常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ジャガイモ

2012年07月23日 | 日記


気温上がる。30℃を超える。
まわりの畑でジャガイモの収穫が始まったので、わが家のジャガイモも試しに掘ってみる。一株だけだが、想像以上にできがいい。品種はキタアカリ、所々に赤い部分が見えてきれいだ。小さな芋は、素揚げにして、塩をふって食べるとおいしかった。

子供のころ、北海道では多くの畑で、ジャガイモが栽培されていた。明治政府が推進した屯田兵が行う開拓の食料としてジャガイモが適していたからであろう。これによって北海道は、ジャガイモの一大生産地となり、その伝統は今に続いている。畑一面に咲くジャガイモの花が終わって2カ月もすると、ジャガイモは収穫期を迎える。馬につないだハロウという道具で芋を掘り起こすと、家族全員で芋を拾い集めた。その収穫の早さ、収量の多さは他の食品とは比較にならないものであった。

家のジャガイモ畑で手伝った芋拾いの記憶はいまも鮮明にある。学校から帰ってからの作業は、日が暮れてからも続いた。小さな子供の身体には、籠の芋は重く、身体中が痛くなった。月明かりの道を家に帰ると、新ジャガの蒸しが待っていた。熱い芋に塩をつけてふうふう言いながら食べた。この芋の味の記憶は消え去っているが、辛かった労働の身体の痛みは今もなお残っている。

いま世界で一番の生産地はアメリカだ。アメリカへジャガイモを持っていったのは、アイルランドの移民であった。ヨーロッパで、収穫量の多いジャガイモは、寒い気候にも耐え、貧困階級の所要な食料になっていた。だが、1840年代の終わりに発生したジャガイモの疫病が、ジャガイモの収穫に壊滅的な打撃を与え、飢饉を引き起こした。とくにジャガイモを主食としていたアイルランドでは100万人に及ぶ餓死者を出し、200万もの移民が行われた。その移民先はアメリカがもっとも多かった。この移民の中には、後の大統領ケネディ家の先祖もいた。



ジャガイモは北海道で男爵芋と呼ばれるが、これは函館に住んでいた四国出身の川田男爵が種芋を取り寄せて、ジャガイモ栽培を始め、その種を近隣の農家へ分けてやったのが、その由来である。畑一面に咲くジャガイモの花は美しい。

じゃがいもの花のさかりのゆうまぐれ   日野草城

じゃがいもの花の三角四角かな      波多野爽波

じゃがいもの花に朝の蚊沈みゆく     阿部みどり女

新ジャガは新しいからそう呼ぶのではなく、まだ小さく皮も食べられのを指している。

新じゃがをほかほかと食ひ今日を謝す   大野林火

新じやがや野風の先の田舎富士      凡  茶

新じゃがのゑくぼ噴井に来て磨く     三  鬼

今晩、こんな新ジャガ料理を作りたい。じゃがいもを皮付きのままゆで、竹串が通るようになったら取り出し、すぐに皮をむく。熱いうちに2~3ミリの厚さにスライスして、すぐに酢と油をあわせた中に入れていく。酢1に油5くらいの比率。ジャガイモが冷えたらごく薄くスライスしたタマネギ加えて出来上がり。冷蔵庫に入れて食べるときに、パセリを散らす。残っても冷蔵庫でしばらく保存が可能だ。

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