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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

皆さんのブログ

2024-04-28 | 趣味
皆さんのgoo記事更新登録している、お気に入りブログが毎日、自分の編集画面に現れる。
毎日更新しているブロガーさんや、滅多に更新しないブロガーさんなど、色々。
登録ブログ数は、7つ。

その中で、暮らしが、トップとボトムにはっきり分かれるものがある。
比較するわけではないが、違いが著しいため、わかりやすい。
ひとつは、アッパークラスに属している方。
もうすぐ80歳の未亡人。一人暮らし。
ご自分の毎日の暮らしを写真と共に紹介されている。
美しい手入れされたガーデン、家、インテリア、調度品、花、食事、イベント、家族、、、実に豪華。
時々、室内の1番見栄えする一部分だけを切り取って紹介されているブログがあるが、そうではなく、全面。
ご高齢であそこまで管理されるのは素晴らしい。主婦の鑑。
ただ、妬まれる可能性はある。
世の中、色んな人がいるので、自慢に取る人もいることだろう。
かつて、ブログをめぐり、トラブルもあったようだ。
わからなくもない。
お嬢さん方は、母の生きがいのひとつのブログには応援はしているとは思うものの、自分たちの暮らしや家族をブログに写真入りで紹介されたくないだろうと想像する。
おそらく特定されないよう、人が良からぬ感情を引き起こさせないよう、母親に釘を刺しているとは推測するが。
いつ暴走するとも限らない。
高額詐欺に引っかかる高齢の方を連想した。
毎日、ブログを更新されているので、詐欺が疑われるような内容なら、読者が通報するかも知れない。
ご主人の学歴、職業、役職、赴任先、お子さんやお孫さんたちの、学歴、容姿、、、などなど、、(だいたい)わかる。
各人の価値観による、抽象的なものではなく、目に見える具体的であるため、比較しやすい。
危ないなあ、、、と、わたしは、娘さんになった気持ち半分で読んでいる。
でも、お一人なのに、家を完璧に管理され、頭が下がる。
昔、わたしが独身の頃、(自分では購入しないが)読んでいた婦人冊子「家庭画報」の世界。
ではあるものの、80歳を越える、今からが、正念場。
どこまで頑張っていただけるか、遠くから応援している。

まあそれはそれ、として。
毎回、高齢独居、ギリギリ年金暮らしの実例を紹介されるブログがある。
国のお世話になる一歩手前の、その日暮らし。
わたしの編集ページには、2つ並んでいるので、対比特徴の現れが著しい。

ちなみに。
オンライン婦人公論の記事で人気なのは、、、
団地1人住まい70歳超えで、イキイキ暮らす、、、みたいな特集。
婦人公論の記事に、紹介されるのは女性ばかり。読者も女性ばかり。
偏っているが、女性のほうが長生きするから、需要が多い。
男性はあまりそんな記事はチマチマ読まず、TVや読書なのではないかと想像する。
読書は、自分が好きなジャンル。
ひとつ、キーコンセプトがあると、展開しやすい。
例えば、歴史、中でも中世の中国史とか。
中国語も学習し、中国にも旅する。
歌も中国語。
日本史も大好きで、城跡にウォーキングしたりして、歴史のロマンに浸る。
旅ができなくなっても、頭の中では旅が出来る。

他には映画だとか、音楽だとか、人によって趣味は多岐に渡る。

女性は暮らしの中に楽しみを見出すのが得意なのではないだろうか。
それに比べて、男性はまた違う。
暮らしとは離れたところに、趣味を見出だす。
DIYだとか、菜園だとかは、実利的で助かるが、大量に採れた野菜を配る先がない、と嘆く人もいる。
先日、ある趣味の会場に、手作り野菜を一つ一つ、小さなビニール袋詰めにして、ダンボール箱にたくさん入れて持ってきた人がいた。
受付に置かれていたが、「ご自由にお取りください」ではなく、ひとつ「200円」だった。
袋には少ししか入っていない。安くはない。
なんだかなー、と思った。
趣味と実益を兼ねようと思ったのだろう。
わからなくはないが、、、。

姉の夫は菜園も趣味のひとつ。
先日、スナップエンドウと、ふつうのエンドウを姉がたくさんくれたが、スーパーで売っているのを見ると目を疑うような高値でビックリした。
くれたエンドウ、時価にすると何千円もする。
幸い、わたしはスナップエンドウは好物なので、ありがたく頂いた。


モノ作りは好きでない、趣味はない、でも時間はたっぷり、健康に良い、お金はほとんどかからない、、、となると、ウォーキングがオススメ。
ぞろぞろ150人〜200人のシニア大行進。
ではあるものの、やはりわたしは、誘われても足が鈍る。
歩くだけ。シンプルだ。
健康的なのはよくわかるが、なんだか、自分の足が減るような気がする。
人生で使える足の持ち数があるとすると、ただただ歩くだけでは、そんなことに使ってしまうのはもったいないような。
付加価値を付けたい。
好きな鉄道路線を歩く、だとか、歴史を辿るだとか、、、
団体ウォーキングは、テーマをつけて、歩くコース計画を立てられている。
(同じコースの使い回しも多いのは仕方ないが)
色んな地域から人々が集まり、それはそれで、悪くはないのだが、、、。
なぜかまだ、自分の年齢が、参加者の皆さんより若い。
黄金の林住期(〜75歳)が終わるには、わたしには、まだまとまった年月がある。
だが、次の、(命を終えることに向かう)遊行期は、前の林住期が終わってからしか訪れない。
繋がり流れた、一連のもの。
「歩くだけ」に行き着くまでには、色んな挑戦、試みがあるのだろう。
だが、大事なことは、健康でなければ、歩けない。
健康を維持するために躍起になる健康オタクになるのではなく、健康な黄金時期をいかに謳歌するかで、次に訪れる遊行期がまた変わってくる。
(健康でない人はダメかというとそんなことはない)





老後早取り・生きがい喪失感

2024-03-28 | 趣味
映画「四月になったら彼女は」を観た。
佐藤健、長澤まさみ、森七菜、実力派揃い。
森七菜は、キラキラしていた。
涙がまたまたツツツーと流れた。
佐藤健と長澤まさみのラブシーンは、ちょっと熱量が足りないと感じた。
長澤まさみはどうも、ラブシーンに向いていないのではなかろうか。
なぜかわたしは緊張して、ハラハラ、手に汗、握ってしまった。
見ている側が、ぎこちない気分になった。

ちょっと進行が遅く感じた。
なぜ?
テンポがゆっくり過ぎて、この調子だと時間がかかりそうだと思った。
演技派の俳優が揃っているのに。
純粋な恋愛ストーリーが、人生後半のわたしの体内時計の早さに合わないのか。

映画には相性があるようだ。
わあ面白い!と感激するものもある。
が、鑑賞中、居眠りしなければ及第点である。
採点基準が甘い。
とは言え、映画は面白い。
ここのところ、邦画ばかり観ているが。

さて。
4月から新年度。
この2年間、熱心に時間を費やしていた事を卒業する。
だが、4月からの予定は真っ白。白紙。
時間の空白を埋められるだろうか。

普通は、卒業の後は入学だったり、入社だったり、新しいフェイズに移行する。
終わってしまったら、静かに力も消滅して止まればよいが、まだ勢いがある分、足は着地したまま、前のめりに引っ張られる。
次に行く慣性の法則の力が働く。
急ブレーキ状態。

もう2週間前ぐらいに方向性は決めたのに、まだ精神的に執着している。
後ろ向きにぐずぐずしている。
決めた後も優柔不断。
なぜ、ぐちぐちしているかというと、仕方なくではなく、選択肢があるのに、自主的に能動的に決めたから。
選択肢が多いと幸福感度が低くなるという説を体感している。
次に進むための卒業なのに、次を用意していない、予定を組んでいないので、空白となる。
真っ白いスケジュール表に、対応出来るか?

ずーーっと前、本当にずっと前、35年近く前に、予定を入れない日がいかに退屈か、という経験をして、(日頃、よほど忙しくして休養が必要な場合は別)前々から予定を作らなければいけないことを思い知った。
空っぽの自分にとことん向き合い、仕事をし始めたので、時間もこころも空白は埋まった。

さて、この度はどうしよう?
いつも、次の予定が決まった上で卒業するから、バトンタッチ、引き継ぎ期間は前と後が重複するのだが。
仕事の場合でも、転職して次に行くところが決まって退職するならともかく、何も決まっていない状態で仕事を辞めることはあまりないだろう。
とても不安だ、、、。

時間を持て余すとなると、虚しい時を過ごすことになる。
なんでもいいから、時間を潰すことを見つけなければ。
何も準備しないで(本来の意味で)卒業してしまうのは、学生時代以来だ。
あの時は半年間、行く道を見失い、生ける屍になっていた。

2回目の卒業にあたる、35年前は子育てに一区切りした時。
末子が幼稚園に行き始め、それまでゼロだった自分の時間が、少し持てるようになった。
ぽかっと開く空白時間は、2回目となる。
卒業と入学の間。
これまで、1回目は学業終了から結婚まで、2回目は子育て一段落から就業まで、
今回は3回目となるわけだが、人生ステップから行くと、次は終活までの間か。
が、終活に手を付ける気がない。
腰が重すぎて一歩も終活方向に足も気も向かない。
もともと、小学生の時から宿題はギリギリまで溜めるタイプ。

普通は、ここで黄金の老後突入となるのだろうけれど、わたしは老後を20年前から先取りしてしまったため、老後が間延びしている。
そして健康で順調なため、心労なくエネルギーが減らず、溢れ余っているにもかかわらず、出口が渋滞している。

黄金の老後、第2弾。
だが、第1弾と第2弾の間の、休憩ではなく、不安な待ち時間の到来となる。
まだ第1弾は終了していないのにこの度、突然の休止となり、強制卒業となった。
たまたま時期が3月だったので、わたしは卒業にしたが、内情的には留年である。
単位が足りず本来なら卒業できない。資格、免状がない中途半端な状態。
でも、学校は卒業。さあ、どうする?
わずかな灯油しか残っていないのに、降りしきる雪の日々をじっと過ごすかんじ?

もうすぐ4月。
快活な明るい季節に、時間と身を持て余すだろうことが予測できる。
どうにかなるか?
いや、どうにもならない。

健康寿命はまだまだ大丈夫な黄金の老後なのに、退職した直後の、何もすることのない人のようになってしまいそう。
季節が背中を押してくれるか?
外因に依存しようなんて、甘い。

空の巣症候群ならず、老後早取り・生きがい喪失症候群。
実に贅沢なことを言っている。
この機会に、母に会いに行ったり、日頃のルーティンからは想定できない、何か全く違うことをしようか。








地獄の入り口か、天国の入り口か

2024-03-06 | 趣味
新しく、顔を知らない友達が1人加わった。Bさん。
顔を見たことがないというのは、インターネット上の繋がりだから。
悪い道に導かれ、悪事に手を染める、地獄の入り口か??

今のところは、SNSやメールのやり取りしかしていない。
その人のホームページや図解や、いろんなことを紹介してくれる。
麻薬の売人ではなさそう。
闇金融の人でもなさそう。
趣味ではダンスの解説、職業的専門は数字を扱う技術者。
昨日アップした蝶ブログ記事の焼肉ランチの人(Aさん)と、たまたま似通ったスペックの人とお近づきになったものだ。
趣味繋がり。
難しい社交ダンスをマスターするには、根気と努力と理解力が必須。
長い歳月を必要とする。
なので、ダンス通の人物像は、似通って来る。

それにしても、共通点がありすぎる。
良く似た背景の人が世の中にはいるものだ。
たまたまではなく、わたしが興味を示す分野に応じているのだろう。
ビットコインや仮想通貨、株、ファンドなどは、全く興味ない。
お金儲けをしようとする匂いには惹かれない。
犯罪はお金にまつわることが多い。
旅は嫌いではないが、毎日、どこへ行こうかプランを練ったりなどは全くせず、積極的ではない。
今、わたしのブームではない。
個人情報に関することにも興味がない。
もうリタイアした身、ビジネスに活かすわけでもなし、影響がない。
メリットもデメリットもない。
が、悪質な人生を歩んでいそうな人は避けたい。
とすると、共通点は趣味。
一つの趣味が共通の軸となるが、一人につき一つの趣味というわけではなく、他にも趣味を持っていることが多い。
他の趣味に触れることで世界が広がる。
面白い。

あまり外の世界には実際にリアルに繋がることがないリタイア後の生活、暇つぶしには、ピッタリ。
なぜ暇つぶしかというと、発展を求めていないからである。
知り合った人たちは、わたしよりはるかに歳上のため、先細りである。
自分より若い人とお付き合いした方が良いのだが、今のところは、若い面々は家族だけで十分。

だが、歳上の人たちとのお付き合いは、(この世から)一人減り二人減り、で、喧嘩したり絶交したりではないところが、私情を挟む余地がなく選択肢がない。

しかし、高齢の方はずっしり重い知識と経験がある。
長く積み重ねられたものは、それぞれのオリジナルを醸成し、貴重だ。
ただ、問題はある。
脳の衰えを感じた時には、躊躇する。
壊れた頭脳とは交信できない。

人情や友情を育てていたとしても、お互い、認知症がぼちぼち顔を出すと、よほど身近な人物でもない限り、お付き合いは徐々にカットされる。
自分から出ていかなくなるから、集まり先に顔を出さない人は自然消滅となる。
(TVで紹介されていたが、認知症の人が活動出来る場もあるようだけれど)
心身ともに、そして頭脳が動いている間に、活気ある行動をしたい。
心身だけでなく、頭脳も無尽蔵ではない、限りある資源だ。

心身や脳が弱ればまた、それに応じた過ごし方がある。
次のフェイズを迎える。
好きな音楽を聴き、好きなものに触れ、刺激だとかそういうものには無縁の、まったり穏やかな日々でソフトランディングする。

