「散らかす・散らす」は、叙情という結論に達したところで、全ての言葉に「散」が付けば叙情心。散文・散歩は判る、散室・散料理・散勉強・散仕事・散力、「散力?」これは良いっ!力を分散させて広く世の中を見て、尚且つ力を抜く。理想だっ!これがナカナカ出来ない。力一杯ぶつかって他人に悪印象、でも受験など自分だけの作業には集力ですなっ!人との関わりの中では散力が良い。憎まれない!やっかまれない!和ができる。あらゆる物理を様々な視点から見れる、「散力」。だから叙情。力というエネルギーは散らしても後に残らない。
障子越しの曙。その一日の動きが決定される曙、ぼやぼやとした頭脳でその一日を思い巡らせる。特に、オイラは気圧アレルギーを所持しているので低気圧、良くないなッー!曙の頭脳のぼやぼやが更にボァーとして、着替をしないと駄目じゃっ!それも仕事着であるコック服。これ、はおると一日の作業予定が巡ります。そのうち、次の叙情を考えながらな作業だなっ!だから常に叙情を考えている、叙情は考えるモンではないのですが、情けをまた余すだけでなく、情けをまた余らせる。いわゆる、計画。叙情計画。家族計画ではない、叙情計画です。