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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

心が折れかかっている

2018-08-16 | 趣味
今、心が弱っている。
人付き合いが苦手で、人との距離の取り方が上手くいかない、アスペル君らしき特徴を私は持っている。
にもかかわらず、(あるSNSのコメントにありましたが)アスペル君の特徴の一つらしい「根拠のない自信」が私にはない。

人間としての尊厳は(根拠はないが)失っていないのだが、女性としての尊厳がない。

パーティでも、自分より明らかに素晴らしい女性を見ると、即座に萎れてしまう。
自分の存在を否定してしまう。
全く自信を失う。

お盆を返上して、必死で練習されている日記を読むと、素晴らしいと感じると同時に、同じ社交ダンス愛好家であるにもかかわらず、どんどんマイナスな気持ちに落ち込んで行く。

自分には出来ない。(その日記の主とはレベルが違いすぎて、上過ぎて比べるのが間違いなのはよくわかっているが)
はるか無理な出来ないことを目指すのではなく、自分のレベルにあったことが出来るようになることを目指すべきなのも、よくわかっている。

ダンスレベルだけではなく、見かけ(容姿、美醜、年齢、タイプ)や相性も大きな要素になり、これは努力ではどうしようもない。
どんどん自分に自信がなくなってくる。

どうしようもない、たいしたことがない(と私が感じる)男性でさえ、「男性は、女性を見かけで選ぶ」などと堂々と発言している。
そういう男性は黙殺するにしても、、、。
立派な男性は、決してそんなアホなことは言わないが、「努力」が不可欠である。

その「努力」こそ、またまた自信がない。
努力したくなくて嘆くだけなら、その時間をレッスンや練習に費やしたらいかが?と思われることだろう。
ご無理ごもっとも。

今の私は、疲れているのかも知れない。
理想と現実の調整が上手くできない。

私は心はかなり強いほうだ。
無神経に近い、楽天家、天然系。
にもかかわらず、自分を強く押し付けられない。
どこにも所構わず、ど厚かましい自己主張PRの塊のような人がいるが、大嫌いで、接したくない。

何かが引き金となって、楽天家を返上してしまった。
自分を支えている強い核のようなものが崩壊した。
原因は自分でもわかっているが、書かない。
今まであまりにもいい加減に来ていた報い、自業自得だと反省もしている。
自分を見直し、変わるきっかけになればいいのだが。
自然治癒するまで、しばらく静かにしていようと思う。

大嫌いな人がうろうろして、カンにさわる

2018-08-13 | 趣味
宗教色の強い、夫の実家のある町。
先ほど、お坊さんがお参りに来てくれた。
明日、一日中、本格的に仏さんたちの食事をお供えする。
その後、お墓にお送りして完了予定。
まずは、第一段階、ひと段落。

で、趣味SNSを覗く。
嫌いな人物があいかわらず、嫌なコメントをしている。
彼女は嫌われ者らしい。
だろうなあ。
温厚な私でも、これだけ嫌っているのだから。

自己肯定、自己PRを人の記事のコメント欄に繰り返し繰り返し、書き込む。
わたしの記事にも、しつこく書き込んでくる。
どこにでもいるのだ。こんな人。
SNS内では仲良くしている風の人もいるが、多分、表面だけだろう。

上手な一般男性がダンスの相手をしてくれない女性が、プロ男性を雇って踊ってもらう。
それを「趣味にはお金がかかるもの。
下手な男性相手に、余計な気を使ったり時間を浪費するなら、お金でプロと踊る。
お金がない人は、フリーパーティへどうぞ」と。
いつもその持論を唱える。
確かに、プロダンサー需要は近年、うなぎのぼり。
一般男性では物足りない人のニーズを満たす。
しかし、その理論の中には、彼女の場合、自分は下手で、一般の上手な男性は相手にしてくれない、という自覚が完全に抜け落ちている。
プロを雇って踊る人の中には上手な人もいるが、彼女は下手。
下手なのに、下手である現実には全く気づかず、(ややもすると自分は上手いと勘違い)ことあるごとく、自分のダンススタンスを繰り返しアピールする。
いつもいつもいつも。
「お金がある人は、プロと踊るの」
ほんとうのところ、実態は、
「お金を払わないと、一般の男性は踊ってくれないの。プロしか相手にしてくれないの」
であるにもかかわらず。
一般男性の下手さをこきおろす。
彼女だって、たいそう下手なのに自分のことを棚に上げて、よく言うよ、である。