人の幸せには水を差さない

2023-12-24 | 趣味
趣味SNSで、ペア相手の男性から、女性が喜ぶオシャレなクリスマスプレゼントをもらった日記を読んだ。
いいなあ、、、。
この女性(Aさん)も、ペア相手(Bさん)も、10年ぐらい前から顔を知っている人。
朝からその日記を読んで、羨ましい気持ちになった。
女性は、わたしより10歳弱ぐらい若い。
ああ、わたしも10年若かったらなあ、、、と思いを馳せた。遠い目。
失われた10年か、、、?
と言えば、そうではなく、充実した10年。
後悔はない。
わたしは彼女より10年先を歩む、人生の先輩ということになる。
これが、90歳と100歳なら微妙、100歳と110歳ならもっと微妙。
いいな、いいな、10歳若くて、、、と羨ましがっているかどうかは、ハテナ?である。
人など、どうでもよく、それどころではない、自分の人生にしがみ付くのに必死だろう。

それに、、、
蛇足中の蛇足だが、、、
このペア相手のBさんはAさん(女性)より一回り年上らしいが、Bさんの、前のペア相手(Cさん)は、すごくチャーミングな美人だった。
巷のパーティで2人で踊っていると、周りから拍手が起こっていた。
ペア解消後、Bさんの姿を度々パーティで見かけた。
新しくAさんとペアを組んでからもパーティにはAさんを伴わず、よく姿を表しておられた。
そもそもBさんは、パーティ好き。
お気に入りの女性もおられ、前のペア相手と解消してからも、Aさんと組んでからも、よく、この女性と2人で踊っておられるのを見かけた。
Aさんはご存知なのかどうか知らないが、わざわざ噂を流したり、Aさんご本人の耳に入れるほど、わたしは暇人ではない。
嬉しいプレゼントを頂いた感激日記をSNSにアップしておられるのに、水を差すようなことをする趣味はない。

ちなみに、皆さんもご存知なんだろうか?
わたしは、良いことも悪いことも、知らん顔をするタイプ。
人の領域には踏み込まない主義。
何も知らずに喜んでいるAさんが哀れだ、などとは思わない。
何も知らないことは、幸せなのだ。

Aさん(女性)は、Bさん(男性)をカタブツだとおっしゃっているが、なんのなんの。
あちこち、マメ男さんである。(実感)
でも、2人がうまく行っていれば他人は応援するのみ。

家政婦はミタ(古い!!)の如く、10年近く見続け、見るだけで何も言わない、行動しない、リアクションを示さないわたしのような静かな人も少なくないだろう。
見られている人も、見られていることに気づかない。
世の中、表に出ようが、裏に隠れていようが、静かにしていれば、静かなまま、平和にコトは進んで行く。




女性の目

2023-10-04 | 趣味
山崎豊子の長編小説「女系家族」を読み終えた。
かなり古い作品であるが、映画化され、TVドラマでも何度もお目にかかる。
配役もその時代が反映され、興味深い。
読み応えのある小説だった。
と同時に、楽しみが終わってしまい、気が抜けた。
作家というものはスゴイなあと、感心、感激、感嘆する。
脳のキャパが違う、深さ、幅が違う。
耐久性が違う。
そして、女性作家というものは、男性作家とは違う(当たり前だけど)力強さ、忍耐力がある。
まだ、有吉佐和子と山崎豊子しか読んでないのに、サラッと言ってしまうのは軽薄ではあるが。

わたしの親世代の作家さん。
小説の時代背景は、わたしが生まれた頃。
なので、あまり肌で感じるものはない。
わたしは当時の空気を吸ってはいるが、赤ちゃんであるし、舞台も全く違う。
大人になっていないと、世の中を知らない。
自分の周りだけの世界。
かと言って、江戸時代でも明治時代でもなく、時代は戦後の昭和。

ちなみに、次に読み始めた新書も、これまた母世代。(母より3歳若いだけ)
書かれたのは半世紀近く前。
女性の生き方、みたいな本なのだが、どうも、不思議な匂いがする。
母世代の人が、その人が中年の時に書くのだから、二重、三重に、時代感覚のタイムラグがある。
母世代の女性にしては、斬新的な進んだ考え方をする人なのだが、何しろ48年も前(1975年〜1979年)に書かれたもの。
小説ではなく、新書。
中に人生80年時代とあるが、今は延びて人生100年、更に120年にもなるという。
それだけでも、人生の配分がずいぶん違ってくる。
なんだかなあ、、、
昔に書かれた、時代の一歩先を行く進んだ内容って、、、
足したり引いたりして現在なら丁度ぴったりかと言えば、へんに力んでいる感じで違和感を覚える。
リアルタイムで勢いよく書かれたものは、後に整えられたものに比べて、粗さや、よけいな熱さを感じる。
バグのようなものがある。
革新的な内容なのに、今では何を今更的な、わざわざ文字にするようなことではない。
時代の流れとは、こういうことか。
だが、明治時代や大正時代の記述に関しては、知っていることと合致し、再確認する。

