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蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

治安悪化

2023-01-22 | 時事&世の中
まずは、緊急性の低い話から。
話し合っても意見が合わない時、決裂する前に、私はその案件から身を引く。
不毛な争いは避ける。
一つしかない心臓ならいざ知らず、複数あるものなら残りのものでどうにか持たせる。
というか、決裂したら普通はどうするのか。 
決裂の一歩手前に次善策を練る。
真ん中を取ったり、かわりばんこにしたり、妥協したり、調整する。
負けるが勝ちなんてのもある。

話は変わる。
幸せ論、追求ブロガーさん。
お金と幸せ度の関係を説いている。
お金である程度の幸せは買えるが、十分な幸せはお金で買えない。
その新説がまた登場した。
アタマの中で空想するゲームのようなものだ。
実践にはあまり役立たない。
それを承知で読んでいる。

またまた話は変わる。
90歳の高齢女性が強盗殺人の被害者になった。
次々と明るみに出る関連事件。
ずいぶん治安が悪くなったものだ。
が、他人事として呑気に構えていられない。
犯人はどうやって強盗に入る家を決めたのか。
屋根修理だの偽の理由で訪問し、家の内情をあらかじめ調査するらしい。
在宅時間や不在時間もチェック。
身近に起こり得るだけに、恐ろしい。
自宅から3000万円盗まれた男性もいるようだ。
荒んだ世の中になっているのか。
家族と同居していても、家族が居ない時間帯を狙われたらどうしようもない。
防御しようがない。
しらみつぶしに一つのエリアに絞り込まれた犯行。
その地域に住んでいる人々は、戦々恐々だろう。
次の地域もまた次の地域もまだまだ今後、控えている。
同じ日本に住んでいるが、安全に暮らしたい。
安心、安全は幸せの基本、土台だと感じる。



つまらない独り言が、なかなか終わらず往生している

2023-01-18 | 時事&世の中
人口世界一が変わるようだ。
中国からインドへ。
どちらにしても、10億人超え。

中国、人口減少の理由は一人っ子政策の影響と、結婚しない人が増えたこと。
「結婚しない」には2通り。
結婚できない、と、結婚したくない。
自立した若い中国人女性がTVニュースで取材されていた。
自由を結婚や子育てで奪われたくないそうな。
「日本の数歩、後を行く」と、ニュース司会者(有働由美子さん)がぽろっと言っていた。
日本はあれからまた少し変わったが。
社会整備されないと、理論ばかりではなかなか理想の道には進めない。
中国は年金制度が整うまで高齢者たちは苦労することだろう。

子供を能動的に選択して持たない人は、以前は非難の目を向けられていたこともある。
今の時代なら過去のそれらの人たちは、子供を持ったかも知れない。
自主的に選び取った勇気ある選択であったとしても、ある意味、時代に翻弄される部分がないとは言えない。

社会の風や体制が後押しして、追い風になるか、それとも逆風になるか、生きた時代によって生きやすさ、生きにくさが違う。
なにごとも先人は大変。
その苦労の後に我々がいる。
時代の運、不運もある。個人の運、不運もある。

時代は進めば進む程、良くなる場合も、良くならない場合もある。
いつの時代もその時代でどう自分が生きるか、だ。
しかし、昔、SF小説や映画で観たようなことが現実的になりつつあり、驚くような恐いような。
科学の発達、進歩、進展には、歯止めをかけたほうが良い、倫理上の問題もある。
人の遺伝子や生命をいじくっても良いものか。
人口数を極端な方法で加減するのは避けたい。

が、人口は国力、マンパワーはエネルギー。
未来にも繋がる。
日本は明治の初期は3340万人らしい。
直近の100年で3倍に。
急激に増えたが高齢化の波も急に押し寄せた。
医療が進歩しているので、高齢化は進む。
少ない若い世代は、多くの高齢者を支えるのはハード。
自分も高齢者なので、複雑な気持ちになる。

と、だらだら、専門性のない薄い内容。
更なる深い追究は専門家に任せて、と。

わたしが脳に響いて同調したのは、有働由美子さんの一言。
「日本の数歩後を歩く中国」
同じなんだと、驚いた。
と同時に、人は進化したりすると同じコースを辿るということか。
戦争は絶対にやめてほしいが、同じ過ちを繰り返すのも歴史。

さて、今日は発注していた書籍が届いた。
またゆっくり読もう。
ではあるものの、少し仕事をしなければならなくなり、ちょっと気が重い。
しなくてもどうってことはないのだが、わたしのこだわりがあるので、見て見ぬフリは出来ない。
面倒だが関わることにした。

