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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

自分の感性は正しい、だから人も同じだと思うのはわかる、が。

2018-03-30 | 趣味


例の逆襲マダム。
ひとんちの家に勝手に入ってきて、インテリアが気に入らん、と、玄関先に伝言メモを置いていかれたような気分。
なんだかな〜、の凹み気分が、うっすら続く。
なんで、わざわざ、呼びもしないのに、厚かましくも入り込んで来るのか。
自分のクシャミを抑えきれず、こちらに向かって大クシャミ。
わたしは気分を害しているだけでなく、新たに書く創作意欲まで、削がれた。

自分の日記なりページに反論を書けばよいものをあちらの自宅は、もぬけのカラ。
出歩いてばかりいて、自宅をおろそかにしている状況が手に取るようにわかる。

そういう性質の人はスルーすればよく、お互いに価値観が違うのだから、非接触が平和への道。
しかし、アクセス禁止などの強硬措置を取ると、角が立つどころか、何をされるかはわからないので、ひたすら、気持ちを切って普通に接する。

だいたい、世の中の人々!
(ここからは、わたしの愚痴です)
人の書く表現にケチをつけすぎ。
さらっとスルー出来ないのか?
こちらは、確信犯でワザと故意に意図して(色々な言葉で表現、説明した)
使った表現(ほぼ造語)に対して、「そんな言い方は聞いたことがありません」と否定してくる。
当たり前だ。
オリジナリティを出そうとして、造ってるのだから。
ダメージ加工のデニムに対して「あなた、服、ほころびてますよ、破れてますよ。色も、ムラになってるし」と注意しているようなもの。
襟を立ててジャケットを着ている人に、「あなた、襟、立ってますよ」とご親切アドバイス。

そう言えば、前にダンス会場で、フリルの下は肩の開いたダンスウエアをわたしは着ていた。(肩はフリルが被さって見えない)
部分的に肩を出したくて、フリルを工夫していたら、そこで、会場に参加していた、ご親切な方に、「あなた、フリルが入り込んでいるわよ」と、わざわざ肩紐に巻きつけていたフリルを全て元に戻してくださった。
肩は完全に見えなくなった。
「あ、ありがとうございます、、、」
と、お礼を言った、わたし。

まあ、いいんですけどね。
世の中、自分の小さな小さなこだわりなんか、厚かましい、正義感あふれるブルトーザーに整地されるので。

世の中の人になんか、わかってもらおうなんて思っていないので。


マダムの逆襲

2018-03-26 | 趣味
わたしの考えを別SNSの自分の日記にアップすると、さっそく、マダムから怒りの鉄拳が飛んできた。
極力わからないように、目立たないように、婉曲な表現に抑えていたのに、一箇所だけ言いたいことを隙間に埋め込んで、チョロっと書いていたら、そこだけを抜粋、コピペして、猛反撃してきた。
マダム、結構、観察力、集中力、読み込み力がある。
自分のプライドがかかっていることに対しては敏感になり、針のようにピリピリと神経を尖らせている。
もっと建設的なことに、その能力や情熱を活かせば、鼻持ちならぬ自称セレブから脱皮し、数ランク上の人格になれるだろうに。

彼女のコメントは、以下のような内容だった。(要約しています)

都会と田舎では違うんですね!
(たぶん、セレブと貧乏人とは違うんですね、と言いたかったのだろう)
お互い、別々のところで活動していると相互理解は無理ですね。
理解する気も、してもらう気もありませんけどね!

みたいなトゲと爆弾とカミソリの刃を詰め込んだようなコメントだった。
怒り爆発のよう。
なんで、あんなに怒るのか、意味不明。
キレるセレブ。
怒りのマダム。

別の人、数人が対岸から援護射撃を打ってきて、わたしは、ヨタついた。
もう自分の思いをアップするのをやめようかと思った。
が、よろっとなったものの、また起き上がった。中古ロボコップ蝶。
いろんな意見、感想、感性があるのは当たり前。
変わったことや、禁句やタブーを表に出すと叩かれる。
だから、「◯ちゃんねる」のようなヘイトスピーチ的な書き込がまかり通るような、荒んだSNSもあるのだ。
一種のストレスの吐き捨て場所。
わざわざ表に出して、叩かれるのがわかりきっているのなら、黙っているほうが省エネだ。