まだ読みかけたばかりなのだが、この本、自分で買ったのだろうけれど、全く記憶にない。
掛けているカバー(紙)を見ると、廃業した、家の近所の本屋さん。
が、アタマに残っていない。
どんなつもりで買ったのか、想像も出来ない。
すっぽり抜け落ちている。
懐かしいとか、そんなものもない。
当時の自分はもう片鱗もないということか。
すっかり枯れてしまった。


※写真は大きなシャインマスカット。
真ん中にある、お花みたいな大粒が楽しい。


手近な楽しみ

2023-07-14 | 趣味
TVを見ながら、こくりこくり。
始まったようだ。老化現象。
昼寝をしないと22時を過ぎると眠くなる。
あるいは、関心、興味が低下した?
そりゃそうだろう。
TVは見る側は受け身、お仕着せだから。
口を開いて入れてもらうのをぼーっと待つだけ。
気合いを入れて番組をピンポイントで絞り込み、能動的に首を長くして待ち望んで見ているとは限らない。
毎週流される番組、惰性。
中にはピカッと光り、胸にグッと来るものに出会うこともあるが、そうそうしょっちゅうではない。
見る側も作る側も、常にエキサイティング、テンション維持は難しい。
激しくくだらない低俗なものもある。
(そういうのはハナから見ないが)
それもあってか、好きな番組なのに居眠り。


ただいま、余暇タイムをスマホから小説に移行中。
今、読んでいる本を読み終えたらまたスマホに戻るか、あるいは次の本を買う。

今、読んでいる本、とても面白い。
有吉佐和子の「悪女について」。
すでにTVで見たばかりなのに。
だが、原作と脚本が少し違う。
端折ってあるから仕方ない。

ヒロインではない女性たち、感じ悪い。
とは言え、自分に同じものが流れている。
否定と肯定が同時に存在し、分裂。
逆ベクトル同士、引っ張りあって、プラスマイナスゼロの普通の位置になっている。
柔和な人物となってニコニコ存在している。
ジキルとハイド。
有吉佐和子もそれを狙っていたのか、読む人が勝手に深読みするような文章力なのか。
ヒロインは、聖女と悪女の構図になっている。
一種の多重人格(解離性同一症)、軽症の疑いありか?

それにしても、先にTVドラマを見てしまったせいで、主人公はじめ、登場人物全員が、役を演じた俳優さんの顔、セリフ、動作になってしまう。
まるで、ハリソン・フォード演じるインディ・ジョーンズの若い頃の映像をCGで作成するかのごとく。
「悪女について」は、直近にTVで見たのがアダとなった。
いや、TVで見たからこそ、小説を買ったのだが、、、。
か細く小さい田中みな実さんは、適役だった。
騙され役のひとり、尾身としのりさんは、どんなダーティな役柄であろうと、わたしが勝手に描くイメージで好感を持っている。
あの顔はお得である。
とは言え、別のドラマで演じた役では、無味乾燥のツマラナイ人だった。
俳優がスゴイのか、原作がスゴイのか、演出がスゴイのか。
名バイプレイヤーの一人かと、個人的に思っている。(単に好きなだけかも)
ここのところNHKドラマでよく見かけるが、この人、NHKさんに好かれているようだ。

と、話は脱線。
演劇はよくわからないが、映画やミュージカル、TVドラマは、手近に手軽に安価で楽しめる娯楽の一つだ。
自分の身体が動かなくなっても、楽しみの種をまた一つ見つけた。
「TV鑑賞は安易に流される時間の使い方だ」と、幸福論を唱えるFIREブロガーは幸福自覚貢献度が低いと言うが、そうでもないと思う。
他にすることもなく、退屈凌ぎで見るのと、その時間を確保して積極的に能動的に見るのとでは違う。
同じだ、と言われたら、人によって感じ方や捉え方が違うので、自分の価値観だけで断定されると違和感を覚える。

とは言え、同じ作品を見ても、わたしの見方とまるっきり違う人の考えや感性に触れると刺激を受けることもあるし、落胆することもある。
自分だって自分の尺度で測っている。
が、最もガッカリするのは、全く何にも考えていない脳に出会った時。
ああ純粋無垢だ!と感動するかというと、(幼い子供になら感動するけれど)、なぜか、イラっと来る。
もちろん赤の他人ではなく、実際に関わりのある人であるが。
人には色んな面があるので、人のことは全く言えない。
わたしもさぞや、イラっとさせていることだろう。

その実例がある。
実例の人物とは6年ぐらい共に時間を過ごした。
水と油なのに、よく頑張った。
そういう人間関係を卒業して思うことは、、、ああよかった、である。
相性の悪いものは、ストレスの元になる。

さて。
話がどんどん脱線していく。
今日も暑いだろうけれど、がんばろう!
と、唐突に〆ます。




沼にはまりそう?