だらだら、面白くもない低温の独り言が続き、まとまらない、、、
終わらない〜




FIRE

2022-12-10 | 時事&世の中
バス、遅い。最近、遅い。
どうなってる?
いらいら。
人が足りないのか?
トラブルか?
と思いきや、どばっと高校生が大量に乗っていた。
ドアが開き乗ろうにも、ドア付近はスペースがない。
運転手さんのアナウンスで、どうにか3人分きちきちのスペースを空けてくれた。
が、目の前の、どデカい重そうなリュックに圧迫される。
こんなに混んでいるのにリュックを降ろさない高校生。
自分のことだけしか見えず、想像力が欠如している。
土曜日なのに、テストか何かで学校があるんだろうけれど。
同情は少しするものの、はあ〜、と、ため息。

行きからテンションダウン。
未来ある子供たちなのだが、なんだか心配になる。
勉強は良いとしても、ちゃんとした社会人になれるのだろうか。
社会人でも、人の気持ちが想像できない、汲み取れない人がたくさんいるが。

今、読んでいるFIREした人のブログ。
FIREとは「Financial Independence, Retire Early」の頭文字を取ったもので、「経済的自立」と「早期リタイア」を意味する。

元々は欧米を中心に流行していた考え方で、日本でも注目されるようになったそうだ。

親からの遺産が転がり込んだり、宝くじが当たったり、一生働かなくていい億万長者になったから仕事を辞めるのではなく、新たなライフスタイルの形成らしい。

生活費の25倍の資産を年間4%で運用するルールがあるという。退職金や年金頼りではない。

そもそも4%ルールは米国発の考え方で、米国株式市場の成長率7%とインフレ率3%の差に基づいている。

寿命が長くなって、より長く働かなくてはならない、ちょうど逆のライフスタイル。

そのためには、リタイア後の生活費を計画、予想し、何が大事か、時間やお金を何に使いたいのかを明確にする必要がある。

アーリーリタイアと似たようなものだが、FIREという造語は最近目にする。

アメリカ発の考え方だと、日本で定着するかどうか。

先ずは、少ない支出で生活できる工夫を楽しめたら何よりかなと思う。

月5万✖️12ヶ月✖️25=1500万円

それより40年間、月5万で生活できる?


夜道

2022-08-05 | 時事&世の中
一昨日は、人身事故に振り回された。
事故が起きてから、Twitterなどで皆さんの写真や情報がすぐあがってきて、状況を把握できた。
が、何時何分に復旧するのかは、JRのみが知ることなので、情報はリアルタイムでは外の一般の皆さんからは得られなかった。

今日、時間を摺り合わせてみると、事故が起こった瞬間の時間には、わたしはその駅の直近の私鉄駅を私鉄電車で通っていた。
JRと私鉄の違いではあるが、それらの駅は至近距離にあり、ニアミスしていた。

それにしてもあんな近い地域で、、、。
あのJRの路線は、その日は、前回の事故から1日あけて、なんと3日目、らしい。
毎日連続ではないものの、1日置き。
何かに呼ばれたのか?
作業をする係の方々、仕事とは言え、慣れているといっても酷暑の中、ご苦労様である。
事故当人に対して「被害者」という表現が使われていたものもあったが、被害者は本人以外の人々、乗客、乗員の皆さまではないのだろうか。
とっさの魔の瞬間に襲われると、じっくり色々考え慎重に行動するわけではないと思われるけれど。
背景はおそらく同情の余地のあるものだと想像できるので、遺されたご遺族のこともあるし、うかつなことは言えない。
(電車が動かず大変な目に遭った一昨日から時間が経つと)、皆さんの傷が癒えることを願うばかりだ。


弱肉強食の世の中、強い人も弱い人もいる。
互助、助け合ったり、共存共栄したり。
健康な人や病気の人、ハンディのある人、ない人、優秀な人、普通の人、凶暴な人、素行の良い人、悪い人、成功をおさめる人、犯罪を犯す人、被害に遭う人、恵まれている人、恵まれてない人、運がいい人、悪い人、努力する人、しない人、メンタルが強い人、弱い人、、、
努力の度合いが違うこともある。
災害に見舞われたりすると、努力がどうとか言えない無力感に襲われると想像する。
全部まとめて色んな人が混じって同じところで生活しているとするとカオス、混沌となる。
長い目で見ると人々の思いや行動は蓄積され、同じような人が集まる傾向があり、層を作る。

こころに関しては、昨今は、とびきりナイーブな問題となっている。
スパルタ教育は、横並び教育、ゆとり教育に移り、体罰、しごきなどは教育において学校では許されない。
(自衛隊や警察などでは厳しい訓練が行われているようだが、身内や知人にそういう関係者がいないわたしが直接、実態を垣間見ることはできない)
軍国主義だった時代や、さらに過去に遡り、封建時代などとは当然隔世の感がある。
今はインターネットの時代でもあり、時代はものすごいスピードで進んでいる。
この現代に思想については自由かと思いきや、そうではないことを知ると驚愕する。
たんに頭の中で考えるだけだったり、仲間と話し合ったり、考えを公開したり、情報交換したりするだけなら罪にはならないようだが、実際に行動に移すとなると、行動の内容によっては犯罪になる。
たとえ純粋な民主化運動であっても、国によっては国家反逆罪となり、若い命が奪われる。

今回の阿部さんの事件で国中で、さすがに衝撃を受けて揺れた。
しかし、あれが、襲撃されたのが演説中の阿部さんではなく、アパートに住む隣の無職の高齢住民同士の事件だとしたら、、、?
あるいは、勤務先の名もない元同僚、元上司だとしたら、、、?
原因や背景を深く追求されることもなく、忘れ去られる日常の多くのよくある事件の一つになったかも知れない。
もちろん、阿部さんの事件を肯定する気持ちも擁護する考えも全くない。
志し途中、凶弾に倒れた阿部さんに、こころからご冥福をお祈りする気持ちには変わりない。
だが、ターゲット、タイミングとしては、犯人はそこまで意図しなかったかも知れないが、最大の影響を与えた。
社会の目に見えにくい綻び、ほつれが一気に浮上したかたちになった。

社会には闇が存在する。
どんな豊かな社会にも。
その闇とどう関わるか、どう関わらないかは、個人個人の意識に依るところが大きい。
見て見ぬふりをする、なかったことにする、というわけにはいかない。
栄光と挫折が表裏一体であるように。
ものごとには、光があれば闇がある。
光側の人、闇側の人、どちらも行ったり来たりする人、色々だ。
夜道を歩く時は、見えない闇があることをこころに留めて歩かなければいけない。





専業主婦

2022-05-11 | 時事&世の中
ママ友とのランチ会!
ママ友たちが専業主婦だと、目の敵にされる場合がある。
残念ながら、わたしの周りには専業主婦ランチ会はなく、あるとしたら老人会ランチ会か?
といっても、両方参加しないが。

そもそもランチ会、あまり好きではない。
「美味しいものを食べる会」や「ランチしながらコミュニケーションをとる、情報交換する」なら悪くないが、ダベるだけの自己顕示、自慢の会ならNG。
暇つぶしの会も、ノーサンキュー。
子育てや家庭でのストレスが溜まって、しゃべって鬱憤を晴らす、こころの病気にならないための自己防衛策なら良しとしよう。
ただし、一方的に話すばかりではなく、聞くこともしなければならない。
順番に胸のうちを吐き出す、被害者の会みたいなものもある。
閉ざされた個人的なものの場合、カウンセリングなんてのもある。

どうやらそういうのではなさげな、ママ友ランチ会。
ひと昔前なら、富裕層的ファッションに身を包んだ、おしゃれで美しいママたちが、都心の高級ホテルでランチ会なんていうのもあったようだ。
(今もある?)

いつの時代からか、専業主婦は肩身が狭くなってきている。
なので、堂々と、そんな税金泥棒的な目で見られるかも知れないような行動を白昼やらかすのは避けたいところだが、意識や価値観は人によって違う。
自分独自の独立した能力で経済力を持っているのは素晴らしい。
そのためには、優雅におしゃべりランチには興じられないはず。
情報収集だとかミーティングを兼ねてだったりする。

ちなみに、、、
ヨーロッパの上流階級には、ノブレス・オブリージュという概念がある。
上流層の人には上流が故に果たすべき義務があるらしい。
(国の戦いには王族自らが戦闘地に赴くなど)
日本には根付かない概念だそうだ。
日本では、その概念を無理やり既存のものにあてはめると「おかげさまで」「感謝」などになるとか。
外国のチャリティーイベントもその宗教的教えの一環かと想像するが、仏教の歴史が長い日本にはあまりチャリティー精神が形成されていない?

と、いつもながらに話は逸れている。
ママ友ランチ会も、富裕層であるなら、自分たちだけの楽しみや遊興に終わらず、もう少し視野を広げて活動していただきたいものだ。
が、絵に描いたような理想はさておき、我が子のお受験の情報などをにこやかに談笑しながら(必死で)入手するのも、誰に後ろ指されようか。どこが悪い。
自分の幸せを自分で掴みに行きたい、積極的行動である。

打画鹿市、、、(盗用はやめようね、はい)
かつて、過去、わたしが中学生の時、子供(1学年上と2学年上のクラブの先輩)の教育に熱心なあまり、置かれている状況以上に無理をし過ぎて、結果的に法に触れる事態を起こした母親がいた。
その子供である先輩たちはとても素敵な生徒たちだった、、、が、その母親は加害者。
被害者は、わたしの母。
熱心なのは良いが行き過ぎや、手段構わずというのは良くない。