そうとう、わたしのカンに触る。
今日もわたしの記事に自分擁護のコメントを寄せている。


しかし、、、
お盆の行事がスタートしたばかりなのに、SNSに遊びに行くは、ブログは書くは、遊んだり、変な湯気を頭から出したり、、、
で、一年ぶりに里帰りしている仏さんたちは、ため息をついていることだろう。

生まれ持った星

2018-08-10 | 趣味
嫌だ嫌だと、基礎を学ぶことをなおざりにして、楽しいことばかりやっていた。
しかし、これではいかん、と、やろうやろうと思いながら、ズルズルほったらかしに。後回しに。
だが、ついに、実践することにした。

基礎レッスン実践日記を趣味SNSでをアップしたら、さらなる助っ人が自主的に手を挙げてくれた。
折しも助っ人氏は、とある事情を抱え、今だけ期間限定・助っ人。
本来なら口も聞けない雲上人。であるにもかかわらず、私の指南役、個人コーチャーを買って出てくれた。
そもそも、お金のためにレッスンなどしない人。
私は本当に運がいい。
最高のブレーンに巡り会えた。

日ごろの行いが良いとは思えない。
占いなど信じないわたしであるが、幸運の星の下に生まれたのかなあ、と。
科学では解明できない不思議を統計学的的に体系立てた、占いの正当性を唱える人がいるのたが、にわか信者になりそうだ。
ラッキーに甘んじて、基礎を習得したい意欲に燃えている。
新生スローを目指して。


この記事を読み返してみると、わたしという人物はつくづく楽天家で、単純だと思った。

熱く熱く燃焼中

2018-08-09 | 趣味
久々ぶりの蝶ブログ。
趣味SNSでは毎日、何かしら書いている(人へのコメントを含め)
こちらは、すっかりご無沙汰だ。

趣味SNSは、ものの見事に趣味のことしか書いてない。オンリー。
他のことは、一切触れない。
趣味だけに特化している。
今、燃えているから仕方ない。
この夏の、命に関わる猛暑と同じ。
人生、最後の燃焼期。
これが終わると静かな老後に移行する予定だ。
しかし、いつ、終わるんだろう?

趣味に燃えるということは幸せだ。
時間が経つのがやたら速い。
これは幸せではないかも?
貴重な時間、そんなに速く費いきってしまうのは、惜しい。
だが、後はエネルギーもさしていらない黄昏季節。
永遠の冬眠に向けての冬支度が待っている。
思い出という、エネルギーストックだけで生きて行く予定だ。

小さな高慢

2018-07-30 | 趣味
趣味の話は趣味サイトに書いている。
いつも、そこそこの閲覧数があるのだが、閲覧数が随時公表されるのには抵抗がある。
閲覧数パラパラ少数の、滑った記事の場合、サイト閲覧者のみなさんと共に、滑りをシェアすることになる。
それが怖くて書けないのだが、やはり勇気が要る。

と、相変わらずの前置き。
趣味SNSに書けばよいのに、なぜかここに書く。
何故なら、趣味SNSに、さきほどアップしたばかり。
2本続けてアップは、さすがに暑苦しく、むさ苦しい。

と、まだ、さらに前置きが続いている。
で、何が書きたいわけ?
そう、文句、不満不平、マイナス感情。

ダンスパーティにおひとり様では行きたくない。
踊る相手がいない。
仕方なく会場で、こちらからアプローチ(踊ってください、と声掛け)したら、とたんに相手は偉そうな態度になるのが気に入らない。
その日のその会場には踊る人がいないので、あくまでも「仕方なく」アプローチしているだけである。
にもかかわらず、アプローチされた側は、まんざらでもない、を通り越して、高く高く舞い上がる。
その日の、その会場で、一人で来ている、とりあえずまだ一番マシな人にアプローチしたに過ぎない。
別の日の、別会場では、目もくれない。
ぷいっ。

