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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

テーマパークに優る、ホンモノの重み

2009-07-31 | 
去る連休、飛騨にマイカーで行って来た。
予想通り、渋滞に巻き込まれた。



うんと前に私が英語を習っていた頃、
在日アメリカ人教師たちに、とても評判がよかったのが、飛騨高山。
それで、興味を抱き、一度行ってみたかった地のひとつだった。
世界遺産の白川郷も、ぜひ訪れてみたかった。

白川郷は、時空をひとっ飛びした重厚なテーマパーク(みたい)だ。
こういう感じ方、実は、よくない。
美しい花を見て、「まるで造花みたいにキレイ」と感激するごとく
体験より先に情報(シュミレーション)が入ってしまった現代人の受ける、情報弊害か。
情報と実物の、答え合せのようだ。本末転倒もいいところだ。
しかしホンモノに触れ、感激ひとしお。
200年近く前に建てられた、どっしりした合掌造りの家々。
人々の知恵と歴史が刻まれていた。



 

飛騨高山にも足を伸ばした。
古い町並みが続き、美しく整えられている。
これは、ガイジンさんには、受けるだろうと思った。
だって、日本人で、幼い頃から古民家に慣れ親しみ、結構年を重ねた私でさえ、
「わぁ~、古き日本!!」と感激したのだから。

お土産屋さんが並ぶ中にある、飛騨民族考古館に入った。
そこには、お宝がギッシリ。
展示方法や保存方法が、結構ずさんなので、せっかくのお宝が痛々しかった。

江戸時代の御役所「高山陣屋」も見学。
全国で唯一現存する代官所だ。
飛騨の政治、経済、治安など、人々の暮らしに直結するお役所で、
300年にもおよぶ、歴史のお勉強をみっちりした。
(しかし、なぜか忘れるのも早い・・・)


お土産屋さんには、「さるぼぼ」が、所狭しと並ぶ。
これは、かわいい赤い布で作られたお猿さんのぬいぐるみで、
私は初めて知ったが、昔からの郷土玩具らしい。
雪深い季節に、外で遊べない子供のおもちゃにと、各家庭の母親たちが作ってあげたそうだ。
災いが去る(猿)、家内円(猿)満になるなど、縁起の良い物として、お守りとしても使われているとか。
今はキャラクターグッズとして、いろんな色や形、グッズになって展開されている。



高山市の宮川沿いに、明治時代の町家の古い蔵を改造した、女性専用のお風呂があった。
そこに、夜、朝、と、2回入った。
ノスタルジックで、心地よい空間・・・、まったり、お気に入り。
川のせせらぎをBGMに、ひんやりした風にあたりながら、時間を忘れた。
食事よし、お宿よし、眺めよし、
都会の喧騒から離れ、江戸時代にタイムスリップしつつ、
それでいて、活気のある飛騨高山、
美しい自然と街並みに、元気をもらった。



台湾 メドレー

2009-01-28 | 
あれこれ写真は500枚近くあったのだが、出来の悪いものも多く、
CDに焼いたり、いろいろしているうちに
ブログにまで手がまわらなくなった。
撮影場所も偏ってるし・・・
せめて大小や、レイアウトだけでも工夫したり
写真の説明を一言でもつけて
もっと凝ればいいものを。。。所詮、いい加減な私です。













古くて新しい、台湾 【2】

2009-01-11 | 
温泉(スパ)の街「礁渓」、古きよき時代の街「九份」、驚きの国立故宮博物院、
台北ささっと市内観光、身動きできないほどのすごい人、人、人の夜市、




そしていつものように、マッサージやエステ、ショッピング、グルメを現地でプラス。
フットマッサージも程よい刺激で、疲れが取れるような気分(元々、疲れ知らずだが)。
生まれて初めて、オリジナル ネイルアートを施し、イナカモノの私は、ご機嫌。
マッサージ&エステ店では、
「西川きよし、ヘレン」「千昌夫」が訪れた時の写真が、廊下の壁に掛けてあった。
過去形に近い芸能人の写真は別にどうでもよかったが、
ベトナムよりは、あやしげ指数は低く、安心できた。
(ベトナムも一流店のようだったが)

