一夜明けたが、雨が残った。ゆっくりと、朝食をとって小屋を出る。雨はようやく上がった。靴に滑り止めを着けて、木道の上を頂上に向かう。やや急な勾配ではあるが、一晩経っても筋肉にはなっていない。木道を20分ほど歩いて頂上に立つ。木彫りの山並み図が建ててある。この地点から見えるはずの山の名前が記してある。連山といっていい、富士山の名もある。残念ながら霧のために眺望は全くない。中門岳を降ってきた人、この時間に頂上に着いた人、少しずつ登山客と会うようになった。一様に雨と霧への嘆き節が聞こえて来る。標高2133m。天井の楽園と呼ばれる名山だ。
予定では中門岳まで行く予定であったが、リーダーの決断で中門岳を中止、ここから降りる。出発が遅かったこと、行っても眺望が得られないことが理由だ。
小屋のすぐ下にある駒の池。霧につつまれた草紅葉と湖面は、じつに幻想的だ。こんな光景をみることは多分この先ないであろう。この一瞬を脳裏に刻む。それが、年を重ねて登山をするものの責務だ。桧枝岐の奥に佇む、会津駒ケ岳を思い起こすよすがである。8時30分、駒の池を出発。雨に濡れた木道は滑る。着装した滑り止めは、予想以上に効果がある。案内書によれば、この付近の雪解けころの花はみごとだとある。しかし残雪のころの急登は可能だろうか。春の花にあこがれつつ不安がよぎる。
イギリス公使アーネスト・サトウを父に持つ武田久吉は植物研究者となって大学で教鞭をとるかたわら、登山を趣味とし、尾瀬を巡り、会津駒ヶ岳の登頂も果たしている。その紀行で、春の池の下の様子が書かれている。
「1700mに至れば、下層植物群落が、少し高みに来た感じをかなり鮮明にする。オオカメノキも花盛りになれば、ミツバオウレンも満開である。ミドリユキザサ、マイヅルソウ多く、タケシマラン、ヤマソテツ、サンカヨウも相当目にする。(略)歩を運べばシラネアオイの残花に、春の夢なお醒め難く、イワカガミの笑み、山路の旅の楽しさを誘うてやまない」
もう50年も前の文章だ。今、眼前にオオカメノキの葉、ナナカマド、ヤマウルシの紅葉を見ている。
天候はゆっくりと回復している。霧が晴れて上がっていく下に、目のさめるような紅葉が現れる。一幅の絵のような風景である。一行からどっと歓声があがる。朝の気温が6度ほどに下がって3週間が経つと木の葉は色づき始める。高度が100m上がれば、気温は0.6℃下がる。平地が20℃なら、1500m地点では11℃である。紅葉前線は北から南へ、高度では高い山から麓へと下りて来る。
見える紅葉は始まりの色だ。しかし、昨日登る時よりも、紅葉の色は濃くなっているような気がする。紅葉も花と同じだ。全山を錦に染めるのは、ほんの数日、嵐がくればもう葉のない山へと変わっていく。どんどんと季節は移ろっていく。
恋しくは見てしのばんもみぢばを
吹きなちらしそ山おろしの風(古今和歌集秋歌)
肉眼で見る紅葉の遠景は写真には捉えがたい。近景から遠景へと連なる絶景は忘れ難い。もう少し進めばさらに紅葉の美しさが増すが、始まりにも捨てがたい魅力がある。それは、これから期待感をもつからだ。ピークに達すれば、風もなく散り始める。その先には、冬の始まりまりの淋しい秋の光景を想像させる。テレビでは月山、栗駒山の紅葉風景の映像が出ている。今週予定している栗駒山はどうだろうか。台風14号の接近で、広い範囲で雨が予想されている。それにしても、この秋は登山日和に恵まれない日々が続いている。
下りコースは登った道をそのまま降りているがゆっくりだ。水場着が10時45分。転倒して腕を痛めた人が一人いて、無理をしないスピードである。そのため、体力の消耗は少ない。高度を下げるにしたがって日がさしてくる。着ていた雨具を脱ぎ、ジャンバーを脱ぐ。気温は少し低いが、山歩きには丁度よく、快適な下りになった。登山口着13時。靴を履き替えて一路帰宅は。帰路田島駅のレストランでラーメン。醤油ラーメンが美味。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます