常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

縄文村

2024年06月07日 | 登山
長井の古代の丘と三階の滝を散策した。山友会が高齢者の脚力に配慮して、少し歩いて三階の滝の涼しさに浴し、人類の歴史を振り返るというやさしい企画であった。古代の丘には、古代の村が再現されて、土偶のレプリカが展示され縄文村と名付けられている。資料館には発掘された土器が展示され、竪穴式住居も復元されて内部の様子が知れる。ピオニーの森には、シャクヤク公園、ハーブの庭、ジャンボハウスという25人が泊まれる宿泊施設もある。この丘を散策しながら、縄文の時代に遊ぶのも一興である。

そもそも縄文時代とは、紀元前1万年から紀元前300年まで、ほぼ1万年の長きにわたる。弥生時代を多く見積もって1300年。その10倍の長さをになる。時代区分は草創期紀元前7000年まで。早期はそれから5000年まで。前期が同じく紀元前3000年まで。中期はそれから2000年までの1000年。後期は同じく紀元前2000年から1000年まで1000年。そして晩期がそれから紀元前300年の700年をさしている。総人口はものの本では、前期5万人、中期27万人、後期8万人と推定されている。狩猟、採集生活で食料が賄われ、ドングリの採集や鮭の捕獲・保存には一時的に多くの人手が必要になる期間があった。ここで、人を集めるのに行われたのは、祭りや祈りなどであった。この時代の人たち25年の寿命で、危険とともにあって死は非常の身近ななものであった。富の蓄積や権力者がいるわけではなく、搾取のない無階級社会であった。

土器が祭りの祭器として使用されたことも知っておきたい。中期に見られる火炎土器は、上部に火炎のような装飾が施されている。日常の煮炊きにには、非常に扱いづらい。ドングリや鮭の採集時期に集まった人々が、集まって踊り、祈る際の煮炊きには、その装飾のゆえに人々の血気を盛んにしたことは想像できる。土偶を見ても、この時代の人々が身を飾り、その日を生き延びるために努力を続けていた。縄文人の命を奪ったのは、実は大災害であった。火山の噴火、大地震、大津波、大暴風、疫病の蔓延。今日の人類を襲っている災害と大きく異なるものではない。疫病への対処が、人の寿命を延ばす大きな要因であったかも知れない。
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