マダムは自分のサロン世界からだけ見て、発言される。
世の中には色々あるのに、「わたしの周りでは、こうです!! そんな、あなたの言うような人や事態は一切ありません!!」と断言する。
マダムの個人的半径3キロの話を全世界共通のごとく、押し付ける。

こりゃあかんわ、この人は。
と思った瞬間、わたしは降りた。
そして、別の人が、冷静に論じてくれて、納得した。

人には触れられたくない、侵されたくない部分があるので、それに侵食しないようにしなければいけない。
しかし、わたしが土足で踏み込んだのではなく、相手が勝手に土足で人の家にズカズカ上がり込んできて、今度は日本刀まで持ち、振り回す。

あなた、セレブマダムなんでしょ。
もっと冷静にね、お願いしますよ。
それにね、わたしはあなたを最初からお招きしていませんし、うちは、サロンではないので、あなたは、あなたのサロンで取り巻きやお仲間と戯れてくださいよ。
勝手に入って来るなんて、礼儀や品性を疑われますわよ。

と、言いたい。
まあ、婉曲に言っているようなものだが、最初からそのマダムをわたしはあまり好きではなかった。
いちいち相手をするのも苦手、極まりなかったが、まあ来るもの拒まずの精神で、余裕で頑張っていた。
調子が良い時もあったが、やはり根本的に水と油だと思う。

もともと、わたしは、マダムやサロン、セレブニオイぷんぷんが、嫌いなので。
おそらく親の影響だろう。

田舎者という劣等感が根底にあるのだが、明治維新以後、政府の中枢は薩摩やどこやら、田舎モンが成り上がって真ん中にしゃしゃり出て来ているわけで。
芦屋なんぞ、江戸時代はどんな地だったのか?
六麓荘にしても、住人の栄枯は著しい。
今、セレブでも、過去は?未来は?
なんの保証はない。
何を勘違いしているのかセレブ気取りしている人には、わたしのお眼鏡にかなう本当のセレブはいない。
全面にニオイをぷんぷんさせるものは、わたしは嫌いなのである。
わたしの偏見であり、普遍性はなく、全くの個人的嗜好であるが。
なので、別の違った嗜好をあれこれ論じ合うのは不毛。
「あ、そうですか、よかったね、わたしはそう思いませんけどね」と、論議の余地はない。

というわけで、お招きもしていない、厚かましいマダムが、勝手にやって来て、勝手に火を吹いて帰って行った。


マダムの驕り

2018-03-23 | 趣味
せっかく閲覧数が順調な数を保っているのに、多くの人に受け入れられそうな無難なものではない、自分が書きたいことがムクムク出てきた。
守りとは逆のテイストの、ムクムクの思い。
もともと自分のためのブログなので、せっかく高めをキープしていた閲覧数が下がっても、まあよい。しかたない。
あっさり。


別SNSで、サロンやダンスパブでプロをチャーターして、踊る人がいる。
周りはみんなそうだ、という。
プロをチャーターする人もいる。
女性がそうやってプロに流れて行くから、下手な男性は、踊る相手の女性がいない。
プロと踊ると(プロに踊らせてもらうと)目が肥える。上質をお金で買って知ると、後戻りできないようだ。
男性向けにもプロを用意したらよいが、今のところプロ女性リボンちゃん(ダンスアテンダント)は、圧倒的に少ない。

社交ダンスは、男性はリード役で、女性はフォロー役となっている。
下手な女性の相手をするより、下手な男性の相手をするのは至難の技である。
しかも男性は大きくて力が強い。
リードする人が下手で間違ったリードをするにもかかわらず、女性ダンスアテンダントは、ちゃんとしたダンスを望まれる。

まあ、それはよいとして、、、
サロンやチャーターにお金がかかる女性。
趣味にはお金がかかりますのよ、オーホッホッホ、と、札束でプロの頬をピシパシ。
それがあたかも、セレブでお金持ちの特権であるかのような驕りを感じる。
そういうことをしても何も感じていない札束女性は、頭がすでに半分天国へ行っている。

しみったれた、下手な素人男性に、しかも偉そうに言われて合わせて踊るぐらいなら、プロと踊る。
それはわからなくはない。
素人に相手にされなくて、お金でプロを買っているのに、「お金持ちマダムは、素人なんか相手にしないのよ、オーホッホッホ」
なんか違うんじゃない?

