっかり老婆で、自由の身を喜ぶにも、もうボケてることでしょう。

 


恒例、日曜の粉アソビ

2010-12-20 | 

 

昨日の娘Rの粉アソビ、チーズケーキ二回目、挑戦。
前回に引き続き、レモンなし。
今回は、外側が焼け過ぎ傾向があるとかで、焼きを中断。
で、中が、ちょっとレア風だった。

上娘Mが、結婚式出席のため、東京から帰省してきていたのと、
夫がゴルフなしで、在宅(一年に一回あるかないかの珍事)

ギャラリーがいつもの2倍になった。
ケーキが減るスピードも、いつもの2倍。
わたしの太るスピードも、2分の1に減速すればいいのだけれど。

上娘Mの出発時間が迫るなか、ぎりぎりセーフでケーキが焼けた。
ばばばと、忙しなくいただき、Mを車で駅まで送って行った。


さて、Mには、結婚仲介所からの営業攻勢が、ここのところ終盤戦を迎えている。

この結婚仲介所長、兼、開設者、兼、オーナー、兼、営業の方が、根気よく説得を続ける。
こじんまりした会だが、会員の質の高さと、
コンピューター大手のようなことのない、手作りならではのきめ細やかさ、誠実さをアピールする。

「Mに聞いてみます」
「Mに、言い聞かせてみます」
「考えてみます」

いつも、わたしの煮え切らない反応で、業を煮やす所長。
その会の、今、一番の売りと思われる、おススメ男性会員の経歴と写真を何通も送ってくる。

はやく入会すれば、お見合いできますよ、ということなのだが。
一度、事務所にお越しくださいと、熱心に勧められる。

「そんなん、行ったら、入会させられるのに決まってるやん」
と、下娘R。

今回、Mが帰ってくるから、本人に聞いてみます、と返事をしていたので、
さっそく夜、電話がかかってきた。

「お嬢さん、どう、おっしゃってました?」

Mは、真面目に捉えてないコメントを数々残したが、そのままその言葉を伝えるのは抵抗があった。

「本人は高飛車なことを言って、ちゃんと向き合っていないようです」
と、おおまかに伝えた。

すると、所長さんは、
「お嬢さんは、よほどおキレイな方なんですね」と、速攻お返しパンチ。

「いえいえ、全然。ぜっっん、ぜんっ、まったく、まーーーっったく、そんなことは、ないんですよ」
と強調すると、所長は、はっはっは(ほっほっほ)と笑った。
ちょっと受けすぎじゃない?
まあ、それぐらいで、いいのだけれど。

親の気も知らないで、Mはほんとに、・・・・ぷりぷり。

「今の年齢のあいだに、選べるうちに、ぜひ、入会をお勧めします。
年齢が高くなると、本当に、選べなくなってきますから。
本当ですよ、おかあさま]

 

よくよく、重々わかっているのだが、なんだか、ひっかかる。
年齢。
若いうちに。
いまに、選べなくなる。

選んでもらうのをじっと待つ、ペットショップの売れない犬みたいになるのかな。

そういう経路で、わたしも29年前、ペットショップから飼い主に買っていただいたのだ。
最終セールにつき、ちょっと値引きをしたかも?


「いまのあの子には、ぴんと来ていないようです。
選べなくなって初めて、わかるんじゃないですか?」と、わたし。

「それじゃあ、遅すぎます。
いい条件で、高飛車に選べる今のうちにこそ、おススメしているんです」



所長のことば、わからなくもないけれど、微妙なお年頃、20代後半。
Mは、子供を産むタイムリミットのアラフォーにもなっていない。
でも、友人の結婚式は、いったい何回参加していることやら。
わたしが、友人たちの名前を聞いても覚えられないことを、Mにいつも非難される。

「おかあさん、わたしのこと、興味ないんでしょ。友だちの名前、全然、覚えられないやん」

あああ、ごめん。ごめん。
これからは、しっかりメモしときます。


「年末に帰ってくるMに、もっとじっくり話し合って、答えを出します」
とまた、苦し紛れに、所長に締め切りを延期したわたし。

今度こそ、Mに、ちゃんと勧めてみよう。

といっても、あと2週間後に、彼女が変わっているとは期待できないけれど。 

 

人気ブログランキング
ブログ村 自分らしさ 


ペットショップの犬、老いて病気になって、引き取り手がいなかったら、どうするのかな・・・
ペットショップから抜け出して、野良犬になると、保健所員に捕えられ、こわい結末が待っているのでは・・・

ペットショップの犬じゃないし、ね・・・