しかし、そこまで、感情がもつれるには、訳がある。
お高くとまられて、教えを乞うてもいないのに、ミニ・レクチャーされた。
本来は喜ぶべきところだろうけれど、明らかに、わたしはシラけた。
人に上からレクチャーするほどでもないよ、あなたのダンス。

こんな感情、内面を、趣味SNSに綴るわけにはいかない。
わたしの人格を疑われ、拒絶反応を示す人が出ると思われるからだ。

では、蝶ブログではいいのか?
いいのだ。
所詮、わたしはたかが知れているので、格好つけなくてもいい。
自宅では、着慣れたパジャマ。
外では、外出着。

いや、しかし、、、
自宅に訪れた人は、わたしの、あまりにも構わない変人ぶりを見て、距離を置く人が徐々に増えるかも知れない。

何を思われようが、なにしろ、わたしは、謙虚な人が好きなのだ。
いきなりオセロゲームのように、コロっと、白から黒に変わるのは、いただけない。

謙虚なこころを持っている人なら、アプローチされたからといって、いきなり上から目線にはならないと思う。
ほんのちょっとだけプラスの人が、勘違いすることは、わたしにとっては超NGである。
ちょっと喜び、いえいえわたしなんて、まだまだ、、、とかなんとか、謙遜してほしい。
無理か。

人に、自分の理想を押し付けるのは良くない。
でもなんだか、アプローチされると、人は立ち位置が急に高くなる。上から見下ろす。
こちらがアプローチするまでは、緊張感の伴う均衡が保たれていたのに。
小さな高慢が、わたしは嫌い。
鼻持ちならない。
きっと自分には、いっぱい小さな高慢を溜め込んで、外に出さないでいるから、そのフラストレーションが溜まっていたのか。
他人の小さな高慢に、触発されたのか。

では、小さな高慢の対応の仕方は?
どうすれば良い?
ちなみに、夫は、高慢ではない。
無理せず高いところにいるから。 元々、能力が高い。(家では全く何もしないが)
わたしのように、能力が低く、無理して高めを目指させられた人が、小さな高慢をいっぱい抱えている。
それで、小さな高慢にふいに触れると、すごく嫌な気分になるのだろう。

小さな犬が吠えている、本日のわたしのブログでした。

せせこましい価値観の自分

2018-06-25 | 趣味
昨日、場末のダンス・パーティに参加して、感銘を受けた話を別SNSの自分の日記に書いた。
感激して、帰りの電車内で一気に書き上げた。(大袈裟)
オンボロの汚い、古い建物が会場。聞いたこともない会館名。
行ったこともない、見たこともない地名。

(昨日、帰路で詳細を書いたので、重複するため、以下、省略)

高齢の女性たちの、容姿、体型や技量、能力をものともせず、一生懸命デモする姿に小さな価値観に囚われていたわたしは、元気をもらった。
決して見下したり、馬鹿にしたりしていない。
目の奥がジーンとする。

主催者のプロ先生も独立してまだ2年余りなので、経済的に苦しいようだ。
いずれ立派なホテルでパーティをされるだろう。
(ただし、会費はその分、ぐんとアップ)

趣味や生きがいに取り組む人々は誰しも、平等に楽しむ権利があると感じた。
それは昨日で、今日はまた違う考えが湧き出てきた。
「自分だけが楽しむ」の次は「人を楽しませる」。
さらにその次は、「魅せる」。
と、徐々に段階が上がってくる。

小さなことや、根幹となることに目を向け、気づきをもらう。
自分は人々を魅了するなど無理であるが、心構え、基礎のスピリッツを学んだ。
自分が信じる道を行けば、いずれ行き先に導かれるように思う。

なんか、あっさりした記事になってしまった。
どうも熱がイマイチこもっていない。
何度も何度も繰り返す自問自答がない。
答を既に自分で出してしまっている。
やっぱり先に別の所で吐露してしまうと、パンチがなく、気の抜けた炭酸みたいになる。


皆んなで歳を取れば怖くない

2018-04-21 | 趣味
ごくごく最近、わたしが踊る相手は、どんぴしゃり自分年齢。
今までは、年上ばかりだった。
やっと自分の歳まで、年齢が近づいてきた。
このまま順調に行けば、さらに下がり、年下になるか?!