もし目立つようなら、こっそりすればよいのに、こちらは聞きもしないのに、サロンだ、チャーターだと自慢する。
彼女たちは決して上手くはない。
そこのところを自覚しないで、素人に選んでもらえず、やむなくお金で踊ってもらっている側面は、まるでそんな事実は存在しないかのごとく。
ホストクラブよりお安いわ、と豪語する。

イマイチ女性でもお金を出せば一流のプロに踊ってもらえるし、レッスンも受けられる。
一流のプロと踊る段階で、女性も自動的に一流の仲間入りのつもりのようだ。
まあなんと、ハッピーマインド。
私はお金持ちだから、そういうことが出来る、一流と踊れる、と上から目線。
明らかに頭の構造がわたしとは違うので、話し合っても、説明しても、分かり合えないのは見え見えなので、近寄らない。

なのに、向こうからセレブマダムがいつも寄って来る。わざわざ自慢をしに来る。
やめてんか。
自慢なんぞ聞きたくない。
しかし、趣味にはお金がかかるのよ、お金がないなら無理をしないでね、と言われて、わたしはキレた。

分かってない人と話してもラチがあかないので、自分の考えを別SNSで公表した。
たぶん、自分のことではない、お金持ちなのだけど、気の毒な下手な女性のことだと思っていることだろう。

別のルートから、そのマダムの踊り能力をご丁寧にも、わたしに知らせてくる、ヒマ人がいる。
その人もかねてから、サロンマダムの振る舞いに批判的な感情を抱いていた。


お金の力を誇示するのは、自分に能力がないことを強調していることと同じだと思う。
一種の劣等感の裏返しなのだろう。
最初から一線を引いているので、どうってことはなかったが、最近、なんだか鼻について来た。
わたしは、来る者拒まず去る者追わず、がモットー。
そのマダムもわたしの考えに腹が立てば、もう寄り付かないだろう。
それでよい。

お金を武器に、実力がない分、かさ上げしているんだから、人目につかないよう、そっとすればよいものを、自慢げに言いふらしまわるのは、賢いとは思えない。
自分の能力の無さをアピールしているようなもの。
なぜ、それがその人がプラスに捉えられるのか、わからない。
お金が無い人は、残念ね、お気の毒ね、こんないい思いが出来なくて、と思っているようだが、こちらの見方は違う。
考え方に大きな開きがある。

自分の状況を、客観的に見れないのはなぜなんだろう?
非常に不思議である。
価値観がごそっと違うと、相手を理解できない。

他人によく思われたい

2018-03-14 | 趣味
最近、良い子ぶりっこの傾向がある、わたし。
行きつけのSNSでも、コメントには、まるまる思っていること全てを書かなくなった。
書いていることは本当なのだが、言いたいことは別に隠されていることがある。
わざわざ書かない。
リード導入部で終わっていたりする。

コメントにかこつけて、自分の憂さ晴らしだったり、裏自慢だったり、怨み節だったり、妬みだったりを吐き出したいのだが、あえて書かない。
ほう、それは素晴らしいですね、実はわたしも、、、、と、延々、自慢話を書き連ねる人もいる。
優れた者同士なら、分かり合えると錯覚するのだろうけれど。
なんか、臭うし、読む人は優れた人ばかりでもないだろうし。
自慢したくて、ウズウズしているのは、わかるが。
他人の抱く優越感に対して、劣等感がある人は敏感に嗅ぎつける。

なので、吐き出してスッキリする自己満足よりも、行きつけSNSでのわたしの保身、品位を保つほうが勝っている。
自分の評価を気にするというわけだ。
SNSは、社会の縮図だと感じる。

で、上澄みの美しい上側だけを行きつけSNSで出し、下に沈んだ醜い部分を自分のブログでさらけ出し、バランスを取っている。
蝶ブログは、生ゴミ処理ブログなのか?
生々しい汚らしいものを吐き出す。
といっても、吐き出したものの、非公開にしているものも結構ある。
やはり、いくら匿名性を享受しているからと言って、自分の暗闇を公にしたところで、余計に救われない。