ホテルや専門店のお味も、あっさりしていて美味しかったが、
行き当たりばったりで入った、ラーメン&ギョーザ屋さん、美味、美味。
驚くほどお安くて、大満足。


私は初めての国、台湾で、いろんなカルチャーショックを受けた。
特に国立故宮博物院は、エクセレント!!
ルーブル美術館というよりは、展示品の傾向は、むしろベルサイユ宮殿のノリ。
清のお后様が、お嫁入り時に持参したという、白菜のカタチをしたヒスイ、
西太后の付け爪(ネイルアートですね)、アクセサリー、美白のための真珠化粧品・・・
天然逸品に、息を呑む高度な技を駆使した至宝の山。

たまたま特別展として、「乾隆展」が催されていた。
生まれたときから「美」に囲まれた環境にあった、清時代の皇帝、乾隆が、
彼の美のセンスに磨きに磨きをかけて力を入れた芸術の世界、美しい陶磁器の数々・・・
二日連続で行った。



もともと全て中国のお宝なのだろうが、蒋介石が中国を追われたときに、厳選して持ち出したとか?
60万点も、よく持ち出せたものだ。
全てを一堂に展示することはもちろん不可能。
常設展以外の展示品は、3ヶ月ごとに入れ替わり、全部見るのには8年かかるとか。
李登輝(り とうき 元中華民国総統)氏が、故宮博物院の前のマンションを1フロアーお持ちだそうだ。
仲良しになれば、長期滞在させていただいて、毎日、博物院にも通えるのだが・・・。
悲しいかな、なんのご縁もない。

台湾は小さな面積の国だけに、全体的にまとまっていて、統制が取れていると感じた。
しかし私が、中学の時に歴史で習った程度の大雑把な知識は、蒋介石以後の台湾。
もう少し台湾の歴史を勉強して行けば、もっと味わいが増したかも。惜しいことをした。
勉強嫌いは、損をする。いつも、あとの祭り。



各国、素晴らしい文化がある。
アジアを足元から見詰めようとしたが、逆に、頭の上から、
がさっと、大きな予期しないキラキラしたものが、落ちてきたようなかんじだった。


遠くて近い、台湾 【1】

2009-01-10 | 
遠くて近い、台湾で、お正月を迎えた。

韓国もそうだが、あまりにも近いと、
海外旅行先としては、今までは台湾をマークしたことがなかった。
今回は、同行者の年末年始の勤務体系により、日程が限られたこともあるが、
行ったことがない国、飛行時間が短い、というコンセプトで、台湾にした。

海外として、あまりにも意識しなさすぎた故、
ガイドブックも購入せず、予習も予備知識もまるでなく、
旅行会社に手続きしたまま、いきなり入国した。
機内食を猛スピードで一回食べ、ちょっと居眠りしたら、あっという間に到着。
たった、3時間。時差も1時間。まるで国内感覚だ。

台湾から帰国したばかりの人が、「暖かかった」と言っていたので
薄着で行ったら、台湾着陸時の気温は、10度前後で、冬だった。
コットンの合服ばかり持参していたが、全ての服を何枚も重ね着し、腕が回らない。
ツアーコンダクターなら、こういう失敗は絶対ありえないだろうけれど。










ベトナムに行ってから、さほど経っていないが、同じアジアでも、やはり違うものだ。
ベトナムが、粗けずりで、エネルギッシュ、土ぼこりっぽいのに比べ、
きめ細やかというか、インフラが整い、街もキレイ。
トイレは水洗だが、ホテル以外はトイレットペーパーは流せない。下水圧の関係か?
別のゴミ箱に捨てる。それは、ベトナムと同じ。私は少々抵抗ありの弱虫。

街通りの看板も、漢字なので、ほとんど意味が想像できるし、
もともと日本人と同じルーツをたどってきたのが、よくわかる。
日本人観光客が多く訪れるためか、日本人にはとても友好的で馴染みやすい。
統治時代の日本文化の影響もあるのだろうか?