それは甘すぎるだろう。
同じ歳の男性たちに見捨てられ、今度はうんと年上の、おじいちゃんになるかも知れない。
その頃はわたしも、すっかり、おばあちゃん。
浦島太郎が玉手箱を開けて、相手もわたしも、白髪のおじいさん、おばあさん。
これって、嘆かわしいのではなく、楽しい展開かも知れない。

腹黒、黒鳥か、美しい白鳥か?

2018-04-19 | 趣味
近ごろは社交ダンスのパーティも、男性余り傾向にある。
女性参加者のほうが多いのだが、女性は主催者が用意したダンスアテンダント(通称、リボンちゃん)に流れる。
一般参加の男性と踊る女性は少なくなり、男性は競争率が高くなる。

上手い女性と踊りたいと思っている男性は、その上手い女性は他の男性たちからも引っ切り無しにお声がかかり、なかなか踊ってもらえない。
そこで、仕方なく手近で空いている、人(=私)を誘う。
で、私は潤う。
おこぼれちょうだい、棚ボタ式。

好きなように自由に相手を選ぶにしても、だいたい、双方、踊るレベルがあるようだ。
同じようなレベル同士で踊る。
階層社会と似ている。
下手と踊っていると、いつまでも下手なまま。
ちょっとでも早く上手くなりたい人は、下手な人とは踊らない。
しかし、下手と踊り始めると定着し、ずっとそのままで下積みダンスライフが長く、いつまでも抜け出せない人もいる。
抜擢されるか、よほど気に入られない限り、底辺をウロウロする。
ブロードウェイを夢見るダンサー。
ある日、プロデューサーの目にとまり、夢の世界が現実となるストーリーを描き、ブロードウェイ近くのカフェで働くようなものか。

前はパーティは女性余りが普通だった。
なので、特に上手くない女性は、余って吹き溜まっていた。
しかし、近頃のように、男性余りで女性が足りない時には、しっかり乗っかって、チャンスをものにするのも、ひとつの方法。
厚く重い固定層から抜け出せるよう、駒を動かすチャンス。

そうやって、踊る顔見知りを地道に増やしていく。
人選も、少しずつダンスレベルを上げて行く。
落っこちているチャンスの芽をいかに瞬時に目ざとく拾うか、そのへんに、這い上がるきっかけを掴むキーが隠れている。

ぼーっとしていては、自力でなんぞ勝てない。
美しいダンスの世界ではあるが、美徳や美談なんか、通らないのだ。
先にさっさとやるべきことをして片付けて、それから、何事もなかったかのように、何食わぬ顔で優雅な表情を浮かべるのが、よろしいようだ。

最近の私は、良いと思えば、手を出すのが早い。即、動いている。
孫が人がせっかく隠してあるお菓子をめざとく見つけ、食らいつくかのごとく。
早く取り込まないと、人に取られる。
悠長な、優雅なことを言っていては、競争に負ける。
ただでさえ、実力不足で負けているのだから、有利になるような状況があれば、迷うことなく掴みにかかる。
(焦るあまり、見込み違いをして、人選を誤ることもあるが)

ダンスの醸し出す表面の優美さと、実に矛盾している。
清濁併せ持つ。
澄ました顔の下、水面下では、必死で両手両足でバタバタ漕ぐ。
まあ、そんなものだ。
それで、優雅な美しいダンスを踊るのである。
真の実力がまだ備わらない人のダンスは底が知れている。
でも、自宅で自習ばかりしていても、人の目に止まらない。
チャンスはものにしないと。
(早とちりもあるにしても)
初めの第一歩を踏み込まないと、何も始まらない。

安定か、チャレンジか。

2018-04-12 | 趣味
昨日、初めて受けた個人レッスンで先生に言われた。
先生を紹介してくれたのは、ダンス知人からリーダー※に昇格したA氏。
ごく最近、A氏が「僕が君のリーダーだ」と仰るので、とりあえず、リーダーということで。
(※社交ダンスでは、固定ペアの男性をリーダー、女性をパートナーと呼ぶ)

