釜房湖に近い宮城の里山、ししなご山と釜房山の2座に登ってきた。山中は花や緑はまだまだだが、道に落ちたドングリが芽を出し、気のはやいマンサクが咲いているのが見えた。15℃を超える気温である、水で喉を潤し、拭き出る汗をタオルで拭う場面の出番となった。ダム湖、釜房湖に面して、釜房山が聳える。湖畔に車を置いて、ジグザグの道を登っていくと、朽ちかけた仮名を書いた看板が立っている。
いろはにほへどちりぬるを わかよたれそつねならぬ
うゐのおくやまけふこへて あさきゆめみしゑひもせす
誰もが口にするいろは歌。前半で詠まれるのは、人の死である。「色は匂えど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ」死に至るのは、高い山へ登ることにも例えられる。諸行無常 是生滅法。人の生は、どんな人も常ならないものだ。
ジグザグの道を通り、額に汗してついた境地。それが有為の奥山を越えることである。そこで開けて、見える光景は、夢でもなく、酔いでもない。人が初めて得る永遠の境地なのだ。この里山に、いろは坂と名付け、ひらがなの一文字を看板に立てたのは誰の知恵なのだろうか。48文字のうち見かけられのは、30文字程度だ。いろは歌の無常観を噛みしめる人生観も、看板が朽ちるとともに消滅していくのであろうか。
この日の参加者13名。ジグザグの行程を登ると、長い人の列が、壮観である。山中で春を訪ねる、初老のご夫婦もいた。栄存神社にお賽銭をあげ、手を合わせるお二人はなにを、神に祈るのか。死後の安楽か、それとも現生の無事か。興味をそそられる。
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