常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

2021年03月08日 | 日記
今朝も晴天の青い空だ。画布に刷毛で白い絵具を刷いたような雲がある。その広がりに吸い込まれそうな錯覚を覚える。空を見る人がいて、虚空に広がる空は、逆さまの万華鏡になる。空の下にあるすべての人々の営みを包みこむ大きな風呂敷だ。石川啄木の和歌に

不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心

がある。15歳、中学生の啄木の心は、大空に吸われて、ひたすら無心になっていった。森村誠一は『写真俳句のすすめ』で、「空の奥に吸われて束の間、自分自身を見失っているとき、句想が浮かぶ」と言っている。空の無限の広がりが、人を限りなく小さなものにしていく。その時、心に浮かぶ句には、空のような広がり持つ、という。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 春の川 | トップ | 晩年の生き方 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