日本人が欧米に憧れるように、台湾の人々は、
ちょっと先行く日本に、憧れを抱いているように感じた。
しかし実は、それは単に、日本企業が台湾に進出し、
日本製品の購買・消費を煽る戦略のせいかも知れない。

日本企業、日本店舗(吉野家など)、日本のデパート(三越など)、
日本のコンビニ(ファミリーマート、セブンイレブンなど)、
日本のファッションと同じような若者たち(日本に限らず、世界同時ファッション?)
日本製品があふれている。



しかし、高校卒業後、あるいは大学卒業後の18歳以上の男性は
全員兵役の義務が2年間、課される、徴兵制の国でもある。
歴史背景、大国中国との関係や、国際的な立場、複雑なもろもろが絡み合っている。

衛兵交代式が行われていた。
スマートなお人形のような衛兵さんを、追っかけながら、至近距離からパチパチ
写真を撮ったのは、辛亥革命や抗日戦争で戦死した33万人の英霊が祭ってある、
日本の靖国神社みたいなところ。
衛兵は、兵隊さんの中でもエリートだ。
身長180センチ以上で、肥満体はだめ、メガネもだめ、
本人も家族も、犯罪歴などなく、ちゃんとしている家の人が選ばれるらしい。
就職時には、履歴書に「衛兵」だったことを記載すると、ステータスが上がるそうだ。
遊びたい盛りの時期に、国や自分自身に、本気で向き合うことになる。


雪の葛城山

2008-11-20 | 
なにしろ、寒い。
近鉄阿部野橋駅から急行を乗り継ぎ、約50分。御所駅へ。
御所駅から、かわいい小ぶりのバスで約20分、ロープーウェイ前へ。
温度計を見ると、氷点下ゼロ度。寒そう・・・

葛城登山口から、ゴンドラみたいなロープーウェイで葛城山上へ。
ゆーらり、ゆらり。高い~。
まさに読んで字のごとく、ロープのウェイだ、と実感。(→意味不明)
これ、落ちたら? 途中で止まったら?
いろいろ考えながら、でも、しっかり360度に広がるパロラマ・ビューを楽しむ。
高所恐怖症の方には、オススメしませんが。





ロープウェイからの眺めは、途中から雪景色へと変わっていく。
さむ、さむっ。
葛城高原ロッジへと向かう。
雪で、道は滑りやすく、こわごわ。
ご高齢の方なら、足元がちょっとキビシイかも。



目安の20分を過ぎても、目指すロッジらしきものが見当たらず、更に進む。
雪質は、シャーベット状から、さらさら状に粉雪になる。
でも、吹雪くし、冷たくて寒いし、出会う方は、登山装備の方々だし・・・。
これって、道を間違えてる?
こんなところで遭難したら、間違いなく笑いモノになる。
まだ着かない不安と寒さで、ミニ・ブルーになった。

道しるべの示し方が、ちょっとヘンだったせいもあって、見誤って、通り過ぎていた。
Uターンし、どうにかロッジにたどり着き、鴨鍋をいただくことができた。ほっ。
鴨の歯ごたえがよく、甘みのきいたおダシも美味しかった。

鴨鍋をいただいた和室の窓は、水蒸気で曇り、室内から外は見えなかった。
突然の天候悪化で、このロッジに足止めとなり、居合わせた客同士の体験談が始まった・・・
などという展開やら、なんやらかんやら、いろいろ勝手に頭をよぎる。
訪れた季節を間違えた・・・か・・・気まぐれなお天気を恨むか・・・