時の人。大臣にも「辞める美学」があるようだ。
(が、しがみつく大臣もいる)
わたしの自分だけの美学は、全てをさらさない、全てを出し切らない、見かけより、中味が多い、濃い路線。
少し手前で止める。ピーク絶頂期よりは、絶頂期手前にやめる。
絶頂期で止めるのがベストだが、誰しも、どこがピークだなんて、わからない。
わかれば苦労はない。
惜しまれてやめる、この世を去るのが理想だが、そんなに上手くいかないのが世の常だ。

わたしの美学は、控えめ、やり過ぎないことである。

お年寄り係

2018-03-13 | 趣味
ある男性。
いつもダンスパーティで、ガミガミ、70歳超女性に教え魔をしている。
だんだん、ヒートアップしてきて、頭のてっぺんから甲高い声を出して、怒っている。
わたしの嫌いなタイプ。というか、好きな人はいないと思われる。
性格がむちゃくちゃ悪そうだ。

その男性と今日は何曲も踊った。
行って初っ端、準備運動直後に不意に誘われ、「疲れています」「休憩しています」「足が痛くなってきました」とも言えないシチュエーション。
なかなか離してもらえず、難儀した。
自己チュー的な踊りだったら、どうしよう、と想像していた。
が、意外にも、ちゃんとしていた。
あの、イビリ教え魔癖さえやめたら、ちょっとはマシなんだろうけれど。

あれだけ性格が悪いことを隠しもせず、堂々と露呈させている人物から、やたら丁寧で敬うかのような思い遣りある態度を見せられると、戸惑う。
感情に落差があるのか?
ジキルとハイドか?
接する人によって裏表があるのか?
裏を想像すると恐ろしい。

で、途中でこちらからお断りした。
あの人と踊る人は、よほど何も知らない新人ぐらいだろう。
わたしは、何年も前から知っていたが、踊った。
他にもお化け屋敷の住人のように、あばら家から出てきたような、目がどんより灰色の気持ち悪いお年寄りや、やたら明るい、色白のご老人など、わたしは、デーサービスのイベント係か?

まあ、お金をもらってやっていたら、もっと真面目にやれ、だの、上手にやれ、だの文句を言われるかも知れないが、無料ボランティアなので、善意の上に立っている。
見返りは求めない代わりに、こちらの品質や精度は求められない。
いいかげんなお遊びとしては、ちょうどよい。
だが、お相手をしている間、他の人と踊るチャンスを奪われる。
それに、よほど踊る人がいないと見なされ、マイナスPRになる。
「わたしばっかりですやん。他の人とも踊ってくださいよ」と言うと「どうせ、誰とも踊ってないやんか」と、痛いところを突かれる。

ワンコイン、プラスα枚の100円玉を握ってパーティ会場に来れば、音楽、お茶、お菓子が出て、踊り放題。
どこも行くところのないお年寄りには、格好の、きょういく、きょうようだ。

舞踏会にガラスの靴を履いていくのを忘れた

2018-03-07 | 趣味
今日は嬉しくて嬉しくて、書かずにいられないので書き散らす。
読まれる方は落胆されると思うが。
しかも、すごく些細なこと。
こんな些細なことを喜ぶなんて、わたし、箸が転んでも可笑しいお年頃。

何が嬉しくて興奮しているかというと「パーティで知らない人と踊り、後で知ったが、その人はスゴイ人だった」という、文字にして書くと一行。
お城で催される舞踏会に村娘が参加し、身分を隠した王子様と踊った、というストーリーのようなもの。
後から、外野(SNS)が、「あの人は◯◯なのよ、王子様なのよ」と教えてくれた。

残念なことに、ガラスの靴を履いて行かなかった。
履いて行ったボロ靴を落として来なかった。
王子様に、アピールゼロ。手がかりゼロ。

まあ、村娘は、一夜限りの夢を見たので、それでよい。
王子様は、自分に声を掛けてくれた。
私からの申し出で、途中で二度、中断したのに、気を悪くされず、三度もお誘いしてくれた。
もうそれだけで、いい。

参加者を喜ばせるために、お城(主催者)が手配した、王子様役のダミーかも知れないが、粋な計らいで、いいんじゃない?

王子様と踊った!
目立たない地味な村娘の、私と!