先生は「あなたは、飲み込みが早いので、個人レッスンを受けたら、A氏では満足出来なくなりますよ」と仰った。
もともと、この人は、A氏の先生で、A氏は今も習っている。
なので、A氏のダンス力量をよくご存知なのだ。
A氏は自分が紹介した先生のレッスンの内容がどんなものなのか興味津々で、聞いてくる。
だが、さすがに、前述したことはA氏に言えなかった。

このフレーズ、前々リーダーB氏も言っていた。
女性は上手くなると満足できる相手が激減する、と。
では、わたしは上手くなってピラミッドの頂点を目指すかと言うと、そんなことはない。
地域の公民館からオリンピックを目指すようなことは、わたしの能力ではありえない。

潜在的能力のある人の能力を引き出し、次のステップで活躍の場を作ると、もう前には戻れない。
下から支えてくれる人がいないと困るので、あえて教育の機会を与えない。
現代社会では改善されているが、
例をあげると、女性には教育をつけず、家庭でしか居場所がないようにする。
あるいは、家業の継承者には家業を継がせるため、わざと教育をつけず、職業の選択肢を奪う。
強制的に自由を奪う。

だが、自由を奪われて困るのは、能力ある人で、能力ない人は、自由になるほうが困る。
自由競争で負ける。
全員、平等に自由にして競争させ、勝ち負けを決めると、それぞれが納得する、とされている。
勝った人は納得するだろう。
負けた人も納得するのだろうか。
こてんぱんにやっつけられ、負けて負けて転落することもある。
平等、自由の、結果である。
競争の仕方が不平等だ、と負けた人は文句を言うが、果たして、何もかも平等に競争できるのだろうか。
下克上の時代もある。

飛び抜け優れた才能の持ち主を埋もれさせておくのはもったいないが、どおってことない凡人は、別に似たような凡人同士、どんぐりの背比べみたいに、勝った負けたと言って、喜んだり悲しんだりする。

さて、ダンス。ほんのちょっと上手くなったところで、タカが知れている。
なのに、人間は傲慢だから、一つ前の自分レベルには満足出来ない。
踊る相手が激減するのは、楽しさも激減するのか。
自負やプライドを維持するだけで、例え空腹でも満足できるのかも知れない。
プライドに応じた相手がいれば良いが、現実的にはいない。
プライドを引っ込めた自分に応じる相手ならいる。
ちょっと上に行くと冷や飯が待っている。
うんと上に行けないのはわかっている。
だとすると、どちらを選ぶ?

現状で満足しておくか、頑張って少し上に行って冷遇されても自己責任だと納得するか。
現状維持か、トライか。
ローリスク&ノーリターンか、ハイリスク&ローリターンか。
リターンが少しでも多いのは、トライする方。
しかし、トライリスクは、ローリターンを上回る場合もある。
ハイリスク&ローリターンなら、挑戦しない。
ローリスク&ローリターン、ハイリスク&ハイリターンなら挑戦するけれど。
さてさて、どうしよう。
中途半端な凡人は悩むのである。

春を感じて、なぜかキレる

2018-04-01 | 趣味
さくら、さくら。
春爛漫。
この世の春を感じている。
(文章は、最低ありきたり凡人)

で、いきなり、なぜかここでキレる。
どこかの、なにかが琴線に触れた。

ありきたり凡人で、何が悪い?
なぜ、凡人を、嫌がるのかわからない。

非凡人目指してセンスや、力量を競う番組がある。
俳句、生け花、絵画。
あれは番組としての娯楽性を追求しているだけだ。
選者の先生のセンスだけが、基準。
あくまでも番組の意図を理解して見ると面白いが、まるごと信じると、なんと単細胞かと思ってしまう。

知人で俳句にはまっている人がいて、人から句を募り、批評している。
その批評の内容はテレビ番組の先生そのまま。
わたしにも参加を呼びかけて来られるが、その気なし。
たんなる受け売り基準で、凡人だのなんだの言われては、かなわない。

自分基準を持つにしても、誰もがうなるような作品を作ったり、添削したりしている人ならいざ知らず、ただ好きでやっているだけの、しかもテレビ受け売りの人では、人望が厚いとは言えない。
わたしは、人に評価などされたくない。
世間は何と言おうが、自分が崇拝する人ならまた別だろうけれど。

と、話は脱線。

春うららを感じて、なんだか、俳句を一句、どころか、ボヤキになってしまった。