食後に移動した喫茶室の窓からは、遠くまで山々が広がる。
雲からお日様が顔を出してくれた。
陽だまりに身をゆだね、ゆっくりコーヒーを飲む。
古(いにしえ)の俳人や画家たちの目から見えた風景も、こんなのだったんだろうなあ・・・
と、思いを馳せた。



気の利いた一句も出るとよいのだが、帰りも寒いのかな~と、また不安に。
散策どころではなく、帰りは、予定より1時間半も早いロープーウェイに乗って、
早々に下山した。

ロープウェイ前バス停留所の周辺は、平日で、季節はずれのせいか、
ひっそりして、休憩所も草が生い茂っていた。
このあたりの土地管理は、奈良県なのだろうか。それとも、奈良交通?
ちょっと観光地としては、さびしい風情。
御所駅までの途中、バス道路の両脇には、古くからの立派な門、
美しい瓦屋根の、手入れの行き届いた純和風のどっしりした家々が建ち並んでいた。

御所になにかのご縁があってやって来たわけだが、
こんな寒いときに、あんな雪の山上に行くことになるなんて、
ちょっと溜息の一日となった。
でも、少しお天気の神様に翻弄されたが、雨や大雪などではなかったわけだし・・・。
しかしながら、やはり、寒さは一気にではなく、徐々に体感したほうが、身体には良さそうだ。

秋の丹波篠山

2008-11-02 | 
丹波篠山へミニ・トリップ。
近くて遠い、兵庫県。
JR福知山線・大阪駅からわずか1時間あまり、あっという間に、篠山口駅に着いた。
食事をするユニトピアささやまは、1973年に松下電器産業労働組合が、
大自然に囲まれた理想郷として創り上げただけあって、広々した敷地。
松茸づくしのお料理で、お腹一杯になった後、敷地内を散策し、秋の空気を吸い込んだ。

ガーデニングでも有名な、絵本作家ターシャさんのお庭(約10万坪)も、
このぐらいかなぁ・・・などと、想像してみる。
あとで調べると、敷地面積は9万坪。
広さに関しては、カンは合ってたと、にんまり。

丹波篠山といえば、黒枝豆の産地として有名。
この地の方が、毎年秋になると新米を送ってくださるが、お米もおいしい。
意外に知らなかったのだが、武家屋敷保存地区があるらしい。
江戸時代、篠山城下、御徒士町(おかまち)の武士たちの住まいの一つである、安間住宅を見学した。
1830年に火災で焼失したため、現存する屋敷はそれ以降に建てられたものだ。
縁側に座って庭を眺めていると、秋のひんやりした空気が、時代とともに運ばれてきたような感触。
後ろを見ると、お座敷の床の間には江戸時代の鎧兜やお雛様が置かれていた。
当時のお侍や、奥方、子供たちの生活が偲ばれ、身近に風となって語りかけられるようだ。
江戸時代もおそらく、静かな暮らしがあったのだろう。

徒歩15分ほどで最寄のバス停・二階町まで、
さらにそこからは、篠山口駅までバスで20分近くかかるのだか、
電車の時間まで、30分あまり早く駅に着いた。
駅の周辺には、コンビニと不動産屋があるだけで、喫茶店も何もない。
ただただ、ぼーーーーっと、時が来るのを待っていた。
日暮れともなると秋の風は冷たい。
ネオンがないのは、当たり前としても、ちょっと、まったりできるお店が、
たとえ1店舗でもあればいいのになあ・・・と
篠山市をはじめとする行政、およびJRのお偉い方々へ
丹波篠山に観光客を誘致する思いがおありなら、
訪れた者として、お願いしたいところです。

何はともあれ
何もないのが、いなかの良いところ。
自然、という素晴らしいものがあるではありませんか。
秋のひととき、のんびりとした時間を楽しみ、黒枝豆の里・丹波篠山をあとにした。