話を戻す。
問題は、皺寄せを受ける人がいる場合。
国の(一部)税金で保育してもらっているなら、保育中、ママたちは何をしているのか中身を問われても仕方がない。
とやかく言われたくなければ、お抱えナニーや保育士さんを自費で雇っていただくしかない。
そんな優雅なケースではない、保育所に
預けられない諸々の例外もあるようなので、一概に言えないのが複雑なところ。

対価を得るための労働。
「労働して対価を得る」という順序が理想だが。
生活環境によっては理想ばかり言ってられない。
現実とはそういうもの。
そして、働きたくても働けない人もいる。
ママ友ランチ会とはまた違う世界である。





政府には大いに失望した

2021-05-27 | 時事&世の中
コロナ渦におけるオリンピック開催は、わたしは絶対に反対である。
この時期、他国で開催されたとしてもどうかと思うのに、よりによって自国で。
スポーツ文化は、人の犠牲や、生活を困窮させてまで死守すべきなのか?
芸術家や、夕鶴のおツウさんが我が身を削って作品を造るのは、わかる。
当事者のエネルギーを自分の身から出している。補給している。

その補給元が他人からだったとしたら?
例えば、おツウさんが、悲鳴をあげる親友や親戚の羽根を抜いて夜な夜なはたを織っていたとしたら?
自国民の、忍耐や生活を犠牲にしてまで開催するものだろうか?
しかも他国の人から、「日本人は犠牲には強い」なんて、犠牲を強いられてまで。
日本人に犠牲エールを送るのなら、じゃあ、おたくさまの国で開催なさったら?
日本への一般人入国をストップさせて、自国を守ろうという超大国もあるのに。

なぜ、反対なのか?
開催されないと寂しい、、、なんて、そんな子供のような感想の方もおられるが、、、
寂しい??!!
自分の子供の運動会さえ開催されずに辛抱しているのに。
自分の幸せを犠牲にしてまで他人の幸せを応援できるか?

なぜ開催を反対するのか、その理由を考えてみてほしい。
お金ではない。
まだ、コロナワクチンも遅遅で高齢者にさえ接種が十分行き渡ったっていない現状。
飲食店や商業施設は閉まり、行政施設も利用出来ない。
市民もさることながら、飲食業の人々は先の見えない深刻な犠牲を強いられている。
コロナのために、我慢を強制され、反対しているのだ。
自国民に犠牲を強要するその一方で、人流活性化の極め付けである国際イベント開催、、、。

人流を抑えるために我慢に我慢を重ね辛抱していたのに、また緊急事態宣言延長で我慢も延長。
限界に達しそうだ。
こんな状態でなぜオリンピック???
コロナのこと、自分の身に起きているリアルな犠牲のことを考えたことがあるのだろうか。

確かに楽しいことは無いより有る方がよい。
だが、自分が辛抱するのではなく、他人を辛抱させ、他人に犠牲を強いるようなことを、自分の楽しみのために進めるなんて、わたしには理解できない。

全ての人が納得して丸く収まることなどない。
にしても、、、
オリンピック違約金?
こんなコロナ事態が起きるとは世界中の誰もが想像できなかった。
コロナ渦に自国で開催したくないというのは、契約違反なのか?
人道的にはどうなのか?
開催によるコロナ拡大の対策費は?

ソフトバンクの孫さんも反対を表明している。
政治家は反対と言えない縛りがあるのだろうか。
頼りにしていた小池都知事でさえ、安心安全の開催に向けて全力で頑張ります、などと淡々と同じ言葉を繰り返す。
あれだけステイホームを都民に訴えていた人が。
コロナのための犠牲なら仕方ないにしても、コロナ渦オリンピックのために犠牲を強いられている。
怒り心頭である。
国民の声を政治や政策に反映させるのが政府や政治家ではないのか。
誰のためのオリンピックなのか?
誰が決めるのか?

国民への説明は、開催を前提とした、「安全安心の開催を、、、」と機械的に言うだけ。
反対意見に対する説明は無し。
政治には全く無知無関心なわたしだが、今回ばかりは、反対を唱える野党の声は、身体と心に染み渡る。

感情論だけでなく、開催するメリットとデメリットを数値、データ実数、経済指数、予想指数、医療を含め予想社会図をきちんと理論的に納得できるように示してくれたらまだしも、開催までに2ヶ月を切るこの秒読み段階では不可能。
押し切るか、断念するかが舵取りの重要な判断であるが、いずれにせよ叩かれるのは目に見えている。
歴史を振り返り、どう評価されるか、であるが、歴史のそのリアルタイムの当事者、国民にとっては、後に評価なり、社会的意義なりを説かれても自分の生活は返ってこない。
50年後に国に補償や謝罪されている様々な国家的被害者の皆さんは大勢いて、彼らの失われた人生は戻って来ない、、、。
当時の責任者はこの世にいないことが多い。