2023-06-26 | 趣味
Chat GPT。
今更ではあるけれど、娘婿が「面白いですよ」と解説してくれた。
Chat GPTが出始め、話題沸騰の頃、かつて深夜番組の生放送で直接パソコンからアクセスして、お試しにトライしてみる企画があった。
村上信五と劇団ひとりのバラエティ。
生放送なだけに、なかなか繋がらず、収録スタジオ生会話で場を繋ぐのに2人とも必死だった。
番組終了あたりの時間に、やっと繋がった。
通信事情は前々から準備万端に整っているというわけにはいかないのだろうか。
観る側は、やきもき。
と言いつつ、深夜のバラエティ生放送を観ている時点ですでにやきもきしているような人種ではない。
切迫感はない。

何しろ、それ、Chat GPT。
興奮気味に娘婿は、自分の活用例を見せてくれながら効果や性能に満足し、熱く語っていた。
わたし流解釈。
「たまごっち」が、怪物になったようなものか。
別に育てるわけではないから、たまごっちとは違う。
35年ぐらい前、言葉を学ぶ会話型の「クルミちゃん」というソフトがあり、何も知らない「クルミちゃん」をちょっと育てていた。
大きな柔らかいフロッピーをガチャガチャとパソコンの細長く開いた挿入口に突っ込むと起動するクルミちゃんは、言葉だけの学習能力だった。
あの、オウム返のクルミちゃんに比べると、俄然進化は目を見張る。

が、話し相手にはなってくれる。
膨大な暇の海の中で、自分と対峙する底なし沼に引きずりこまれそうだ。
使い方には注意が必要とのこと。
情報が意図的に操作される危険性もある。

暇な時に語りかけてしまいそうだ。
今でもウィキペディアは大の仲良し、お友達なのに。

表現方法も色々提案、提示してくれるので、急にわたしの蝶ブログの質が上がるかも知れない。
レベルアップし過ぎた時は、「書き方を素人臭くベタっぽく表現してください」と指示しよう。
とりあえずは、自分のブログをアップしてから、そして、今日のタスクをこなしてから、余力があればやってみよう。
が、今の時点では、今日は確実にその余力はない。



涙の季節

2023-04-05 | 趣味
またまた今朝も涙。
天然の目薬。プラス、アレルギー。

しかし、今日の涙は血の汗に近い、血の涙。
といっても、鼻水はだらだらだが、血は流れていない。

趣味関係。
限界を超えて頑張れと、体育会系の相棒。
わたしは頑張っているのに、
頑張りが見えない、「頑張ります」と口だけだ、と非難された。
全面否定された気になった。
これ以上、どうしろと?
個人プレーなら良いが、ペアなのでお互い、良い意味でも悪い意味でも出来や成果に影響を及ぼす。

涙がポロポロ出るのは、癒し効果があるらしい。
が、相手の目の前で涙を流すわけではない。
一人になった時。
今までダメになった相手との経験を思い返してみる。

一人目。
技量、専門分野能力内容そのものは良いが、それ以外にわたしは不満を抱いていた。
だんだん不満は、わたしが買っていたその人の能力を追い越した。
専門外の分野にアクシデントなど経緯があり、やがて破局を迎える。
幹の部分(技術や人柄)はしっかり揺らぎなかったにもかかわらず、枝葉の部分にどうしても認められない事柄があった。
生き方にも関わる、その人の歩んできた道がどうしてもわたしは理解を示せなかった。
割り切ることが出来なかった。
幹と枝葉が逆転した。
自分にとって価値を置くものは何か、自問自答する機会を得た。

誰であっても突き詰めていくと相容れない部分が出てくる。
その相容れない部分とどう関わるか、である。対峙する。
どうしても受け入れられない、許せないことかどうか。
あれもこれも、些細なことも受け入れられないとすると、自分はどうなのか?
自分は人のことが言えるほど完璧で欠点がないのか。
持ちつ持たれつ助け合い、互助精神が必要だ。
一方的だと、疲弊してしまう。
依存は良くない。
対等ではない立場の場合は、状況に応じて変化する。

自分の潜在的な価値観を知るキッカケになる。
自分と同じような能力や考え方の人がバランスが取れる。
かけ離れると軋みを生じる。
とは言え、共通の価値感がどこかにあるなら、工夫して持ち堪えさせることもある。