恋するベトナム

2008-10-28 | 
一昨日、夜10時からのテレビ番組(サ○ヨ○)に、△君が、生出演していた。
生出演を見るのは、初めてだ。
あまり、専門分野と関係ないことをコメントしていたが、
彼は、ジャイアンツ・ファンだったと記憶している・・・
(間違ってたら、ごめんなさい)


さて、秋のメイン・イベントは、旅。今回の行き先は、ベトナムだ。
ハノイ&ホーチミンの2大都市を訪れた。
女性が大いに好むところの、ショッピング、グルメ、エステ三昧というもの。
いつもと、趣の違う旅のコースとなった。
一人では、絶対に選ばないコースだっただけに、私には刺激がいっぱいだった。

ひょろひょろと南北に長いベトナム。
北と南では、気温だけでなく、人々の気質が違うと言われる。
ベトナム戦争で、南と北に分断されて戦った、悲劇の歴史は、記憶に新しい。

長い間、ベトナムは中国からの侵略と内紛を繰り返し、
やっと1802年にベトナム最後の王朝を建てたが、
1858年、フランスがベトナムを侵攻し、100年近く統治された。
それ以前は、中国の支配を1000年ぐらいにわたり受けていた。
ベトナムの起源は紀元前1000年ごろと、ずいぶん前に遡る。
首都ハノイは、1000年ほどの歴史がある。

そもそもベトナムは、社会主義国。
ベトナム戦争が終わり、30年経つが、最近、めきめきと発展している、注目株の国。
ドイモイ政策の成功を目の当たりに見たかんじだ。
(日本にも、そういう政策はないものだろうか・・・。
日本は、全てにおいて、停滞感がぬぐえない)
ベトナムの銀行預金の利子は、つい最近まで20パーセントだったが、
今は、17パーセントだとか。
しかし、預貯金の高い利子を享受するのは一部の人だけ、
まだまだ国民は、貧しい人が多いそうだ。

街中で、アオザイの人を見かけることは、ほとんどないが、
果物や野菜を売る女性たちの姿に、ベトナムらしさを感じる。
街路でのんびり、くつろいでいる人々を多く見かける。
公園では、大勢の市民がバトミントンを楽しんでいた。
空きスペースには、地面にラインを引いて、わざわざコートまで作ってある。
バトミントンが人気なのは、カンタンに出来て、場所をとらないからだそうだ。
公園だけでなく、まとまった広さがあると、バトミントンをしている人を見かける。

バイクが圧倒的に多く、車とあわせて、道路は、クラクションが鳴り止まない
信号がない中を、渡るのは、かなりテクニックが必要だ。
この恐ろしく無秩序な道路事情は、
人を地下に呑み込んで移動させる地下鉄が、都心なのに、無いからだろうか。

ゆっくり、ころあいを見て渡れば、車はスピードを緩めてくれるそうだが
私は、あんなにビュンビュン、車やバイクが行き交うなかを、
無防備に徒歩で一人では、絶対に横断できない。
渡るのに十分な勇気と、運動神経が、明らかに欠如している。
私がベトナムで、自立した生活を送ることは絶望的だ。

フランス様式の建築物が目を引き、ホテルやレストランにその影響が色濃い。
ベトナムなのか、フランスなのか、わからないほどだ。
しかし、一歩、ホテルやレストランを出ると、そこはまた別世界。
ベトナムの人々の暮らしとは、隔離されている感がある。
現地の人に、穴が開くほどジロジロ見られ、
「動物園に来て、逆にいっせいに動物に見られている図」を連想した。

本当の意味で、ベトナムを知るとういうことには、決してなっていない。
が、そこのところを踏まえ、旅行者が外貨を落としていくことは、
自由経済の発展にも貢献しているわけだし・・・・と自己弁護。


なにしろ、物価がとても安い。
エステも、フットマッサージも、可愛い小物や雑貨、衣類、アクセサリーも、
豪華フランス邸宅レストランも、とてもお安く、素敵だ。
ヨーロッパは、東側のほうが西側よりぐっと安く、
フランスなどは、なんでこんなに高いの?というかんじ。