まあ、それだけなんだけど。
とても嬉しかったのだ。
わたしの鼻歌は、「あの人は王子様だよ」とSNS仲間が知らせてくれた昨日の朝から続いている。

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天然を装う嫌味な人物

2018-02-22 | 趣味
わたしは、一旦嫌いになったら、笑顔まで嫌い。
頭の先から指先の動きまで、全て嫌いになる。
嫌い加速度が、やたら速い。
思い込みや勘違いもあるだろうが、修正するには、今までの地の底に着いたマイナス点を撤回、逆転するような、過大なプラス面を発見しなければならない。

例えばSNS日記。
「こんなことがありましたー」という、どうってことない普通の日記なのに、裏の裏を読み、腹の底にあるヘドロ暗部を勝手に嗅ぎ取ってしまう。
さりげなく無邪気を装って、わざと、わざとらしくないように振舞って、実は自慢している、そのねじれた裏自慢を感じると、ああ、また吐き気。
いくら覆いをかけても、性根がむき出て生々しく迫ってきて、私は気分が悪くなり、脳かハートのどこかが傷み、ひどく疲労する。
精神衛生上、見たくない、触れたくない、感知したくない、認識したくない。

本人は無意識なら、それを天然というなら、不快な傷みは深部に達する。
それを回避する自己防衛のため、私の意識から抹消する。
そんな人物はこの世に存在しないものと認定し、自分に無を刷り込む。
何もないんだ。見なかった。無かった。
波風が立たない、無関心の具象BOXにすっぽり収まる。
すると、粘りや湿度を伴わない、無感情でさらっとした対応が出来る。
あるのは無機質な外側だけで、中身はない。

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覆面日記

2018-02-20 | 趣味
最近、わたしは気を良くしている。
別SNSのわたしの日記が満足いく閲覧数だからだ。
蝶ブログは、これはこれで満足している。
一方通行の、長年に渡る書きなぐり、書きたい放題にご協力いただき、ありがとうございます、の気持ち。

あちらSNSは、リアル人が多い。
実際とは違う、日記だけ虚偽のことを書いてもすぐバレる。
わたしの場合、リアル実体が分からない、人物特定できないにもかかわらず、なぜか、同じ趣味の皆さんが、読みに来てくれる。
実際に顔を知られて、あちこちのリアル現場にうろうろしていると、あまり敵を作るようなホンネは書けない。
だからかどうか知らないが、皆さん、当たり障りのないことか、良いこと、知ってほしいことしか書かない傾向にある。
表の顔のみ。着飾って。
わたしは、表面の体裁や、お飾り包装紙は割愛して、中身のみ、ズバリ、ストレートに書くのだが、リアルを公表していないので、そんなことが出来る。
嫌になったり、トラブったりすると、いつでも消えることが出来るので、肩の荷が軽い。
リアルを公表している人は、SNS上では消えることが出来ても、夜逃げでもしない限り、リアルな自分を消せない。
匿名性を享受していると、それではあまり皆さんに信用されない。

しかし、わたしのスタンスとしては、書いたことには責任を持つ。
虚偽や虚栄の内容は書かない。
書いている人が、実際はどの人か、わからない、というだけ。
わたしを捜そうという動きも一瞬あったが、一瞬で終わった。
それほど、わたしが誰であるか、皆さんは興味を持っていない、重要でないと感じる。
日記という発表の場で交差する人々なので、実際に会いたい人はオフ会に参加して顔を見るとよい。
わたしは、オフ会には出ないし、名乗り出る気はさらさらない。
もし、人物を特定されそうになれば脱会して、姿を消す。
わたしは、自分をアピールしたい気持ちは皆無。
目立つことは大嫌い。
ひっそりが、気楽で居心地が良い。

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トラウマ、トラウマと、うるさい

2018-01-21 | 趣味
「しつこい」ついでに、またもや。
自分のブログ、アクセス数を増やすのも、減らすのも自分。
いいのだ。減っても。

抑えきれない、嫌な思い。
消えない、押し殺せない。
アクセス数を減らしてまで、吐露、発散させたくなる強烈な、なにか。

トラウマ氏と、わたし。
両者が引き合わないのに、時間を共にする無意味さ。
わたしにとって、仕事でもない、損得勘定の打算でもない、もちろん、好意でもない。
相手がわたしに好意を抱いているわけでもない、尊敬しているわけでもない、内面に興味を抱いているわけでもない。