「責任者、出てこい!」
と、肩をいからせ揺らしながら発する、昭和のぼやき漫才、人生幸朗さんのギャグは、なかなかのものである。


女性の逆鱗に触れる

2021-04-27 | 時事&世の中
NHK朝ドラで、主人公(ヒロイン・モデルは浪花千栄子)の夫の浮気相手が妊娠する展開に、視聴者の女性たちが怒りと不快感を示している。

ちなみに、9年前に書いたわたしのブログを引っ張り出して読んでくださったアクセス履歴あり。
どんなかな?と、楽しみ半分、不安半分で、ドキドキしながら読んだ。
今回はかなり面白かった。
(自分で言うのもなんですが)
タイトルは、

しかし、浪花千栄子のようなケース、、、時代が違うから、理解不可能である。
女性の意識、男性の意識は時代背景によって変わる。
昔は子供が出来ないと、原因は女性にあるとされ(ウマズメなんていう、あり得ない酷い表現もあった)、嫁は離婚され、里に帰された。
男性に原因があるのかも知れないのに。
これは誰が見ても誰が考えても、おかしな話だ。
が、実家に帰されて、また再婚する場合、男性をチェンジすると次のお相手男性とは子供に恵まれるかも知れない。
結果的には、はい!次!という、男女組み合わせの交換か。
前の旦那さん、どんな妻に交替しても、子供が生まれない、、、、で、元妻たちは別の男性と結婚すると次々子供が出来るとすると、原因は男性側にあることが明らかにハッキリわかる。
当時としては子孫繁栄のための合理的な方法だったのかも知れない。
男性を責めず、メンツ、面目、顔を潰さず、暗黙の了解。
女性が代わりに言われの無い責め苦を受ける。
これは正しいのか?

ちなみに、仕事をしていた頃、男女の違いではなくパワハラ構造で、こういう目に遭ったことがある。
上の責任を下が負わされる。
上の代わりに下が恥をかかされ玉砕させられる。
不条理のミニ体験版。
わたしは神経が図太いので、憤死しなかったが。
責任感の強い、正義感の強い人や、重要な位置にいる人なら思いっきり傷つくだろう。
わたしは、わりとヘラヘラしているので、「えー、これって、あり得ないやんー!」と、ビックリしながら、かわいそうな自分を天から見ていた。
(エッセンシャルワーカーでもなく)、(人の生死や、国の栄枯に関わるほどの)まあそれほど大した仕事でもないし、一家を食べさせていたわけでもない、いたって軽い責任のもとでの仕事だったし、自分が好きでやっていただけだったから、蚊に刺される程度の痛み、恥だった。

今の男性たちは、家事育児も負担させられて気の毒かも知れないが(昭和の発想)、その分、大黒柱が二本だから肩の荷が軽減されている。
「あなた、そんな仕事、やめなさい。
わたしがどうにか経済はやっていくから。
わたしが食べさせます」
なんて、一生のうち、一度でも言ってみたい。
昔はそんな経済力のある女性にはヒモみたいな男性がくっ付くイメージだったが、今は違うだろう。
たんなるヒモは、食べさせてもらえずお払い箱だと思う。
たんなるヒモではない、妻に食べさせてもらっている男性は(病気を患っているとかではなく)、それなりの(素晴らしいステキな)男性だと想像する。
そうでなければ、国費にすがることになり兼ねない。

(しかし、女性も男性も苦しい立場の人もいるから安易にチャラけたことは言えない)

昔と今とでは雲泥の差がある。
が、日本女性の地位は世界水準から見ると格段に低い。
島国で封建時代が長いから、そう易々と簡単には意識は変わらないとわたしは踏んでいる。
わたしは、たいして政治もわからないくせに、自民党のかなりお年の某氏がテレビのニュース画面に出てくる度に激しい拒絶反応を示してしまう。
まるで長年の女性たちの憎しみや怒りを一気に集中させてぶつけるかのごとく、ムカムカしてくる。
憎悪の投影先象徴と化している。
これは、決して良い状態とは言えないが、理性的ではない一方的な感情を募らせて凶行に走る犯人というのは、こんな気持ちがベースにあるのだろうか。
わたしのような、老いたノーテンキ仙人女性でさえ、ちらとそう感じるのだから、朝ドラ展開は、血の気の多い現役女性たちの逆鱗に触れても致し方ない。
溜まりに溜まったマイナス激情が爆発、噴火するキッカケとなる。