タイも、安かったが、
タイよりミャンマー、ミャンマーより、ラオスがさらに物価が安かった。
中国より、ベトナムのほうが安く感じる。
都市や、行く店にもよるのだろうが・・・。

○○のエステが、こんな内容でオススメ、とか、
○○の○○が、とっても美味しかった、すごくよかったとか、
具体的に店名や内容、価格を、写真入でお見せすればいいのだろうが、
ガイドブックか、他の人のブログでも見て、研究してくださいませ。

とにかく、帰ってきてスーツケースを開けたら、
オーダーメードのアオザイ、ワンピース、ストール、バッグ、クッションカバー、
袋物、ヘアアクセサリー、置物、小物雑貨、陶器・・・etc
ひょっとして買い付けに行ってるんじゃないかと思うほど、
いろんなものを買い込んでいた。
女性って、ほんとに、お買い物にcrazyな生き物なんだと、改めて自覚した。

駆け足「大都市・現代ベトナム~初級編」の次は、
雅な古都ホイアンに、ぜひ行ってみたい。

頭にカンフル。香港金融事情

2008-06-10 | 
先週、香港金融視察セミナーに参加した。

世界の4大マネーの中で、
世界的経済動向に対して、反応が速い順は
①ユダヤ・マネー②華僑・マネー③オイル・マネー④日本・マネー

日本は、4大マネーに入っているものの、動きが一番鈍いそうだ。

しかしながら、今、海外のHSBCなどでオフショア口座を開設する日本人を実によく見かける。
現地ならではオフショア口座を利用した、海外ファンドのメリット・デメリット等、時には通訳を交えてレクチャーを受けた。


香港の金融中心街は、超高層ビルが立ち並ぶ、香港版ウォール街。
土地が狭いので、すごい勢いで、建物は上へ上へと伸びる。
土地が貴重な割には、ただっ広い旧空港跡地は、再開発されることもなく、ほったらかし。
冬も冷房をつけるという香港。
地震対策やエコ意識など、まるで念頭にない???

連泊したコンラッドホテルは、
地下鉄金鐘駅に直結するパシフィックプレイスにもつながっているので、
どこに行くにも、らくらく移動。

地下鉄に乗るために、
マイクロチップを埋め込んだ電子マネー式のオクトパスカードを買った。
専用センサーにタッチすれば通過できるが、
バッグに入れたままでもOK。
残った分でスーパーで買い物をしようとしたが、
たまたまその店ではNG。
残りは換金した。


コンラッドホテルは、61階建てのタワーホテル。
ヒルトンホテルグループによって
「究極のくつろぎ」を目指して作られた、最上級ホテルだけあって、
さりげないサービスが行き届く。
良質のくつろぎ空間を満喫することができた。


国外への金融視察は今回が初めてのこと。
まさに「金融という生き物」を肌で感じた。

手なずけたつもりでも、突如、暴れだす、
幸運も不幸も、もたらす
決してあなどれない、怖い生き物である。


国内出張感覚の視察では、日程上、
「これぞ香港!!」という下町には、足を伸ばせなかったのが残念だった。

また今度、人ごみギューギューの女人街あたりで、
キッチュっぽい、チャイナ・グッズをぜひ、買いに行こうっと。


暖かいけれど寒くて、でも暖かい

2008-01-11 | 
暖かいところに行きたい。冬は寒いから。
ということで、お正月はハワイです。

ハワイも冬なので、薄手の長袖を羽織るとちょうど。
でも夜は少々肌寒いと感じるけれど、プールでバシャバシャやっている人もいる。

ハワイの定番、ワイキキがあるのは、オワフ島。
今回、行ったのは、ホノルル(オワフ島)で国内線に乗り換え、ビックアイランド・ハワイ島へ。
コナ空港からホテルまでの景色は、延々とダークブラウンの溶岩が続く。
一面焼け野原の印象。まるで廃墟のような、工事の土だらけのイメージ。

