梅雨の明けた日、体調を崩したり、少し脚が弱くなっている仲間と蔵王の刈田岳から馬の背を歩いて熊野岳へ行ってきた。例年ならこの時期、コマクサの花が見られるので、花を愛でながらの散策である。刈田の駐車場に車を停め、先ず刈田神社を参拝する。朝方は気温も20℃以下で、心地よい風も吹いている。神社のある高みからお釜を見おろすと、湖はコバルトブルーの水を湛えてひっそりと静まっている。この数十年、街の様子も、山の樹々もすっかり変わっているが、お釜の水の色だけは、かって見たものと変わらない。まわりの溶岩に景色のなかで神秘的な色合いである。
お釜の縁を廻るように馬の背の山道が、杭とロープで示されている。小石や砂利が多く、こんな風に道を標さないと歩く場所が広がってしまう。それにしても、梅雨明けを待っていたかのように多くの人が訪れている。家族連れ、高齢者のお友達、元気のいい若者。なかにはトレイルランで走る人もいる。登山道の砂利のなかにコマクサを見つけた。夫婦づれのようなカップルが来て、「わあ、こんなところにコマクサ!」と声を上げる。「コマクサももう終わり見たい、上の方はすっかり終わっていますよ」と話してくれた。
熊野岳でやはり神社を拝み、少し歩くと茂吉の山上歌碑があった。上山市報の連された秋葉四郎さんの「茂吉入門」に、地蔵岳山上にある自分の歌碑を見に行った記事がある。歌碑が建って4年後、昭和14年7月8日のことである。同行者は東北大学の河野与一教授夫妻、実弟の高橋四郎兵衛、門人の結城哀草果である。
「午前三時出発、硫黄精錬所まで自動車、ソコヨリ徒歩。賽河原残雪。熊野神社午前十時半。歌碑の前ニテ食事ス。歌碑は大キク且ツ孤独ニテ大ニヨイ。残雪ヲ食タ。風強イ。」
いただきに寂しくたてる歌碑見むと
蔵王の山を息あへぎのぼる 茂吉
硫黄精錬所はライザスキー場の近くと思われる。ここから山道を5時間、一行は山道を喘ぎながら登っている。7月が過ぎたのに、日陰に残雪があった。我々の眼には、一片の雪がなく、途中ユリの花盛りであった。コマクサの花の咲く時期はどんどん早くなるばかりだ。帰路、避難小屋から馬の背への斜面はコマクサの群落であった。もう1週間ほど早く来れば、見事な花が見られたに違いない。
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