わたしが思うのに、自分が生きてきた年数以上に、過去の女性たちの怨念も背負っているのではないだろうか。
自分が蓄積したもの以上の積年の怨み。
こういう思いを薄めていかないと、未来の女性たちも、自分の体験以上に怨みを感じる状態になるのではないだろうか。
過去(日本人としてのわたしが身近に暮らしながら感じる近代)も清算はおろか、紐解きもせず、現在もまだ継続の片鱗が伺えると、晴れ渡る明るい未来は予測しづらい。

あの、ご高齢MORIさんなら、なぜ、朝ドラで女性たちが鬼の表情で噛み付くのか、全く理解できないだろう。
何故かわからないが突然やたらギャーギャー女性がうるさいから、「ハイハイあなたの仰るとおりです」と、負けたフリ、わかったフリをして、ただただその場を収めようとしているだけなのが見え見えで、腹立ちを超えて絶望感に苛まれる。

ゴボウとテレビ討論

2020-06-07 | 時事&世の中
昨夜21時からNHKテレビの討論番組を見た。
令和未来会議、テーマはコロナ時代の働き方。
今日の晩御飯の下準備、ささがきゴボウ処理をしながらだったので、半分ぐらいしかまともには聞いていなかったが、ふむふむと頷いた。

辛酸なめ子さんは、あんな顔をしていたのか。
あの人の作品、嫌いじゃないけど、論客ズラリの中では、ちょっと元お嬢様モードがもたつくイメージで、頑張れ!とこころの中でエールを送った。
その中の1人に、うんうん、と常に首を上下に動かしてやたら大きく頷く女性がいて、目障りといっては失礼だが、視界に否応なく入り、悪い意味で気になった。
こういうところは、全くどうでもいい、枝葉にもならないことなのに、わたしは本当に本末転倒のツマラナイ人間だ。
地に足着いた、ちゃんとしたことを発言されていたのに。
気にするなと言われても、気になるものは気になる。
わたしの目が見えなければ、なんの問題もないことだ。

資本主義社会に警鐘を鳴らす意見の若い男性が2人いた。
大学准教授と、NPO代表。
庶民、弱い立場側から見たガツンとした意見がこころに刺さった。

他にも政策研究専門家と大学名誉教授の男性が2人。
あと、若い、女優並みに超美人がいた。
美人すぎて、AIのよう。
自身のAI会社代表でもあり、国のAIを牽引するメンバーの1人。
さらに企業人、実業家。
元ローソン社長の時に注目を浴びた、現サントリーホールディングス社長、新浪さん。
合計8人。
各人、モニター画面出演のオンライン討論。

画面の下に小さい文字で視聴者から寄せられたリアルタイム投稿が表示されていたが、文字が小さすぎて、遠く離れた流し台でのゴボウ処理作業と判読の同時進行は不可能だった。
が、最初あたりのリモートワーク、在宅オンラインワークについての所だけは読んだ。
オンラインでは出来ない現場の職種、エッセンシャルワーカー、オンラインが整っていない会社、また、自宅では小さな子供がいて集中出来ないなど、現場の声。
上から理想的なことを言われても現場にはそぐわない、悲痛な叫びのように思えた。
下から声を上げることが大切だ、とNPO代表が力説していた。

上からの意見と下からの意見、どう取りまとめるのかと思いながら、ゴボウを切っていた。
スマホではゴボウ指南も同時にチェック。

ホワイトボードに、手書きで上手くメモされ、まとめられていた。
各人の意見や問題点を叩き出した格好。
結論は、バラバラの方向のものを、さてこれらをどうやって進めていく?という、投げかけ方式。
まとめないという、まとめ。
生放送だし、まとめられないから。

「今後取り組むべき難しい課題です」
あたりでお茶を濁す?
わたしはゴボウのことだけ考えていたらいい?
いや、ゴボウだけでは食べて行けない、、、




女性の時代なの?

2020-06-03 | 時事&世の中
若いお姉ちゃんが、荒くれ男の世界へ、、、
筋肉・肉体労働の中に入るには現場での抵抗は想像を絶する。
まして、現場監督のポジションだったりすると、荒くれたちは、指示を聞いてくれるのか。

親戚のおにいさん(当時)が、○○組ゼネコンで働いていた。
管理職。
現場では労働者側と飯場で酒を交わし合う。
本州と北海道を海底で結ぶ○×トンネルだとか、大きな現場をいくつか担当していた。
ガハガハと笑う、どっしりした親分肌の豪快な酒豪だった。
昭和ズブズブ世代のわたしが荒くれたちと現場で働くのは、こういうイメージ。
学生時代、親友の一人だった真面目で優秀なGさん。
就職は大手ゼネコンを希望したがダメだった。
女子は損だと悔しがっていた。
女子枠はかなり難関だったのだろう。

大阪市内ビジネス街にある、とある飲食店で、業界一位、大手ゼネコン勤務の女性と顔見知りになったことがある。
時代は確実に進んで行っていると感じた。

ドキュメント番組でヘルメットを装着して現場で働く女性を見るが、現場の作業員ではない。
もちろん、道路整備などで、真っ黒な顔をした現場作業員女性も実際に見かける。
大型車やタクシーの運転手で女性も見かけるようになった。

女性が希な職場での「珍しさ」ではなく、「本気度」が試されると思う。
最初の女性たちは、トイレや着替えも困るだろう。

狩に出かける女性。
木の実を採取して子育てしながら家を守る男性。
子供は試験管ベビー。
時代の流れでそうなったとしても、それはそれ。
動物の生態と照らし合わせると、絶滅しないで生きながらえた種は、存続に繋がる行動による結果だ。
人間は生き物ではあるが、動物とは違うとされている。
ではあるが、根っこのところは同じ動物仲間のお猿さんから派生したものだ。進化したとも言う。
なので、仮に絶滅しそうになっても、なんらかの知恵や科学の力で生きながらえるだろう。
SFでは、逆に、科学の力で自滅するストーリーが多いが。

女性の社会進出は著しい。
目を見張るものがある。
男性社会の既存慣習を打ち破る女性第1号の風当たりは凄まじいものがあっただろうが、彼女たち先人の血と汗と涙の歴史を積み重ねてきた経緯の上に今日がある。

もちろん、女性だけではない。
不平等のもとに抑圧されていた人々が立ち上がり、権利を取得するまでには長い苦難の道のりがある。
今では当たり前となっていることも、そうではない時代を乗り越えている。

自分はどの時代にいるのか。
あえて逆行する人もいる。
道を選べる人は恵まれている。
自分なりの解釈を書きたいが割愛。
人それぞれだ、と片付けてしまうと楽だし。

ちなみに話はごろっと変わるが、
夫は時代劇が大好きである。
江戸モノ大衆時代劇。
これは、夫の父も、夫の祖父も大好きだった。
若い時からいつもいつも、水戸黄門サン。
じいさんたちも。

わたしは、水戸黄門アレルギーである。
平和な勧善懲悪の、安心して観れるストーリーはまあよいとして。
途中でトイレに立って筋書きを見逃しても、なんの問題もない。
結末は全く同じ。

わたしは好きではないが、過激な暴力的なものよりはマシか。
とは言うものの、長年に渡り、同じ空間を共有する中のテレビで流れ続けられていると胸くそが悪くなるのは何故か?
知らぬ間にヒ素が効いてくるように。
悪玉が絶対権力にひれ伏すパターンに、ファンは狂喜するのだろうけれど。
胸がスカッとしてストレス解消される人がいる一方で、わたしは吐き気を覚えることもある。
やめてくれ〜〜、と。

特に女性をモノのように扱う女性蔑視、軽視の部分に差し掛かると、わたしは居ても立ってもいられないほど不快になる。
過去の歴史では、男女差関係なく奴隷の時代や封建制度の時代があったのだから、目を覆いたくても史実は史実として対峙しなければならない。
各国が過去の過ちを忘れてはいけないように。

それはそれとして、、、
対峙とかではななく、楽しんで、酒の肴にして観ているのが堪らなく嫌。
今の女性は偉くなってしまったので
(特に妻!)、せめてテレビドラマの向こうで夢を満たしたい気持ちはよくわかる。
だが、女性としては面白いわけがない。

そこで、回避策。
テレビ番組を別々に観るため、部屋を別々にしている。
これは、家庭内分断である。
平和維持のためには、いたしかたない処置か。

あれは嫌、これも嫌、じゃあ結局はなんのために一緒に生活しているの?
どんなに愛するどこの誰と一緒に暮らしても、自分を一番愛している限り、忍耐は必要だ。
割り切り。
相手も同じように折半。
五分五分で、調整。
これを協力と言う???
うーん、協調かなと。

話は逸れに逸れている。
ホンネばかり書き連ねても、わたしばかりがモヤモヤが吹っ飛ぶだけで、なんの建設的なこともない。
が、たまには、溜まっている埃や膿を吐き出す、こころのお掃除が必要だ。
それが、人によっては水戸黄門鑑賞だったとしたら、うーん、、、話がまたまた、ぐるぐる。
循環システム。
社会は循環システムで成り立っているから、社会の一番小さなコミュニティである家庭も、基本は循環システムなのかなあと。

よくわからないが、ブログに貼り付けた写真のオジいさんに斬ってもらおう。


赤緑黄色の「大阪モデル」

2020-05-09 | 時事&世の中
ミュンヘンのブログ、やっぱり素敵だ。
写真が大好き。理屈抜きで大好き。

今日は、そのブロガーさんが思い出を語っておられた。
その人らしいエピソード、一コマだった。
わたしが、漠然とうっすら感じるには、、、遠い遠い将来、日本に帰って来られるのではないかと想像した。
実家やご両親がいない日本。
宇宙に漂ってそのまま宇宙に居続け宇宙ステンーションが終の住処になっても別に何の問題もないが。