四国ほどの大きさに、14万人強の人口。
ワイコロアは50年ぐらい前には溶岩のほかには何もなかったというエリア。
今では、高級リゾートホテルや別荘が並ぶ。

アメリカ人のイマジネーションはすごい。
島を大胆に変えてしまう。
ステイしたホテルは、ヒルトンホテル ワイコロアビレッジ。
ホテル全体が、テーマパークとなっている。
それぞれの棟の往復に、人口的に作られた川の上を船で行きかう。
あるいは、敷地内電車でGo!
オモチャパークのよう。
狭い国土の日本でチマチマ生活している身としては、スケールの大きさには驚かされる。

ハワイ島にそびえる火山、マウナケアは標高4200メートル。
日本の天体観測プロジェクトも参加している。
星を見に行ったが、吹雪。氷点下2度だった。寒い。真っ暗。

寒い日本→暖かいハワイ→寒い山頂→下山して、暖かいハワイ→寒い日本
体調を崩した。

ワイキキだけがハワイじゃない。
こういうハワイもおもしろい。

ちょっとロシアまで

2007-10-30 | 
ロシアに行ってきた

10月はすでにシーズンオフのようで、モスクワは雪。全日程、雨。
でも観光地はどこもスイスイ。

ロシア女性は、寒い季節が長いので、冬のオシャレが上手
ダークなコートに一色、鮮やかな差し色を効かし、キメる。
皆さん、ブーツ、ブーツ、ブーツ。今年はどんなブーツ買おうかな、と参考になる。

街を歩く人々を見ていると、少し前まで社会主義だったなんて思えない。
美人が多い
目を奪われる見事なブロンドもさることながら、
梅干に使われる「シソの葉」みたいな髪の色(→えび茶ワインレッド)をちらほら見かける。(染めてる?)

ただし、店員さんは、無愛想。
東側ヨーロッパでも感じたけれど、
資本主意義経済がまだまだ根付いてないのか、
自由競争の原理が浸透してないのか、
まあ、とにかく、「お客様には笑顔」なんて教育はされていないようだ。

ヘルシーな日本食がもてはやされ、寿司がブーム。
ところが200軒の寿司屋で日本人が経営しているのは1~2軒だけとか。
あとはアジア系の人がやっていて、まずいそうな。
オイシイ店は、高く、安いところは不味い。
「やくざ」とか「将軍」とか、唐突な日本語の店名がついている。

意外なことに(失礼!)北野武が人気。
子供に「たけし」と命名する人もいるそうだ。


ロシアは美術品の宝庫

レベルが違う。
日本で誇れる財宝、美術品は、どれぐらい、どんなものがあるのだろう。。。

建都300年あまりのサンクトペテルブルグは、ヨーロッパの影響を色濃く受けている都市。
位置的にもヨーロッパに近いせいもあり、ヨーロッパと見間違えるほど。
(ただし馴染みの無い、ロシア語は、理解不能・・・)

日本の近代化は西洋の国をひたすら真似することだった。
人工的に作られた、スケールの大きい都、サンクトペテルブルグも、
時の君主が個人的趣味で西洋を真似て都を作ったわけで、
なにも近代化のためではないんだろうけれど。

国の財力をつぎ込んで創り上げた、素晴らしい建造物や美術品の数々に触れ、感動するとともに、
不運にも焼失したものは、再建して維持するという熱意には頭が下がる。

そこで・・・
近代化以前の、日本独特の文化は?と自問自答。

鎖国が長い島国、日本は、陸続きの大陸とは違うお国事情。
脈々と続く歴史を紡いだ日本の文化を誇り、もっと大切にし、国内外の人々に知ってほしいと感じる。
日本を一歩出て、いろんなものを見ると、
日ごろ感じないことや、眠っているアイデンティティーが呼び起こされる。