へんな洋食屋より発信!

横浜市南区にある洋食屋から旬な話題を発信します。

へんな洋食屋

2006-04-19 14:36:43 | Weblog
歩調・足並み、人生の航海の極一部にしか過ぎませんが、家庭・仕事・地域活動等全てに渡り大切な心の動きですなっ!とかく、「俺が、俺がっ!」とか「あいつは、アァ!」だとか言って自分を棚に上げる方が多い。どんな方でも、厳密に社会の歯車なのに自分を大きく見せて、口ばかりで本当の責任は取れない。そこで、「歩調・足並み」が重要な役割に成る。歩調ー歩みの調子、つまり歩みのリズムだなっ!足並みー足の並び、要するにリズムを持った、しかも正確に刻めるリズムを身に付けた上での他人との並び、音楽で言う合奏です。100号連載

へんな洋食屋

2006-04-16 08:36:23 | Weblog
叙情的古典派印画機械持込散歩術学について長々と散文してきましたが、とどのつまり、人生は親家系から貰った宿命と神様から頂いた運命の中にある。その中で、楽しみ有る生涯を送るには全てが自分の心の有り様次第です。その心。が難しいっ!必ず、どこかで本性が出て寄り道・後退・引き換えし・立ち止まり等が起こる。願うくば、心の状態の良き時に、また気付を得た時に、失敗した時に、心に楔を打ち込み「必」と言う字に組み立て尚且つ刻む。そうして、「ゆったりとした正しい心の動き」を造る為、叙情的古典派印画機械持込散歩術です。

へんな洋食屋

2006-04-16 08:36:12 | Weblog
だから、毎回苦しいっ!だけど、楽しい。困楽、楽しく困る。今までもヤバイっと思った事が何度もあったけど、今が有ると言うことは、絶体絶命ではなかった。頻繁に絶体絶命を言う人が居るが絶体絶命とは、命を絶つンだからそうは無いっ!人との縁を深めていれば、必ずや助言が有り手助けが有る。そして恩に報いる。これがないと縁が途絶える、お礼ではなく恩です。良き時も悪しき時も、細く長く人付き合いをして縁を深めていれば平等に喜怒哀楽の人生を散らして歩いて行ける。それにしても、全ては自分次第だから、どうしようか?考慮っ!

へんな洋食屋

2006-04-16 08:35:54 | Weblog
分配力、散力。と来て「諸行無常」にたどり着いた訳ですが、いにしえの人々は凄いっ!人の営みですから当たり前と言えば当然ですが、諸々の行いに常は無いっ!と来たモンだ。正しいっ!例えばオイラは、料理人ですが、ハンバーグ。主な具材は、挽き肉と玉葱。毎日同じようですが肉は全て同じ牛からの物ではないし、玉葱も全て同じ産地・畑から生産された物ではない為、毎回が同じ手ごねでは造れない。大量生産品でしたら、一つのロッドでは等しいけど手造り品は毎回が「諸行無常」です。だから最終段階では心次第で食味を整えます。困楽


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2006-04-16 08:35:42 | Weblog
で、ヤケを起こして庭に投げつける。だけど、翌朝、象牙は高いし六時間の手間の消失、大人げない自らの心への懺悔を含めて、雨に濡れた中途半端な作品を拾う。これが悲しくも哀愁に帯た叙情です。家族には見られたくない姿だなっ!そして翌晩気を取り直して造り始める、完成はさせる。巧く往かないモドカシサは様々を考えさせますなっ!造る過程の思い巡らしも良いが巧く造れない自分の風情が常ではない姿として大事です。「諸行無常」と有りますが、諸々の行いに常は無い。正に、同じことの繰り返しに思われる事は、実は常ではない。

へんな洋食屋

2006-04-16 08:35:23 | Weblog
象牙でライターのカバーを造った。六時間の力作です、何ヶ月も練っていた案件でしたが、又余りある情けにて雨がシトシト降る中、作業場に入りました。作業場と行っても物置ですが、その物置の屋根に当たる雨音が叙情をかもしだす。こんな日は、シトシトとコツコツと象牙を削り研き、幾度も合わせを確認しながら作業。たまにコーヒーをすすり過程を眺める、角度や丸みを電球に当てて過程を楽しむ。物造りの至極の時間です。叙情ですなっ!最後の仕上げの方に成ると段々気が急いて早く作り上げたい気持ちが込み上げ大概巧く造れない。ハハ…

へんな洋食屋

2006-04-16 08:34:31 | Weblog
その馬鹿げた事を中年の男達が繰り返し行う、機械の精密感に弱い頓着を持ち始めたら大変っ!クラシコカメラに止まらず機械時計・ビンテージカーと様々な機械物件に懲り出す。写れば良い、時間が確認出来れば良い、動けば良いではなくなり屁理屈を捻出して物件を取得する。共通するのは、電子やデジタルでない機械なんです。それが現在は、収益や手間やメンテナンスや重量等で作られなくなった為、どうしても二世代前の物件に到達する。いわゆる中古。カタログや説明書はもう存在しないから、足で身銭で研究し失敗し入手する、もう叙情だ。

へんな洋食屋

2006-04-16 08:34:15 | Weblog
話が、壮大な宇宙迄行ってしまった、帰るのが大変だから元に戻して、叙情的散歩術は散力と集力そして分配力の根本だから一度だけでは仕方がない。同じ道でも季節・時間・天気そしてカメラの種類に因り毎回違う、という事はクラシコカメラも何台も必要に成る。必要に成るというか、欲しくなる。そして、飽きもする、だから取り替える。それを繰り返す、だから集積と分配を繰り返す。でも、以前散らしたカメラが何かの切欠で異常に気になり再び入手したりする。その度に、尊いワクチン代が掛り金策をする。その事に付いては馬鹿の連続だっ!

へんな洋食屋

2006-04-15 08:45:35 | Weblog
散力に戻ってみると、子供達は散力の天才ですなっ!オイラの家なんか散らかり放題ですので、マァ三人の達人がいますので当然です。物心が撞くと欲が出て何でも欲しがり集める、集力の発生だっ!暫くその集力の期間が続く、何十年も。だからもっと片付かない。しかし、その中でも興味は絞られてきて片手の内に数えられてくる、趣味の粋だッ。その他の集積物や集積事は分配力によって配られるというか再び散らされる。宇宙のようだなっ、収縮と膨張を繰り返し成長して行く。人間は、言わば活きた小宇宙のようです。心だって得体が知れない。

へんな洋食屋

2006-04-15 08:45:18 | Weblog
露骨な話ですが、教える事を事業にして料金を頂いている教授では、全ては教えない。だから、散力・分配力の極一分しか担っていない。例え全てを教授するにしても数十年を架けてです。教わる側が納得した時点で教授の依頼が無くなり収入に関わるからだ。本当です。しかも、教わっている内は先生の真似事か言いなりだから自分のスタイルは築けない。オリジナルを築くには、様々な他の事象を学習して集力にて蓄積し、不要な事柄を散力にて配る。そしてシンプルなオリジナルが出来上がってくる。その様々を実地として叙情的散歩術で学ぶンだ。