しかも、相手は、わたしが積極的に賛同していると思っている。
わたしは無理して合わせている、接待しているのに。
そんな馬鹿馬鹿しい時間をよくもまあ5ヶ月も過ごしたものだ。
我慢するまでの日時(試合日程)が決まっていたから、それまで頑張ろうと思った。
頑張って得たものは、、、

癒しがたい強いトラウマと、試合で得た自分への評価。

トラウマは、ブログでも何度も見苦しく吐いて、日にち薬となり、いずれは弱まるだろう。
自分自身へのダンスの評価は、良い経験となった。客観視できた。
わたしは意外に、ある程度は行けるのだ。
自己評価が低すぎて卑屈になっていたが。

相手の苦手科目は、わたしの好きな科目。
相手の得意科目は、わたしの嫌いな科目。
(苦手な科目が不得意で、好きな科目が得意とは限らないが)
二人は、真逆だった。
ここで面白いのは、わたしが好きな科目は全て良い成績が出て、相手が得意な科目は全て良くなかった。
あんなに練習をたくさんした、相手が得意な科目が評価はダメで、かたや練習をほとんどしなかった相手が不得意な科目がgood 、ものの見事に反対の結果。
わたしが溜飲を下げたのは言うまでもない。
ざまあみろ、の気持ち。

特にトラウマ氏の一番の自信科目が最低の成績だったのには、笑った。
すごく楽しい気分だった。
張り出された結果を見て、「そんなはずはない」と信じられないトラウマ氏。

よく考えると、わたしで持っていたのではなかろうか。
なので、かどうか知らないが、トラウマ氏は続投を希望していた。
だれが続投なんかするものか。
ぜったい、いやだ。

そうか。
トラウマに悩まされた時は、試合の結果を思い出せばいいのだ。
なんでこんなことに気がつかなかったのだろう。
(ひとつには、トラウマ氏が苦手意識のある科目は、練習しないぶっつけ本番なので、へんな欲が入らず、力みすぎる見苦しさがなかったからかも知れない。
つまり、トラウマ氏の苦手意識が生み出す、無欲の成果かも?と、わたしは捉えていたからだ。わたしの成果とは捉えきれない、と考えていた。
が、逆に考えると、トラウマ氏が諦め手を抜いていた苦手科目では、わたしは、もともと好きな科目でもあり、思いっきり伸び伸び踊れて良い結果が出たとも考えられる)

ブログを書いて気持ちを紛らわせようとして、ブログの神様からプレゼントをもらったような気がした。
神様も、トラウマ、トラウマ、と、いい加減、うるさいから、黙らせようという意図かも。

半分、すっきりした。

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ゴシップネタを提供するサービス精神、なし

2018-01-05 | 趣味
朝から母から何度も何度も電話。
同じ内容。
いいかげん、うんざりするが、電話対応だけで親孝行できるなら、お易い御用。
こんなやり方なら、世の中を賑わせている「振り込め詐欺」の電話役も、カンタン楽々な役目だと想像する。

話は変わり、さて、
またまた引きずるネタを引きずる事態になった。
昨夜ミッドナイト、ある人Cさんからメールが届いた。
トラウマ氏を含む、複数の人が絡んでしまった。
ある人物Bさんがデマをでっち上げて、自分の思う方向にコマを進めたいようだ。
最初はトラウマ氏がBさんからメールをもらい、そのメールを受けて、トラウマ氏がわたしに、なんたらかんたらメールしてきた。
昨夜メールのCさんは、Bさんと逆の内容を伝えてきた。
わたしは、トラウマ氏に、Bさんの言っていることを頭から信じないように、Cさんの言っている内容を伝えた。

さて、我々(トラウマ氏と、わたし)は、いったい誰を信じればよいのか。Bさんか、はたまたCさんか。
真相は藪の中。

ひとつ言えることは、だれかが情報を捏造し伝えたということ。
故意になのか、他意はない偶然なのか。
真相を究明したところで、始まらない。
わたしが、今回の登場人物全員が在籍している別SNSの日記にまた書くと、他の会員も参戦し、コメントが行ったり来たりで、ますます複雑化する。
なので動かず静観する。
事実はひとつしかない。
なんでもいい。

皆さん、よほど退屈しておれるようだ。
格好の暇ネタ、ゴシップを提供して皆さんの好奇心を満たせてあげるほど、私は親切ではない。
別SNSに日記は書いたものの、非公開にした。
なので、ほっておく。
降りることにした。

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