楠木正成
2016年05月25日 | 人

延元元年(1336)5月25日は湊川で、南朝の新田貞義・楠木正成軍と足利尊氏軍が激突した日である。尊氏の大軍と血戦16合に及んだ正成の軍7百余騎は、弓で射られ、切られ残るはわずか73騎になってしまった。今はこれまでと覚悟を決めた正成は、湊川の北にあった民家に入った。鎧をほどいた正成の身には12もの刀傷があった。弟の正季に「御辺の最後の願いは何ぞ」と問えば、「七生まで同じ人間に生れて、朝敵を滅ぼさばやと存じ候え」と答えてからからと笑った。正成は「わが心を獲たり」と言うと、兄弟は刺し違えて同じ枕についた。正成の享年43歳、二人の従った従卒は全員が、この兄弟の死を追って果てた。
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