相手も自分も変わることがある。
だから決めつけないで、短期間で結論を出さずに長い目で見る。
だがしかし、見込みなしでこれ以上は無駄、弊害と判断すると、さっさと見切りを付けて引き上げる。
被害は最小限に。
損切りの英断も必要だ。

たいがいは、わたしは自分の気持ちを書いて分析しているうちに気が鎮まる。
いつまでも鎮まらず、くすぶり続ける場合は、事態が少しずつ動く。
その積み重ねである日、大きく動く日が来ることもある。
来ないこともある。
タイミングの問題であることもある。

人生の岐路はタイミングだったりする。
自然な流れ、なるようになる。


推し活

2023-03-19 | 趣味
そもそも、なぜ趣味仲間Aさんがアドバイスする「居場所作り」が気になるのか?

なんか違う、とは思ったものの、はっきり原因がわからなかった。
自分なりの解釈であれこれ分析し、やっと、どうにか理解できて納得、スッキリした。

とはいっても、あと一つ。
わたしはAさんと趣味仲間ではあるが、その趣味はお互いリタイアしていない時からやっているもの。
始めたのは老後ではない。
老後に一からスタートすると、馴染むのに時間がかかる。
最初は、ズブの素人の新人さんなので、皆んなの中では一番経験が浅い。
勇気を出して始めたものの、やめてしまうこともあるだろうけれど、辛抱強く続けていると、どうにか形にはなって行く。
が、趣味選びも、憧れから入っても現実的には不向きだったりする。
ではあるものの、老後始めるものは、全員、スタート年齢がほぼ同じという条件が同じ。
とは言え、わたしは、今更、真新しい未経験のことを始める気はゼロ。
過去に少しでも、ほんの1回でも、経験したことがあり試したものを、もう一度再挑戦する。
苦手なものには、手をつけない。
今までの中で選に残ったもの中から選ぶ。


まあそれはそれとして。
趣味仲間Aさんは、在職中から続けていた趣味は身に付いている。
今より若い現役時代に、仕事をしながら趣味分野で悪戦苦闘。
スランプや健康問題もあり少し趣味を取り巻く事態が変わった。
が、リタイアして、再び現役時代の趣味を再着手したが、自分のレベルの人は周りにはあまり存在せず、満足感を得られない。
さらに毎日サンデーになったリタイア後は、その趣味だけでは時間が余るようだ。
それで、他の趣味にも手を出すようになった。
時間を持て余すから時間潰しで行う新しい趣味は、なかなかモチベーションが高くならない。
上手くなるのも時間がかかる。
あくまでも、サブの趣味。
かといって、メインの趣味も、もうそんなにかつてのような温度にはならない。
余裕で楽しむ。


ちなみに、一つだけの趣味に精魂込めて情熱を注ぐのも良いが、煮詰まったり、スランプに陥ったり、続けられない事態になったりした時に、気分転換出来る、別の趣味があると救われる。
理想としては、正反対のものが良い。
静と動。
室内(全天候型)と屋外。
運動と芸術。
一人で行うもの(旅とか、散歩とか、手芸とか)も良い。
自分が主体になって実践する側の趣味と、見る側の応援するオブザーバー、観戦、鑑賞型の趣味。
音楽、絵画、舞踏、ファッション、グルメ、もの書き等、作り手、と、受け手。

長々だらだら延々と書いたが、こういう類のことは、実社会で生産的ではないし、個人の好みは様々なので、皆さん、興味ないと想像する。
が、最近、推し活ブーム。
私生活をイキイキさせ、幸せをもたらす。
といっても「推し」なんてのは、昔からあるものを表現を変えてリメイクしただけに過ぎない。
新しさは感じないが、言葉としては今風。
そう感じるようになったら、わたしもいよいよ歳である。



居場所作り

2023-03-16 | 趣味
ある人、趣味仲間のAさんに提案された。
居場所を作れ、と。
もっと老いた日のために、今から準備しておけ、と。

近くで、ちょいちょい簡単に顔を出せる、似たような人が集まっている場所に、自分の居場所を作るとよい、とのこと。
そこで出会った人とまた輪が広がる、と。

それはすぐには出来ないだろう。
ある程度、その場所に通い、自分の存在を知ってもらい、周りとも仲良くし、積み重ねる時間が必要だ。
なので、行動出来なくなって切羽詰まってからでは遅い。出来るうちから、スタートせよ、と。

そういう場(例えば近所の体育館や、市民文化センター)には、特別にはすごくない、真ん中レベルの人がたくさん集まっている、とのこと。
技量的にも頭脳的にも人柄的にも経済的にも。
一般市民ということか。