わたしも実家や両親に対する喪失感はある。
実際にはまだ実家もちゃんと整備、維持され、あるのだが。
母も生きているのだが。
わたしに新しい価値観を吹き込んだ嫁家も普通に今も実在し、姑も、生きているのだが。
ここ数年で、崩壊したように思う。
娘、息子たちも、普通にトラブルなく仲良く暮らしているが、完全に自立し、母船を離れていったと強く感じる。 

ある日、突然、姿を変えたり、状況が変わるのではなく、徐々に少しずつ変化していく。
覚悟のようなものをしながら、行ったり来たりする。
衝撃的ではないが、じんわり、じっくり方向が変わって行く。
その間に肝が座るというか、諦めがつくというか、流れに身を任せて漂っている自分がいる。

おそらく、ミュンヘンのブロガーさんも、今、予想も出来ないだろうし、歳を重ねた時の予測も出来ないだろう。
その時になれば、少しずつ行く道に、すーっと導かれるだろう。


生まれる前、母の胎内にいる時から使っている自分の心臓。
成長すると共に大きく強くなり、歳を取るにつれ弱っていくだろう。
でも長年、実年齢プラス10ヶ月も自分と共に歩んだ心臓。
心臓だけではないが、心臓が例えとしてわかりやすい。
見かけや、こころ、頭脳は変わっても、自分の心臓は同じ。
ペースメーカーを埋め込んでいる人や、人の心臓を移植された人もいるが、その人は一生を共にする例えとしては、別の内臓か何かにしておこう。

(ちなみに、母の胎内に生命が宿った時、心臓の原形みたいなものは既に出来てるのだろうか?
わりと、いい加減な想像。
正確な検証は専門家にお任せします)

わたしも思い出を語れば、ブログネタにはまるで困らない。
読み手に、ああまたかと、うんざりされることを気にしなければ。
最近のわたしは、過去はさておき、将来に想いを馳せることがある。
わたしの将来など、あとは朽ちるだけなのだが、なんだか、安らいだ気持ちになる。
こんなコロナ禍のご時世で、すっとぼけたことを言う、眠たい人間だと思われるかも知れないが。

コロナが世界同時だったこと。
各国の状況、対応がそれぞれリアルタイムで伝わり、国の特徴が浮き彫りにされること。
安倍さんの舵取りに全面信頼して着いて行こうとしながらも、政府サイドの専門家の言っていることはどうもハッキリしたものを感じないこと。
大阪モデルの吉村府知事をはじめ、政府の脇から同時に数字で切り込み出口戦略を独自で表した自治体が次々現れたこと。

これまで経験したことがない事態、事象に取り組むと、瞬発力が試されると感じた。
蓄積された実績やデータが無いと、皆んな横並び、同時スタート。
よけいにそれぞれの特徴が明確に現れる。
経験ゼロからの対策。
(地震国だから、自然災害への事前対策は行われているようだが)
政治家に対して国民はどれだけ信頼できるか。
お国側の西村さんは、(地方は日頃は国を頼るくせに、、、大阪の出し抜的行為に)違和感を感じておられるようだが。
※()内は、わたし流解釈。
色んな良い所を合わせて、知恵を出し合ってくれたらいいけれど。

吉村府知事の発言を聞いていると、いかに良いブレーンがいるか、だと感じる。
ブレーンは、ある日、突然、こんにちわ!と現れないと思うので。

と、政治の話は全く疎いわたしだが、コロナ禍でなんとなく政府の舵取りに振り回され続けることになると、関心を通り越して不安になる。
政治、ど素人だが、今回は国民全員が関与する問題だ。
財源どうする?  そんな問題は通り越している?
現在の人も悲鳴を上げているが、将来の人々は、借金がずっしり重い。
世界中で、今後、どうなっていくか、リアルタイム・ドキュメント。
弱い立場の人にまず最初に、しわ寄せが行く。
それは世界中でも同じだろう。

医療崩壊も、実際にコロナ感染していない人や、周りに感染例がない人にとっては、テレビの向こうのこととして捉えているかも知れない。
が、実数を頼りに判断するのは、身近な基準だと感じる。

コロナが終息すれば、新しい社会が生まれるが、その前に痛みを乗り越える必要がある。
わたしの遠い将来図はやたらお花畑なのは、近くに訪れる痛みを考えず、相変わらず楽天的マイペースなのだろう。
今を飛ばして、お花畑はない。
でも、必ずある(はず)。

わたしは政治ネタや時事ネタは不得意。
ニュースの一部分だけを参考にした、あんまりよくわかってない、ぼーっとした一国民としての感想である。