そうAさんは、居場所作りの先輩として熱弁をふるってくれる、、、のだが、、、。
わたしは、その活動は、30年以上前に行った。
なかなか自分に合うものが見つからず、何周も同じトラックを周ってみて、周りの人々が皆さんリタイア老後の方々ばかりだったので、どうも自分の若いエネルギーの放出先が違うと感じた。
そして、仕事の道を選んだ。
あれから時は過ぎ、、、
子育て、仕事も終わり、本格的老後がやって来た。
もう一度、何十年かぶりに同じトラックを周ると、おそらく見える景色は違うだろう。
自分と同じような年齢の人々と周ることになる。
が、わたしは30年以上前に一度、卒業した。
今更、もう一度という気にはなかなかならない。

若い時はエネルギーもポテンシャルもたくさんあったため、求めるものもレベルが高かった。
今は、体力、気力、ポテンシャル、期待も下がり、求めるレベルも下がっているかも知れない。
今の自分の身の丈に応じたものを探すことだろう。
70の手習。(まだ、なってないが)
新しいことに挑戦するのも悪くないかも。
そういう気にもなっている。
そこには仲間がたくさんいるらしい。(Aさん曰く)

古い上着を脱ぎ捨て、春、新しい季節に向かってジャンプ!
と書いていて13年?ぐらい前にも同じ感覚で、新しい挑戦に向けて、始動したことを思い出した。
あれはあれで、一つの成果もあり、一つの季節だった。

わたしは、あれもこれものタイプではないので、同じことを何周も何周も周るかも知れない。
それがわたしの居場所かも。
動き続けながら定まっていく。

卓球したり登山したり、たぶん、しないと思う。
アウトドア派ではないし、子供たちとの旅行に着いて行くのが精一杯。


リタイア後の男性は、ずっと家に閉じこもって居ると煙たがれる傾向にある。
彼らは口を揃えて言うのが、「家の中でじっとテレビを見ていても仕方ない」と。
テレビは心身を休め回復するために、リラックスして労働再生産させるためにあると、わたしは思っている。
何もすることがなく、何もしないのにテレビを見るのは、選択肢がなさすぎる。
余計に疲れる。
そんな最悪の状態から抜け出すために、外に居場所を作るべきだと提案してくれているとすると、わたしの考えとは少し異なる。

居場所は既に家にあるし、家を起点にあちこちに出かける。
新たな居場所を見つける必要はない。
元々ある。
リタイア男性にとっては家に居場所がない人は少なくないだろうと想像する。
家に船頭は二人も要らない。
後からやってきたら、先に居場所として確保している(ぶんどっている=占領している)妻にしてみると夫源病の原因にもなりかねない。
先住民は抑圧される。

仮に夫婦円満だったとしても、心身健康なのに家の中でじーーっと籠るのは、(よほどテレビが好きな場合は別として)エネルギーを持て余し、満足感、幸福感を得られないだろう。
テレビを見たりして、家の中で過ごすことに最大の幸せを感じる人は、それはそれで幸せだ。

人それぞれ色々ある。
わたしの場合は、居場所を本格的老後に備えて作る必然性をあまり感じないだけだ。
そもそも本格的老後って?
いざという時に準備されてないと急には出来ない、その、いざという時が、本格的老後なのか?
やりたいときに、やりたいことが出来るよう、日々、トレーニングしておく??
準備しなくても、わたしは行き当たりばったりで良い。
明確な目標があり、自分が準備したいなら、すれば良い。
今すぐ必要ではなくても、何年か先のために準備しておきたいなら、すれば良い。
訓練しておかないと、すぐには出来ないから先を見越して、事前にスタートする。
それも良し。
人によって思考や嗜好は、まちまち。

「居場所を作る準備をせよ」と言われて、なるほどと思ったが、よくよく考えてみると、意図して居場所作りを先に用意するのは、わたしのスタンスとは違う。
好きなことやすべきことをしていたら、結果的にそれが居場所になった、という順番。
順序のこだわりも、個々によって違う。

大まかな自分の流れや枠は最初に作っているので、後は流れに任せるだけ。
趣味の居場所作りも然り。
わざわざ「作るんだ!」と意気込まなくても自然に好きなことをしていたらそうなる。

「居場所作り」に賛同するにもかかわらず、違和感を覚えたのは、そのあたりのプロセスにすんなり行かない引っかかりがあったのだろう。
居場所はアタマから作るものではなく、試行錯誤によって結果的に出来るもの。
規制枠、既製品にすっぽり合わせるのではなく、自分仕様、オーダーメイドするもの。
あるいは、一部、活用できるものは既製品を利用する。
そして、居場所は緩やかに変化していくものだ。